既存の価値観から脱却することが、本気で求められている時代なんだと思うのよ。
こんにちは。栗原貴子です。
先日、お友達と楽しんだランチの様子を彼女がこんな風にまとめてくれました。お料理がおいしかったのはもちろんですが、「わあ、すごくキレイ!」と思わず感嘆の声があがるほどの美しさだったのが印象的です。今の時代、だいたいどんなレストランでも「わあ!」というお料理が出てきますが、今回はちょっと格別な「わあ!」でした。そのお話は後ほど。
さて、先日、ワタクシは多摩美術大学と八王子織物工業組合との産学共同研究「tetote」NEXT八王子織物プロジェクト2016の展示会を拝見しに、出かけました。休日の表参道の街が文字通りびっしりと人で埋め尽くされている様子に、軽いめまいを覚えましたが、なんとかたどりつくことができました。
展示会はすでに終わっている上に、展示物の写真もなくて申し訳ないのですけれども。
多摩美の学生さんの感性で作られた作品は、既存の価値観に縛られておらず、それでいて伝統への敬意を込めつつ、「売れるかな」的な商業ベースの諸々もなくて、とても素晴らしかったのでした。
そのことをしみじみと1週間ぐらい考えていたわけですが、本当に本当に「これまで」のやり方とか「こうじゃなくっちゃ!」「こうだろう」みたいな価値観に「縛られている場合じゃない」ということなんだな、と思います。
お料理の話に戻りますが。
上の写真のお料理の中にうすーくスライスしたお茄子(だと思う)の素揚げ(だと思う)があります。これをですね、パリッとおクチに入れた瞬間
!!!!!
ビックリしました。
この薄さからは想像を絶する
濃~い茄子の味
がしたからです。
軽~く脳が混乱。
要するに私は『この薄さであるならば、こういう味だろう』的な予感を無意識のうちにしていたってことですね。で、その予感を覆す味がしたのでビックリしたわけです。コーラだと思ったらアイスコーヒーでビックリ、みたいな、あの感じ。
で、このランチメニューの中で一番、インパクトを残しているのは1週間以上が経った今でも「うす~い茄子」のことなのです。慣れ親しんだ茄子にこのような魅力があったなんて!という驚きの余韻が続いているのです。
多くの方がこの数年、人生において「これまでのやり方が通用しないな」「よい、とされている方法を頑張ってもうまくいかない」ってことをうっすらと感じているのではないかと思います。
SP(販促)ツールを作成するお仕事をしていても、その流れは顕著でした。
ブランディング・ライターとして企画を立てる際に、私は「既存のツールの考え方では、集客は難しい時代です」ということを、スピリチュアルトークではなく、予言者めいた雰囲気を醸しながらも現実的なロジックでご説明しています。
ツールの既存の考え方としては
文字は少な目、ビジュアル命(どうせ文字なんか読まれないから)
お得感、お値頃感が大事
流行りに乗っかることはマスト
親子三世代で、家族で、カップルでと客層を分けて訴求
みたいなことがあるのですが。
ひとりの消費者の立場で「ほんとに、それで欲しいと思う?」って考えると「NO!」なのですよね。
お得は嫌いじゃないけれど安かろう、悪かろうという疑惑も残る。
写真やイラストもいいけど、文字情報も好き。
流行に興味ないし、流行っているところは混雑しているから苦手。
誰と一緒に楽しむかなんて、そのときどきの気分で変わるもの。
という人もいる。
それは、
私でーす!
私がそうである以上、同じように感じる人がいるってことじゃないか!
つまり、売り手側が「こうだろう」ともくろんでいることから、はみ出している人っていうのがたくさんいるわけで。
そのもくろみが強ければ強いほど、そこからはみ出している人には何の魅力も感じてもらえないという現象が起きるわけです。結果、集客や売り上げにつながらない。
だから、
こういう商品(サービス)ですよ!
というところは
自信をもって余すところなくお伝えしつつも。
可能性
を感じてもらえるような作りにすることが大事です。
そういう発想で、SPツールのご提案をしてきた結果。
なかなか
好感触です💛
着物のことで言えば。ルールとかしきたりが複雑そうなイメージが根強くがっちりと広まっていて、それが着物離れにつながっていったわけですけれども。
染物、織物はつまり
布
なわけです。
ですから、その布がどんなアイテムに変貌することも自由自在であり。
着物や帯というオーソドックスな完成品でなくてもOKだし。
一度、オーソドックスな完成品になったものを、違うアイテムに作り替えることも、直線裁ちして縫う着物、帯だからこそ変幻自在。昔の女性が和裁のスキルが必須だったのは、この「繰りまわし」ができることが不可欠だったからなんだけれども。
(着物から汚れたり痛んだりした箇所を除いて、羽織や半纏、布団がわ、座布団がわ、巾着などの小物へと変貌させていき、最後にはおしめやハタキ、雑巾などになって、布の一生をまっとうさせていたのです)
多摩美の学生の作品は、バッグとか女児向けワンピース(これがすごくかわいかった)といった作品もありまして。ああ、おばあちゃんの着物でこういうのを作ったらかわいいなあ、なんて思ったり。
反物のデザインも伝統を上手に今風にアレンジしていて。
その豊かで
自由な感性に
しびれました!
人って長生きすればするほど知識と経験が増えていきますが、それが「どうせ、こうだろう」というあまり役に立たない思い込みにもつながっていきやすい。
過去の経験から学ぶことは大事だけれど、そこに固執してばかりいたら時代は変わっているのだもの、どんどん苦しくなるのは当たり前っていえば当たり前なんだと、私自身、この数年の経験からもそう思う。
反物だからといって、必ずしも着物や帯にならなくても命を吹き込むことはできる。
それって、人も同じで。
「反物なのだから絶対に着物になるのよ」というような、さまざまな「思い込み」から外れた方が、より命を輝かせることができるのではないかと、そんな風に思うのでした。
今日も読んでくださり、ありがとうございました。
みなさまの毎日に「ププッ」と笑顔が溢れますように。