「芸術は特別なことじゃない」宣言
昭和の時代が終わりを迎えようとしていた頃、友人から「アートのグループ展を企画しているんだけど一緒に参加しない?」と声をかけられた。
当時私は学生。翌年に百貨店での新社会人生活をスタートさせることが決まったばかりであった。
グループ展を企画した友人は、私を含め総勢12名の面々を集めていた。私以外は全員社会人の20代独身男女で、各々の職業はグラフィックデザイナーが多くを占め、その他カメラマン、フラワーコーディネーター、アパレル販売、OL、営業職サラリーマンもいた。
メンバーは、毎週、決まった曜日(何曜日だったのかは忘れた)の夜に、リーダーであったカメラマンの事務所に集まり、グループ展の構想を練っていた。其々が、今どのような考えを持って生きているのか、どのような活動をやっていきたいのか、グループ展を通して何を表現したいのか、何に対して問題意識を持っているのか。毎回、朝になるまで延々と話し込むことを続けていた。20代前半のそのような時間は、あっという間のものだったに違いない。
グループ展のタイトルは、『仙台大震祭』。
誰の発案だったのかは記憶にないが、「仙台を大きく震わせる祭りにしよう!」と、大きな夢を描くことに何ら躊躇のないところが、若さというひとつの眩しい特権だったのだ。そして、集まったメンバー12名がそれぞれの作品を制作し、持ち寄ってグループ展は開催された。今年は、このグループ展を開いてから33年の月日が流れることとなった。
グループ展開催に際して、冊子のプログラムを簡易な印刷で制作したものが、今も一冊だけ手元に残っている。もうボロボロの状態なのだが、唯一無二の宝物だ。
これに目を通してみると、例えば冒頭ページに刷られている「挨拶文」は、私の文筆のものであるはずなのだが、なんとも主張の内容の浅いこと、青いこと・・・。穴があったら即座に入りたくなってしまう衝動が容赦なく襲ってきてくれる。参加者12名が、それぞれ1ページずつ使用して、己の作品に対する自己アピールのスペースとして活用している。そして、締めくくりのページにも、我々からのメッセージ文が残されてあった。
このメッセージは、今読み返してもとても美しく新鮮だ。書いてくれたメンバーのことも、しっかり覚えている。
芸術は 特別なことじゃない
感じる心と 表現したい欲求が強ければ
誰だって 誰のものにだってなるんです
皆さん もっと大っぴらに
自分を暴露しましょう
そうすれば もっと人生はあなたのものになるはず(※一部を抜粋)
昭和63年9月。私もみんなも、本当に青かった。しかし、青さに気付くことのない心は、切なくも美しい。
「青春」という言葉がある。私はこの言葉に触れた時に、真っ先のこのグループ展での出会いの時期を連想し、振り返ることができる。喧嘩をして、傷つけあって、涙を流し、恋もして、また悲しい別れもあった。人は、青さと真剣に向き合っていた時間以上に、幸せな記憶というものはないだろう。
私はこのグループ展に、イーゼルに無地のキャンバスをお客側から見えないように反対側に立てかけ、その周囲に有刺鉄線を張り巡らせて、こうメッセージの表示を掲げた作品を展示した。
「この作品はあまりにも素晴らしい出来栄えなので、見せるのがもったいなくなりました」
そんなコンセプチュアル・アートを気取った作品であった。
▲パンフレットに入れた協賛広告のページ。時代を感じますね。今も仙台で元気に営業されているお店もあるようです。