夢は持たなくてもいい
そんなことを教育者がいうものではないかもしれません。
でも、最近思うようになりました。
そういう考え方もいいのだと。
そういうふうに考えてもいい時期もある、ということ。
私自身は比較的したいとおもったことへ向かって進めたほうでした。
目標設定が低い段階での満足かもしれませんが、達成できた方でした。
だから、気づかないこともわかってあげられないこともありました。
自分が子供を持って、時代も場所も、性格も違う子供を見ていて教えられることがあります。
学校や社会では夢を持て、目標に向かって努力しよう、と言われ、そのお手本になるような人をとりあげて見せてくれます。
でも、それを言われれば言われるほど、見せられれば見せられるほど苦しくなる時期もあるのです。
上を見てイメージして、努力できる、これは一つの、才能かもしれません。
才能が天性のものとするならば、これをまだ持たないものは人生そのものに負けたような気持ちになってしまいます。自分はダメ人間だなんて悲観的になってしまいます。
ひとりひとり違っていい、と言われ、個性が尊重されるようになってきましたが、生き方についてはまだまだ同じコースで急いで走らされているように思えるのは私だけでしょうか?
それならば、自分に合った方法をさがしてコースを進めばいいのです。
ピアノは、まさに、コツコツ、努力しないと上達しません。
それを、難なく乗り越えて来られた先生は、練習しないなんてありえない、問題外、と、努力の少ない生徒を一刀両断されます。
勿論そういう先生について頑張れる生徒さんで、そのレベルであるなら最高です。
でも、ピアノを楽しみたいという気持ちは一緒でも、描いている理想は皆違います。変わるときもあります。
ここの教室では、レベルも年齢も目指すものも皆違う生徒さんを幅広く受け入れて、ひとりひとりに合わせたレッスンをしていきたいと考えています。
弾けなかったピアノが弾けるようになった、読めなかった楽譜がすらすら読めるようになった、美しい音が出せるようになった、など、進歩した時は嬉しいですし、その達成感は学んでほしいと思います。
でもみんなそれぞれ、描くものは違うし、伸びる時期もそれぞれ。
お花に栄養を与えるときと、お水をやるとき、実がなるとき、皆違います。
その時期の見極めは気を遣っています。逃したら枯れてしまうかもしれませんからね。
必ず花は咲きます。
それは、夢が叶う、なんてことだけをいっているわけではありません。
夢とか目標とか見えないときもあります。
そういう時は目の前をよく見てください。
今日一日で、楽しかったことがあったでしょう。
きれいな空や、緑や、動物や、家族、それらに癒やされたり感動したり、感謝できたでしょう。生きていることそのものに感謝できたかもしれません。
それが大事。
足りないことを見て反省するときも、足りていることに気づくときも必要。
良いとか悪いとかそんなのでは、ないですよ。
音楽は楽しいものです。
楽しいと知ったらがんばれます。
少しずつ少しずつ、お花を育てるように技術や知識はもちろん、耳も心も、育てられるお手伝いが出来るのがわたしの目標です。
私自身、偏らないおおらかな考え方を持ちたいと日々思っています。
そもそも音楽は、いい、悪いという単純なものではないですしね。
せっかくの個人レッスン、ひとりひとり大切に、丁寧に育ててあげたいと願っています。
うちのうさぎさん、夢を見るのかな?
毎日楽しいかしら?