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貝原益軒

2018.09.25 03:30

Facebook・澤江 昌範 さん投稿記事 「禍は口より出て、病は口より入る」

            『養生訓』

▪️養生の哲理▪️

悩みを少なくして心を養う。欲を少なくして魂を養う。

飲食を少なくして胃を養う。言葉を少なくして気を養う。    〜貝原益軒〜


http://www.kokura-hp.jp/hanamegane/kaibara/top.html 【貝原益軒】より

 貝原益軒といえば、歴史で学ぶ人物です。養生訓の著者として教科書に出てきますが、私はそれ以上の知識はなく過ごしていました。しかし、ふとしたきっかけで養生訓の拾い読みをしているうちに、益軒が黒田藩に仕えていたことを知りました。

 黒田藩といえば、福岡藩の俗称。福岡県にある当院も、縁なしとはいえないと思い取り上げてみました。また、森鴎外も福岡の衛戍病院検閲の際、貝原益軒の墓を訪れた(明治32年9月26日)ことが小倉日記に記されています。

 貝原益軒は江戸時代初期の人で1630年生まれ。没年は1714年というので85歳という長命であったわけで、さすがは養生のプロだ。また多くの著書は、70歳で役を退いた後に著述されたとのことで、養生訓にいたっては83、4歳頃の作だというので、最後まで頭もしっかりしていたのでしょう。

 養生訓は、心身一如の精神に貫かれた書物。父母から、ひいてはこの宇宙からうけた自己の一身を、如何に大切にし長命を保つかを示してくれる健康への案内書であり、長命を得たうえでいかに人生を生き、楽しむかという哲学の書でもあると思われます。足るという事を知らず、内欲に振り回されている私たち現代人。一緒に益軒の言葉に耳を澄ましてみませんか。ただし、記載しているのは現代語訳などではなく、私の勝手な解釈が入ったものであることをお断りしておきます。「これは許せん!」という内容がありましたら、お叱りのメールをおねがいします。。

巻第一  総論上

人の身は父母を本とし天地を初とす。 養生の術は、先(ず)わが身をそこなふ物を去べし。

凡(およそ)養生の道は、内慾をこらゆるを以(て)本とす。 凡ての人、生まれつきたる天年は多くは長し。

人の命は我にあり、天にあらずと老子いへり。 人の元気は、もと是天地の万物を生ずる気なり。

養生の術は先ず心気を養うべし。 嗜欲

飲食色欲によりて病生ずるは 全くわが身より出る過 畏の一字

減と滞 (養生の二害) 薬と鍼灸を用るは、やむ事得ざる下策なり。

身体は日々少づつ労動すべし 人の身は百年を以(て)期(ご)とす

長生すれば、楽多く益多し。

人の身は父母を本とし天地を初とす。

 子供の誕生にすら人為的操作が紛れ込んできている現代において、「子供を授かる」という発想は絶滅の危機に瀕している。ましてミーイズムや自己万能感がはびこる現状では、自己の一身が天地(宇宙、自然)から授かったものであるという考えにいたることは困難でしょう。

 しかし間違いなく、今いるあなたや私は、自分の意思で、自分の力でこの世に生まれ出てきたわけでなく、授かったとしか言い様がないのです。せっかく授かったこの身を、慎んでよく養って、天が与えてくれた命を長く健やかに保とうではありませんか。

 飲食欲や色欲などに振り回されるのは、自ら肉体を痛めつけ損ない病を求めるようなものであり、愚かなことです。日々をつつしみ深くいき、長命を保ち、生きる喜びや楽しみを十分味わいましょう。

 体の細胞は日々入れ替わっています。ということは昨日と今日、今日と明日の私は違っているのです。日々の慎み、積み重ねが、長期にわたれば多大な影響をわが身に及ぼすことは明らかです。今日を自制の心を持って生きることができれば、必ずそれは自身に帰ってくるのです。

養生の術は、先(ず)わが身をそこなふ物を去べし。

 身をそこなう物で去るべきものとして二つあげられています。外邪と内欲です。

 体に悪いもの、健康を害するものを考えると、化学物質などの外的要因をまず頭に思い浮かべてしまいます。昔のように人工的化学物質がほとんど身の回りになかった時代でも、外的要因は身を損なうものでした。特に、四季の移り変わりと関連する、風・寒・暑・湿・乾などは外邪として、それから身を守らなければならないとされました。これが体を壊す原因の一つです。

 もう一つは内欲。欲深き人間が心しなければこちらのほうでしょう。欲はなかなか限りをつけにくいので、「満足」させようとすると、どうしても過ぎてしまいます。何事も腹八分が肝要のようです。

凡(およそ)養生の道は、内慾をこらゆるを以(て)本とす。

 欲望の赴くままに過ごせば、元気を次第に失ってしまいます。そうなると体の抵抗力が落ち、少しのことで病をわずらい、大病となりやすくなります。特に以下のようなことに気をつける必要があります。

 1:食べすぎ、飲みすぎを慎む。

 1:色欲を慎む。

 1:睡眠をとり過ぎず、長い時間じっとしているようなことをせず、体を動かす。

 1:食後すぐ眠ったりしない。

 1:感情に流されず、心の乱れを制御する。心穏やかに、和やかに。

 凡ての人、生まれつきたる天年は多くは長し。

 先天的異常、それも命に直結するような異常を持って生まれてきた人は、短命で終わることになるのでしょうが、多くの人はかなりの耐用年数を持って生を授かっているものらしい。

 「この子は、長生きはできないだろう。」と思っていた親を尻目に、高齢まで生きたという人は数多くいる。逆に、元気一杯に見えた人が、意外と早く亡くなったりもする。

 子供の頃ひ弱な人は、それなりに無理をせず、体をいたわる習慣がついてくるので、その寿命を全うできるのだろう。体に自信を持っている人は、その自信ゆえに無理をしたり、無茶をしたりして健康を損なっていくのだろうし、思わぬ事故にあったりもするのだろう。

 欲の赴くままに行動するのは、結局命を縮める自殺行為になっているのだ。

人の命は我にあり、天にあらずと老子いへり。

 自分ひとりで大きくなったとか、自分の力で生きているという風に勘違いしているような人が多くなっている。そんな人に「人の命は我にあり」などという言葉を見せたら、俺の命は俺のものというふうに納得してしまうのでしょうね。でもこの意味はそうではありません。

 自分の命は授かったもの、いただいたものという大前提はいささかも崩れてはいないのです。

 授かった命を、もし縮めるようなことがあるとすれば、それは自分の責任ですよということを言いたいのだと思われます。結局、長生きできるか否かは、自身の生活の在り様にかかっているんだということでしょうね。

 生活習慣病が問題となっている現代人を、貝原益軒が見れば、わざわざ命を縮めているとしか見えないでしょう。

 人の元気は、もと是天地の万物を生ずる気なり。

 気という概念が東洋独特なものかどうかは知りませんが、私たち日本人は「気」という言葉をよく使います。この地球上の、あるいは宇宙全体に存在するものを生み出す源を「気」という言葉で表しているのでしょう。この気がなければ私たちの体も、この世に生まれてこなかったのです。

 生まれた後は、食べ物や飲み物、衣服、住む場所その他いろいろな外からの助けで、元気が養われて、命を保つことができるのです。しかし、この元気を養う飲食などは、多く求め体に取り入れすぎると、つまり食べ過ぎたり飲みすぎたりすると、かえって元気を損なうこととなり、命を縮めてしまうのです。

 外に向かって快楽を求めすぎるのではなく、自分の内面を見つめ磨くことに楽しみを見出せるようになれば、おのずと元気になり、長生きができるのです。

 養生の術は先ず心気を養うべし。

 心を和やかにし、気を静めて、怒りや欲望を抑え、激しい感情をなるべく少なくすれば、元気を損なわなくなる。これが気を養うために最も大切なことである。また、だらだらと横になっていると、気が滞ってしまう。食べてすぐ寝るようなことをすると、消化管に負担をかけて、胃腸の調子が悪くなる。

 飲食や色欲は慎むのがよく、欲に任せれば元気が無くなり短命となる。胃腸薬を服用してまで飲食を過ごすのは大きな間違いである。限度を定めて、過ごすのがよい。

 食後には少し歩いて、腰や腹を時々なでさすり、手足を動かし、体を動かして血気をめぐらし、食べたものの消化を促すのがよい。

 養生の中でも大切なのは、病になっていないときにいかに慎み深い生活をするかである。病気になってから慌ててあれやこれやとするのは、養生の中でも最も程度の悪いものであり、普段の生活の中で心がけるのが、養生する上で大切なのである。

嗜欲

 嗜好の嗜に慾望の慾ですね。

 慾望の赴くままに節度を越えて、むさぼり欲しいままに行動すれば、必ず体を傷めることになるでしょう。そこで養生の基本は、注意深く欲をこらえていくこととのこと。しかし我々凡人には、わかっちゃいるけどやめられない、と言いながら日々を送ってしまい、いよいよ体を壊してからしまったと思ってしまいます。せめて、あと一杯、あと一口をこらえるようにしたいものです。

 節度という日本語を、思い出したいものです。

飲食色欲によりて病生ずるは 全くわが身より出る過

 風・寒・暑・湿というのは外邪と言って、体の外から攻めてくるもの。この影響で病となるのはある意味逃れ難いことです。しかし、気力、体力が充実しており無茶をしなければ、外邪にもやられにくくなります。飲食や色欲が過ぎて病気になってしまうのは身から出たさび。自分の責任ということですね。

 そうは言っても欲を慎むというのは、なかなか実行が難しいですよね。

畏の一字

身体を長持ちさせるためには、畏れるというありようが大切になります。天を畏れ、人欲を畏れる事ができれば、慎む態度が出てきます。慎むことを知れば、体を大きく損なう危険は低くなります。

 実際に人生を生きていく上で、何でもかんでも注意深くというのは、多くの人にとっては無理だと思います。少なくとも私は無理ですが、畏れる心は大切だと思うしだいです。

 ただ、畏れるといっても、無闇に恐れ怖がるという意味とは明らかに違いますよね。勇気と蛮勇が違うようにね。

減と滞 (養生の二害)

 養生の道を妨げるものとして二つあげている。

 一つは元気を減らすこと。勢いや欲望にまかせ食べ過ぎたり、色欲におぼれたり、働きすぎたりすると元気を減らすこととなる。

 もう一つは元気を滞らせること。体を動かさず怠惰な生活をし、睡眠をとりすぎたりすると元気が滞ってしまう。

 減も滞も元気を損なうことになる。

 まあやりすぎず、やらなさ過ぎずというところでしょうが、そのバランスが難しいのですよね。難しくてどちらかに偏って後悔したりするから、人生は楽しかったりするのですが。

薬と鍼灸を用るは、やむ事得ざる下策なり。

漢方薬を使用したり、鍼灸に通ったりするのを好む人がいます。いわゆる西洋医術よりもなんとなく体によさそうな気がするのでしょう。実際体にかかる負担は少ないのかも知れませんが、それとて合う合わないがあります。ですから、薬と鍼灸を用いるのはやむを得ないときにすることなのです。

まずは、きちんと養生をすることです。

「お腹が張って食欲が出ない。」というような人は、朝夕歩いて体を動かし、長いこと座っていたり寝ていたりしないようにすれば、薬や鍼灸を用いなくても、体調は良くなるものです。

漢方薬は、その人の体質や体調に合わせたものでなければ、かえってからだの調子を損ないます。

鍼灸は基本的に体内に滞ったものを逃がしてあげるような術なので、体調に合っていなければ、かえって元気を失うことになります。

身体は日々少づつ労動すべし

体を動かさないでじっとしていると、循環が悪くなり体にとってはよくないようです。毎日少しは体を動かすような仕事をし、ずっと座りっぱなしなどということはしないほうがよい。食事の後にはゆっくりその辺を歩くように、体を動かしていると、体をめぐる様々なものの滞りがなくなる。すると特に治療などしなくても、病は遠のいていく。

普段の身の捌きが悪いと、それが少しずつ身に降り積もっていくようです。自分はどうか。一度日常の習慣を見直してみたいものです。

人の身は百年を以(て)期(ご)とす。上寿は百歳、中寿は八十、下寿は六十なり。六十以上は長生なり。

 60歳以上は長生きです。世の中には、50以下の短命な人も少なからずおられます。その中には、先天的な病気で夭逝する方もおられるでしょうが、養生が不十分で短命となる人がほとんどでしょう。

 長生きが人生の目標ではないにしろ、長生きするほどに多くのことを経験し、人生を味わうという醍醐味を知ることができるのかもしれません。身体をいたわり、動く体で長生きしたいものです。

長生すれば、楽多く益多し。

 50歳に到達するまでは、心が定まらず、生きる知恵も開けない。古今の出来事を知らず、世の中の変化に対応できない。発する言葉もいろいろと間違いが多く、後悔するような行いをちょいちょいしでかす。人生の理や楽しみを知らないまま50歳に至らずあの世へ旅立つのは短命というべきだろう。

 長生きすれば、楽しみを経験し、有益なことを知ることができる。日々新たなる知識を得るし、これまでできなかったことができるようになったりする。このようなことは長生きしなければ得がたいことである。50歳を越え、できれば60歳という年齢にもぜひ達したいものである。

 気があれるままにし、欲の赴くままに行動し、こらえ性がなく、慎みというものを知らない人というのは、なかなか長生きというのが難しいようだ。