医学を変えた 70の発見
http://www.jcc.gr.jp/journal/backnumber/bk_jjc/pdf/J082-18.pdf 【Book Review
Medicine―医学を変えた 70の発見 著者 William & Helen Bynum 鈴木晃仁,鈴木実佳訳】より
本書の原題は“Great Discoveries in Medicine”といい,一種の歴史書である.
歴史書と言えばその分類は数多いが,ある一つの史実について更にその後の経緯を歴史的に眺めて行くという点で,本書の内容はとてもユニークである.そしてその一つ一つが,
学問的にも,また読者の教養に資する点でも,充実した内容を持っている.恥ずかしながら,評者は本書から未知であった多くのことを学んだ.なお執筆者は総勢50名,多くが英国
の学者である.
全編は「医の知識と技」(The SCIENCE & Art of Medicine)と題する味わい深い序章に始まって,7章,70編から成るが,各章にはそれぞれ各編を「スキャン」する見識の高い前書きが置かれており,意義深い.
序章に準拠して内容を俯瞰すると,第1章「身体の発見」ではエジプト,中国,インド,イスラムの医学,ヒポクラテス,そして解剖学から分子(生命の化学)に至るまでを説き,
第2章「健康と病い」では血液循環に始まって精神病院の変遷,それに細菌,ホルモン,免疫,遺伝学,癌,補完代替医療までの論述が並び,健全な身体と精神,病んだ身体と精神についての文化圏の違いによる学問的発展について語る.そしてあまりにも微細化した現代医学での患者全体像観察の欠如を嘆く.
第3章の「商売道具」は聴診器に始まって医療ロボット迄の12章で,この翻訳での「70の発見」という副題は此処からのヒントであろう.評者もこの章にもっとも興味を持った.顕微鏡,皮下注射,体温計,X線,血圧計,除細動器,レー
ザー,内視鏡,画像診断,保育器,医学上の発見あるいは発明の歴史を通読して,改めてその古い歴史を思い,感慨深い.
第4章「疫病との戦い」ではペスト,発疹チフス,コレラ,天然痘,ポリオ,産褥熱の恐ろしさを改めて知り,またその多くが日常的な疾患では無くなったことは,医学の勝利のように見える.しかし最近評者も罹患したA型インフルエンザや,世界的流行のHIVなど,微生物との戦いが如何に人類を悩ませ,生命を奪うとともに社会的亀裂を生じさせたかが実感させられる.
第5章「苦あれば楽あり」はアヘンやキニーネ,ジギタリスに始まってペニシリン,避妊薬,向精神薬,β刺激薬,β遮断薬,そして「動脈硬化の世界にペニシリンのような革命薬が齎された」というスタチンが並ぶ.ここに三共製薬の遠藤章さんの名が出て来る.そしてまた,古くからの薬を見て,それらが現在でも使用されていて,歴史は決して古びていないと感じる.
第6章の「外科の飛躍的進展」では高名な外科医パレと外傷に始まり,痲酔,消毒,輸血,白内障手術,帝王切開,心臓外科や移植外科ほかを述べ,最後に内視鏡手術に言及する.今や外科は外科でも,キーホール手術として侵襲度を最小にした方法がとられるようになり,最小のメスを持つ内視鏡で胃壁に穴をあけ,胆石を口から取り出す事が出来るという事を初めて知った.どこまで進むか,内視鏡は日本のお手のものだから,益々期待度が高い.
最終章の「医学の勝利」では,ワクチン,ビタミン,インスリン,人工透析,喫煙,生殖補助医療,パップテストといった予防法,健康保持について述べられ,そして最後にヘリコ
バクター・ピロリという想定外のバクテリアについて語られる.このバクテリア感染の発見はウォレンとマーシャルにノーベル賞受賞を齎したが,ノーベル自身,胃に不調を抱え
ていたから,ピロリによる胃潰瘍があったのではないかいう文でこの著を終えている.
内容豊富な本書を通読するのには根気が要る.しかし各章を独立させて,一寸分厚いが,それぞれ1冊のパンフレット雑誌とみれば,気安く読む事が出来るだろう.どの章から読んでも良いし,暇を見て2,3頁の物語一つを読んでも良い.
何よりも,断然,医師としての教養が深まる.史実だけでなく,随所に肝に命ずべき文章が出て来て,それだけでも自己反省の糧になろう.
本書の挿図は素晴らしい.滅多にお目にかかれない古い写真,ペン画,絵画,さらに新しくは着色CTスキャンや走査電子顕微鏡写真に至るまで,初めて見るものが多く,目を楽しませる.
「歴史とは現在と過去との対話である」と言う事実は,本書が如実にそれを物語っている.
著者良し,訳者良し,言うことのない名著・訳書である.
医学関係者は勿論,歴史関係者にも手にして頂きたいと念じる.
この「日本心臓病学雑誌」は学会誌の完全英文化により,この号をもって一応その幕を閉じる.
本書を以って長く続いた書評欄の掉尾を飾る事が出来たのは,評者の欣快とする所である.
日本心臓病学会 初代理事長 JC創立編集長 坂本 二哉