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キリスト教で読む西洋史ー聖女・悪女・聖人・皇帝・市民

ナポレオン6-イタリア美術ルーブルへ

2021.09.25 10:12

ナポレオンはカンポ・フォルミオ条約の後帰国する。この条約ではミラノとボローニャ近辺をまとめてチスパダーナ共和国として承認させた。イタリア共和派の願いはイタリア統一だったが、ナポレオンはそれには消極的だったようだ。

西ローマ帝国が滅亡すると、ローマの覇権を握ったのはなんとローマ教皇という宗教首長で、中世にかけてヨーロッパの中心となった。ヴァチカンは、王の承認権があり、十字軍の侵攻も主導した。しかし武力を持たない建て前で、ボディガードとして皇帝を任命した。イタリアは名目皇帝の支配だが、力を持つと教皇はいつも別国をそそのかしてバラバラのままにした。

宗教改革で欧州半分は教皇の力が及ばない。そして仏共和国はキリスト教を否定している。ナポレオン帰国後も、ローマを占領してローマ共和国をつくり教皇をフランスに幽閉した。そしてアントワネットの姉の居るナポリにもパルテノペア共和国をつくり、姉らはシチリアに避難した。

しかしナポレオンは、イタリアに賠償金として全部で5千万フラン(8千億円)を課し、美術作品を持ち帰った。名目は人民のものだという理由である。それを展示したのが博物館となったルーブル宮殿である。これらは、ナポレオン失脚後、返却されたのも交換されたものもある。