武道から武術へ
『武道から武術へ 〜 失われた「術」を求めて』を読み終えました。
スポーツ化してしまった武道ではなく、「非力小柄な者も、その工夫による術で、力の強く大きな者にも対応できる武の原点を真剣に探究したい!」という想いで、武術研究家の甲野善紀さんが書き下ろした本書!
甲野さんがなぜ最初に合気道を選んだのか?そして、その後なぜ鹿島神流の剣術にのめり込み、さらにご自身で武術稽古研究会を立ち上げようと思ったか?という経緯がまさに本書のタイトルである「武道から武術へ」と重なります。
僕自身は3年半前に合気道を始め、そして半年前から抜刀術も学んでいますが、甲野さんは本書の中で「抜刀術、あるいは居合と呼ばれるものは、現代に伝えられている日本の武道・武術の中でも最も日本的なものと言えるかもしれません。」と書いていました。
ただ、現在の居合は礼法や精神修養が強調され、技術の追求が疎かになっていないか⁉️と疑問を投げかけ、「もし技術の追求など末の事で、精神こそ大事だと言うのであれば、たとえ相手の斬り込み、あるいは打ち込みに対して間に合わず、身体の一部を傷つけられたとしても、少しも動揺することなく悠然としているくらいの力量が示せなければ「技よりも精神だ」という言葉に説得力がないと思います。しかし、現代の「技よりも精神が大事だ」と言われる大家の方々に、果たしてその力量があるのでしょうか?」と、、、
それを読みながら、「武術ではなく、仕事に置き換えても同じことだろうなー」と思いながら読んでいました。
僕の会社ではマインドセット(本書でいう精神)を鍛える研修を提供していますが、マインドセットの前にそもそも仕事のスキルや知識(本書でいう技)があることは前提です。だって、技が未熟で、精神だけを鍛えても仕事の成果には結びつきませんから。でも、その一方で、せっかく技が優れているのに精神が弱いために成果が出ないというケースもあるので、そのためにそこを鍛えようという考えです。
その点では甲野さんが伝えたいことは分かっているつもり!
でも、居合・抜刀術の稽古は結果的に精神を鍛えることにも繋がる!と書いてあって、それは「既に相手が刀を抜き放って追ってくるという非常に困難な状況の下であっても、これに対応できる心身を作りあげようという課題があるから」ということでした。
ただ、そのためには稽古の時にそこをすごく意識しながらやることが前提なんだろうなーとも思って、まだまだ型を覚えることにばかり意識が向いていますが、もっとそういう状況への意識は強く持とうと思いました。
日々精進!!