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砕け散ったプライドを拾い集めて

胡蝶の夢

2021.09.26 00:41


「〝あぁ、世界が終わる〟と思った瞬間に、イモムシは蝶になる」

これを永らく荘子の言葉だと思っていたのだが、彼の言葉ではなく、アメリカのの女流作家バーバラ・ハインツ・ホーウエット(Barbara Haines Howett :Ladies of the Borobudur)のものであった。

 荘子のものは次のものである。
 「胡蝶の夢」:
「むかし、荘周(荘子)は自分が蝶になった夢を見た。楽しく飛びまわる蝶になりきって、伸び伸びと快適であった。自分が荘周であることを自覚しなかった。ところがふと目がさめてみると、まぎれもなく蝶ではなく荘周であった。いったい荘周が蝶になった夢を見たのであろうか、それとも蝶が荘周になった夢をみているのだろうか」
 (『荘子』第一冊・内編 斎物論篇:金谷治訳:岩波文庫)

 最後の二行が凄い。
これを読んだあとしばらくの間、雑踏の中を歩いているときなどに、

「オレが蝶になってこの風景をみているのか?それとも蝶がオレになってこの雑踏を見ているのか?」

と白昼夢のなかに度々いるようになった。

 荘子は中国の戦国時代の宋国に産まれた思想家で、道教の始祖の一人とされる人物である。本名は荘周。この中国の戦国時代というのは、日本では縄文時代が終わって弥生時代に入った頃になる。そんなときに、中華文明はここまでの意識のトランスファーを持ち得ていた彼らの文明のミラクルさに感嘆せざるを得ない。

 蝶は「完全変態」の昆虫だから、ホーエットの表現にはならない。つまり、腸に口がついただけのイモムシ(ウジ)から、ドロドロに溶けたゲル状の〝生命のスープ〟を湛えた容器である蛹(さなぎ)へと変態し、枝にぶら下がっている。 そしてある日、激しく蠢く律動とともに背中が裂け始める。〝あぁ、世界が終わる〟と観念した後にわれに返ると、折りたたまれてまだ湿っている翅をつけて、朝霧が漂う林で蛹の抜け殻にぶら下がっている。

「あれッ?オレってこういう生き物だったの?」

 この驚異に満ちた過程を経て妖しくも艶やかな飛翔体になる。これが人々へ衝撃と驚嘆を与え、蝶を〝輪廻転生〟にも通じる特別な存在としてきたのだと思う。

 「バターフライ」(バターの「飛ぶ昆虫」)という名前がすでに謎めいているが、これは単純に「モンキチョウ」を指していたのかもしれない。そこからイメージを膨らませて、〝バターが好きな魔女の使いとしてバターを盗みにくる飛ぶ昆虫〟という含意にまで昇華させている。

 そしてさらに、その蝶をつぎのように描写したSF作家のロバート・A・ハインライン。一瞬で悩殺された。

 ━━「蝶は自走式の花である」

 韓国から留学生に教えてもらった韓国の俚諺もすばらしかった。

 ━━花にとって蝶という存在自体が希望である」


 いっとき、「複雑系」のスローガンのように人々が口にした『バタフライ効果』

━━ブラジルの一匹の蝶の羽ばたきはテキサスで竜巻を引き起こす」

これも蝶が持つ〝魔性〟が、人々へその寓意的表現をも折りたたんで飲み込む気持ちにさせているから成立しているのだろう。

 司馬遼太郎が幕末から明治にかけての蘭方医たちの物語を「胡蝶の夢」というタイトルで書いている。主人公の一人で悪魔のような記憶力の持ち主で語学の天才であった伊之助は熱海で療養していたはずが、強引に東京に戻る途中の戸塚近くで菜の花畑を見て、「俺は蝶だぞ!」と叫んで、そして死んでゆく。

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9月も末近くになると、蝶の姿をみることは少なくなってきた。上手に越冬して、また来春よろしく。