その国の文化レベルを推し量るには・・・👀
一国の文化レべルを推し量るには、経済レベル、GNPの世界的地位でも推測できます。
衣食住において、ある程度の充足を成していれば、国の文化レベルは、悪くないと感じるくらいかもしれません。
又、治安がいいこともここに含まれるでしょう。
しかし、その国のお笑いの文化、つまりはお笑い芸人の質が問題ともなるでしょう。
世界的にも喜劇王と言われるチャップリンは、永遠に語り継がれることでしょうが、国ごとに受け入れらる笑いと言うものには違いもあるようです。
外国でお笑いの種になるのは、世間風刺が多いとも聞きます。
新聞の片隅で風刺画が賑わいを持ってされることもその一つでしょう。
日本でも、かつてのと言うより、古い時代における落語などもそうですが、「噺」に出てくる笑いと言うのは、やはり話を初めから最後まで聞いている中での笑いが主でした。
つまり、即興で笑わせる、言葉のあやで笑わせる、どつき漫才で笑わせるようなものではなく、「考えさせる笑い」と言うようなものがあり、ある意味高尚なものでもあったはずです。
庶民の娯楽の中でも、上のようなタイプの笑いは昨今のスタイルです。
ですから、今時のような「考えなくても笑えるお笑い」は、即座に楽しめる即効性があります。
「笑う」とは、そもそも、即効性のあるものですから、今時の笑いは自然な感情表現です。
今時の、どつき漫才や下ネタばかりに終始するなどにおいては、その質が問われると言う事もままあります。
しかし、日本では、政治や経済を風刺するお笑いと言うのは少なめです。
それに対し、彼らの人物表現の真似をする芸は多いものです。
また、世界的にも、日本のお笑い芸人は、多いと言います。
日本には、日本の笑いがある中で、伝統的な落語や昭和初期から、エノケン・古川緑破 戦後は、藤山寛美、益田喜頓や多くの人が世間を賑わしていました。
又、漫才ブームも有りました。
昨今では、ドリフターズから突出してきた志村けんさんが、お笑い界を、しいては、日本の喜劇王としての不動の地位を占めてきました。
このコロナで彼を失ったことは、非常に日本の損失と誰もが思う事に間違いないでしょう。
彼らの幾人かも、既に過去の人となっていますが、笑いの中身の違いや深さには、昭和初期時代などの過去にはない面白さです。
彼らの笑いは、今なお新鮮さを失わない面白さを、Youtube でも見聞きできるのは幸いです。
お笑い芸人が、そのレベルの深さにおいて突出している国と言うのは、それほどに、国民の生活レベルが安定している事を意味します。(どのような収入下にあっても、生活できないと言うのは、いつの時代でもあります)
まさに、お笑いのレベルは、その国の文化レベルを物語っているでしょう。
勿論、お笑いもその質と言うものが有るとも言われることですが、それにこだわりすぎると、一部の人のための教養の様な世界観に陥りやすいとも言えるのではないでしょうか。
平和ボケと言われるレベルの国ならではとも言えるでしょう。