Ameba Ownd

アプリで簡単、無料ホームページ作成

『風の谷のナウシカ』が示唆するコロナ以降の科学と文明

2018.09.27 05:18

https://hite-media.jp/journal/430/  【『風の谷のナウシカ』が示唆するコロナ以降の科学と文明】より

『風の谷のナウシカ』には、コロナ禍を取り巻く世の中の比喩となるようなエピソードが多数登場する。そして私たちは、世界の動きを強制的に止めたCOVID-19によって、社会のあり方を再考せざるを得なくなった。本稿では、人工知能研究者の松原仁氏と人工生命研究者の池上高志氏が、『ナウシカ』から読み解ける技術や生命と人の関わりについて語り合い、COVID-19以降の文明のあり方を予想する。

1984年に公開されたアニメーション映画および原作となるコミック版(1982年〜1994年)の『風の谷のナウシカ』(以下『ナウシカ』)は、産業文明を滅ぼした「火の七日間」という歴史を背景に描かれた作品である。火に象徴される技術や文明と自然、あるいは宗教と民族の対立がもたらすさまざまな葛藤が精緻に描かれ、問いは次々と立てられるも明快な解答は提示されない。だからこそ、この物語は、とりわけ産業革命から今に至る科学技術の急速な発展や、資本主義による経済発展とは異なる価値基準に基づく社会のあり方を模索する人々に多くの示唆を与えてきたのだろう。

YouTube「HITE-Mediaチャンネル」

『風の谷のナウシカ』が示唆するコロナ以降の科学と文明

いま世の中は『ナウシカ』の世界になっている

—コミック版『ナウシカ』の世界では産業文明が滅びて千年経った世界で、人々はマスクをしていないと生きられず、過去の文明に汚染された大地に生まれた新たな生態系「腐海」の有毒な瘴気から風によって守られている風の谷にトルメキア軍の船が来たことで瘴気が持ち込まれてしまうといったことが起きました。まるでCOVID-19が世界中で流行した今の世の中を見ているかのようです。

池上高志(池上):『ナウシカ』には、今の時代に生きる我々にとって非常に重要なメッセージがたくさんふくまれていますよね。時代の方が作品に追いついているようにも見えます。

松原仁(松原):そうですね。僕もこれだけみんながマスクしている光景を見て、「ああ、世の中が『ナウシカ』の世界になっているな」と思いました。

池上:映画から類推できる背後の世界観が想像力を喚起させるという意味で良い作品ですね。当時『スター・ウォーズ』(1997年)や『エイリアン』(1979年)など実写のSFを見てきましたが、『ナウシカ』はアニメでも素晴らしいSF作品が作れるのだと感動したのを覚えています。でもこの作品には解かなければならない問題が描かれていますね。しかもそれはAI的ではなくALife的です。

例えば、『風の谷のナウシカ』の舞台設定は、マスクなしでは5分で肺が腐ってしまう腐海と王蟲の存在する世界ですが、それらは世界を浄化させるための装置として人工的に作られたものです。これはALife的な発想で、自然対人間という二項対立でもない。むしろ二項対立になっていないからこそ、この作品が現代においても大きな意味を持てるのだと思います。

僕は人工生命によって生態系自体を維持することは可能なのかという問題への関心から、「バイオスフィア3」という構想を持っています。米国アリゾナ州には「バイオスフィア2」(*1)と呼ばれる研究施設があるのですが、それは外界と物質的なやりとりをしない、ガラスの温室の中で生態系が維持できるかどうかを検証するという研究です。『ナウシカ』の世界設定は、その発想と非常に近いと思いました。

松原:池上さんの構想するバイオスフィア3と『ナウシカ』を照らし合わせて考えると、王蟲にあたる要素は必要かといった想像をふくらませられて楽しいですね。

池上:もう少し詳しく説明すると、「バイオスフィア1」は地球全体の生態系のことを指しますが、「バイオスフィア2」はアリゾナ州オラクルの広大な土地を使って、人工の生態系をつくりだしています。光エネルギーだけが外から入る閉鎖系の環境で、熱帯地方の土壌や水系、植物、虫、動物、あるいは砂漠地帯の生物など、地球上にある既存のさまざまな生態系がその中にコピーされています。ぼくの考える「バイオスフィア3」では、情報の閉鎖系を考え、自分たちでつくる情報だけで維持される生態系を考えています。情報は、DNAやタンパクのような化学分子から、書籍、コンピュータ、インターネット、脳、あらゆる形態の情報という環境の中での生態系。情報閉鎖系の中で、人間とそれを取り巻く生態系を考えた場合、どのように維持できるかを考えたのが「バイオスフィア3」です。

『ナウシカ』は人と自然の関係についても示唆を与える作品ですよね。例えば「自然のある場所が好きだ」という人の多くは、本当に人の手が入っていないジャングルには行きたがりません。美しい海岸の近くにあるホテルや里山など、人の手が入ることで人が快適に住めるようになった状態が多くの人に望まれている自然のあり方です。本来の自然は人間にとって都合よく作られたものではありません。ですから、あくまでも人間を中心に置く以上、自然のあり方はナウシカの世界のようにはならないはずです。

池上高志氏(人工生命研究者)

COVID-19は王蟲のようなもの?

松原:自然が好きだと言っても、本当の自然だったら生きて帰って来られるかも分かりませんしね。ナウシカはそれを問おうとしているのだと思います。映画版の『風の谷のナウシカ』は風の谷に押し寄せた王蟲たちの怒りをナウシカが鎮めたことで大団円の完結を迎えますが、これは考えてみるとハッピーエンドで終わっていい状況ではないですよね。あの後も人間たちは腐海と付き合っていかざるを得ないし、きっとまた王蟲の大群もやって来るはずですから。

池上:作品の中で王蟲は人工生命として作られているけれども、今の地球でもイナゴの大群が発生します。今回のCOVID-19なども王蟲に近い存在と言えるかもしれません。人間も自然現象の一部なので、どこから王蟲のようなものを生成したと言えるかは分かりませんが、今COVID-19が現れたことを『ナウシカ』になぞらえて言うのなら、人間が地球上の自然環境にひどいことをしすぎたからそれに対する結果が返ってきたということになります。

松原:地球で起きていることは多かれ少なかれ、人間のこれまでの行動の結果ではあるわけです。イナゴがあのように大量発生するのも、たぶん人間がアフリカのどこかで自然生態系に干渉してきたことと無関係ではないわけだし、コロナにしても自然に対する何らかの因果が作用して世界的な大流行になっているはずです。そう考えると、自然対人間という二項対立ではなく、好むと好まざるとにかかわらず両者は関わり合いながら存在しているということを、宮崎駿監督はかなり生々しいかたちで作品にしたのだと思います。

だからこそ『ナウシカ』は、「自然との共生」という言い方で安易に評価することができないんですよね。今でも自然と共生するのがいいことだと言う人はいるし、僕もそれが悪いことだとは思いませんが、気軽にそういう表現をするべきではないということを宮崎監督はあの作品の中で言っているのだと思います。

松原仁氏(人工知能研究者)

池上:COVID-19の影響で興味深いと思うのは、オンラインの世界を人間がどんどん進化させていることです。そういうことって、これまでのSFではあまり描かれなかったと思うんです。外部から宇宙人などの敵が来たら戦って元の平和な世界を取り戻すストーリーが多かった。でも今は人類の方がオンライン上にそれまでとは違うベクトルの社会を作ることを始めている。昔からある自然は確かに象徴として色々なイメージで表現はされますが、それとは違った形で社会生活を送ることが定着しつつありますよね。

その上で経済発展ばかりが重要ではないという価値観に転換できれば、変化を妨げるくびきとなる価値観や社会構造など、色々と手放せるものがたくさん出てくると思います。僕の友人にも都心を離れて離島に移住して楽しく暮らしている人がいます。そういう生活を望めばできないわけではないので、これから脱東京化は加速すると思います。物理的に都心にいる理由はなくなってきていますから。

松原:COVID-19によってオンライン化が進められたと同時に、都会に住むことのメリットが大きいことによる大都市集中の価値観も変えてしまいましたね。最初の流行地となった武漢もそうでしたがウイルスは人が密集する大都市の方がより大きな影響が出てしまうので、世界的にも人が分散して住む方向に流れています。それが、文明をリセットする神の意図だと言ってしまうと宗教的になってしまいますが。

機械は生命に近付いていく

機械は必然的に有機体となる

—『ナウシカ』に登場する人工生命は、どれも有機的なフォルムをしていますよね。巨神兵は兵器としてつくられたにもかかわらず。この点はどう思われますか?

池上:兵器に限らず技術の進歩は、有機的な生命に近いものへと向かっていると思います。今僕が手掛けているアンドロイドの開発でも、アンドロイドの体内に体液を循環させる必要性について議論しています。外側だけではなく内側のセンサーも持たせる場合、メンテナンスがしやすくて壊れにくく、機能しやすいものにするためには体中に液体を回すのが最も効率がいいという話にだんだんなってきているんです。

松原:AIやロボットの開発者が必ずぶつかるのはエネルギーの問題です。無機物でつくっていくと大量のエネルギーを消費しますが、いまだに生物のエネルギー消費量で同じように動かせるアイデアが出てきていないんです。将棋や囲碁で人間に勝つようなAI、例えばAlphaGOなんかはすごく大量の電力を消費しています。言ってみれば人間の100万倍もエネルギーを使うシステムの性能が人間よりもいいのは当然と言えば当然なんですよね。

そう考えると、『ナウシカ』の中で王蟲や巨神兵が人工的な有機物としてつくられていたのは、至極合理的なことなのだと思います。消費エネルギー量が圧倒的に少なくて済みますから。毎年開催される「ロボカップ」というロボットによるサッカー競技大会があるのですが、いまだにハーフ45分の試合はできていません。ロボットが充電なしに45分間も走り回れないからなんです。やっぱり有機物は偉大なんですね。過激な意見かもしれませんが、AIの軍事転用を進める際にエネルギー効率を考えると、AIよりも人の値段の方が安いという話にどこかの時点でなるかもしれません。「一人の生命は地球より重い」と言った日本の政治家が昔いましたが、世の中の現実を見ればそんなことはないでしょう。

池上:今ロボットの開発で解決しなければならないのはエネルギーと、後は材質の課題ですよね。2008年位に、動く油滴を自律型ロボットと考えて研究していました。この油滴の材質は、無水オレイン酸が水和反応によって生まれるオレイン酸の膜を着て、自分で動き出すシステムです。これだと、プログラムするのが難しくロボットとは呼ばないかもしれないが、今ではMITなどでもハードシェルではないロボットの皮膚の材料探しが積極的に行われ、どのような材料なら軽くさまざまな環境や場面に適応できるロボットがつくれるのか研究されています。例えば海の中を自由に移動するロボットが持つべき皮膚はどういうものであるべきかといったことです。その研究プロセスは、あたかも生物の進化を原始からやり直しているかのようです。

ロボット以外の技術も材質の選び方が重要ですね。核融合装置をつくる際に一番問題となるのは、溶けない炉をつくることです。何も対策せずに中性子をガンガン壁にぶつけられたらすぐに穴が開いてしまいますから。今は科学技術の世界ではソフト以上に形態やハードの開発が重要となっています。進化や環境への適応において何が必然なのかを真面目に考えなければならない。宮崎駿監督がそこまで全部見通して『ナウシカ』を描いたのかは分かりませんが、いまだわれわれの知らない第2種の機械という方向はあるのだと思います。

遊びの再発明が必要となる

文明の再構築に貢献する科学のあり方

―COVID-19の問題の難しさは、弱い立場にある人々を置き去りにすることによって皆が共倒れになることを突きつけている側面があることです。デジタル化に適応できる人とそうではない人、医療にアクセスできる人とできない人など、科学技術の恩恵を必ずしも全員が受けられるとは限りません。また、リモートワークなどが可能になるのは、エッセンシャルワーカーの労働があって支えられている側面があり、それらを置き去りにしてしまうと社会そのものが立ちゆかなくなります。それを踏まえて、コロナ以降の文明についてのお考えを聞かせていただければと思います。

池上:例えばマンガに描かれる子どもの王国のように、皆が小学生のように発想したり、遊んだりする世の中になれば物事の考え方が大きく変わるし、つくられる文明も今とはまったく異なるものになると思います。大人は過去に生き、子どもは今に生きていること自体を楽しんでいる。彼らは過去ではなく未来に何が起こるかに関心が向いているのですね。退屈しない世界をつくるためには、今まで価値があるとされているものを、まず徹底的に捨てるような教育が必要ではないかと思います。

松原:教育もですが経済システムも変わってほしいですね。とは言っても、それは強い慣性が効いているので、なかなか現実的には難しいと思います。今財力や権力を持っている人たちはそれを手放したがらないでしょうし、自分たちの利権を守れるだけの力も持っているわけですから。既得権益を全部ひっぺがして社会主義のように全員平等にしようというのは無理にしても、もし本当に彼らが賢ければ不平等の解消に向けて考えていくだろうとは思います。そうでないと自分たちの持っているものさえ守ることができないことに気付いてくれると思いますが。

池上:本当にそのとおりだと思います。例えばそれまで都会に住んでいた人の多くが田舎に住むようになったら、今の経済システムは変わらざるを得ない。

松原:僕が去年まで住んでいた函館では、ほとんどの世帯が東京に比べれば低収入で暮らしていますが、それなりに豊かな暮らしをしています。現金収入がそれほどなくても結構広いところに住めますし、食べるものは知り合いの農家や漁師の人から魚介類や野菜をもらえるので、食費もそれほどかからない。なかにはお米を買ったことがないという人もいます。そういう暮らしを知ると、現金がたくさんあって、高級住宅地に住んで、高いレストランで食事をするのが良い暮らしだという価値観が変わるでしょうし、そういう人が増えれば経済システムも変わっていくはずです。

池上:そのような変化を加速させることが第一歩ではないかと思います。そうしたら、それこそトランプゲームの「大貧民」の革命みたいに、田舎に住んでいて広大な土地を持っている人の方が今都会で贅沢をしている人たちよりも豊かだという価値基準に変わっていくはずです。だからこそ遊び方や楽しみ方の再発明がすごく重要になるはずです。これまでは既存の遊び方に対応したサービスや企業にお金が集まって発展してきましたが、別の楽しみ方がつくられたら経済システムもそちらに合わせて変わっていきます。ですから、これから考えるべきは、遊び方と楽しみ方の再開発なのだと思います。

分散型国家へ移行する

遊び方や楽しみ方の再発明が重要だ

松原:少し悲観的な見方かもしれませんが、僕はこれからもCOVID-19に類するものが度々来ると思っています。それは遠い未来の話ではなく、しかも何年かごとに定常的に来ると思います。あたかも『ナウシカ』の世界で王蟲の群れに定常的に襲われるように、です。

人類にとって不本意かもしれませんが、そうした環境が既存の価値観に基づく文明や社会のネガティブな側面を見直し、新しい社会を構築することを促す側面もあるのだと思います。すでに気候変動もふくめて地球環境全体が人類の生存にとって相当まずい方向に進んでいることに内心みんな気がついているはずです。そこにCOVID-19のような脅威が生じることで、それまでのあり方を反省するきっかけになるかもしれません。将来的には今よりもさらに致死性が高いウイルスが発生するかも分かりません。それに備えられるように社会の仕組みを変えておかないといけない。

池上:より多くの人の生存を優先させるなら、ベーシックインカムの導入や分散型国家への移行が社会の再構築を加速させると思いますし、国を統治するためにもAIの技術はより重要になるでしょうね。東京もだんだんと人が住むのに最適な環境ではなくなってきているうえに、大地震が明日にでも来るかもしれません。そうすると東京の人口を半分にしてもいいと思うし、それがトリガーになって分散的な国家として機能していくようになるなら地方分権も促進されるので、日本全体にとっても良い形に変わっていくと思います。

松原:ここ数年続く夏の猛暑を考えると、8月の首都圏は人が住むには適さない場所になりつつあることを誰もが感じ始めていますよね。今はそれこそインターネットもAIもあるので、首都圏に集中していることのメリットよりデメリットの方が、今回の感染症もふくめた色々な問題から可視化されています。本社を地方に移転した会社も出てきていますが、そろそろ新たな「分散型国家」をマニフェストにする政治家や政党が支持を集めてくれるのではないかと期待しているんですけどね。

科学者の自由意志とは?

今、科学者の自由意志が問われる理由

池上:松原先生は、科学者の自由意思についてはどうお考えですか? このCOVID-19のある世界で何を研究したらいいか、これからの文明についてどういう方向で考えていくべきか。COVID-19の影響は大きく、関連する論文がたくさん出ていますよね。

松原:情報工学でもそうですよね。シミュレーションなどをふくめて今はCOVID-19関係の研究だと予算が通りやすいわけです。

池上:実際にダイレクトな影響が出ていますよね。ただ、僕は個人的には研究は大いなる遊びだと思っています。そうすると、何を遊びと考えるかが問われます。

松原:それも変わっていきますよね。僕もコロナをきっかけに今やろうとしている研究テーマを少し見直して、前以上にAIと社会の関わりを重視するようになりました。それは、僕の研究するテーマもそうだし、僕が審査の対象とする研究もそうです。例えば、前はそれ程いいと思わなかった研究テーマについて、価値観が変わった今は評価の仕方が変わるという変化はあります。

池上:今は科学者の価値観がすごい勢いで変化していると思います。例えばもとからですが、僕の周りでは、AIのその先にある「身体性」について議論されたりすることが増えました。これまでのように機械学習を使ってガンガンやればバラ色だ、という風潮は少し揺らいでいる気がします。その影響が目に見える形で出てくるのが何年後かは分かりませんが。

それから今は色々な実験がオートメーション化されています。近い将来には論文作成もオートメーション化される時代が来ると思います。人間が気付かないことをAIが気付き、それをもとに理論を構築する人工のシステムを構築するのは夢物語ではなくなってきます。そうすると科学者にとって最後に残るのは、やっぱり自由意思の問題なんです。「お前はどうしてそれを研究しようと思ったのか?」という問いにどう答えるのか。それは人間の好奇心や、なぜ遊びたいかという動機に帰結するのだと思います。

AIのその先にある「身体性」

そして生命と生命の問題について多くの人が考えるようになってくると、これまでの唯物論的な物の見方から脱却した科学が生まれる可能性が出てくるはずです。むしろ、そうならざるを得ないのではないかと思います。松原先生は、このコロナの時代を経てAIがどうなるか少し気になるんじゃないですか?

松原:AIそのものではなくAIと何かを結びつけるという方向性が今までもありましたが、それがより加速されると思いますね。AIだけだとそろそろ3回目の冬の時代なので、この流れが出てきたことはむしろAIにとってもチャンスかもしれません。