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Colline de brouillard 霧の丘

写真の亡霊〈2〉―言語領域と壁

2017.03.23 14:18

  

 ジェフリー・バッチェン(Geoffrey Batchen 1956‐)の不屈の解析によって、写真がそれ自体、存在の捉えがたい〈亡霊〉として漂っていることが分かった。もはや言葉の呪縛から解放された写真は、他方ですべての意味を有さない存在となったのではないかという疑問を孕み、わたしたちの認識を袋小路に陥らせたこともまた、自明となりつつある。

 わたしは、ここにひとつの方法論を提示する前に、写真と言葉についてもう少しだけ考察を深めたい。

 元来、言葉は明確・不明確な文法、指示、文脈、語外意味など様々な要素とそれらによる効果を形成して巨大な体系を得たばかりか、言語領域に属する人々の思考的方向性をある一定のレベルまで同化させることに成功しているといえよう。なぜならば、言語が秩序やモラルの共有意識を下支えすることになるからである。逆説的に捉えれば、ユーゴスラビアのヨシップ・ブロズ・チトー(Josip Broz Tito 1892‐1980)の偉業が力による支配だったと批判されてもなお、言語の異なる民族をひとつの秩序にまとめた点を評価されることからもうかがい知れよう。言葉のもつ強制力がいかに強固であるかを示すばかりか、近代化への変動と言葉が切っても切り離せない関係にあることを如実に物語っている。

 話を写真と言葉に戻そう。日本における写真史は、写真が西洋発祥の技術であることを理解すればするほど、おそろしく全体の黎明期に近づくことができる。言い換えれば、極東の島国が写真史全体の流れにほとんど遅れをとることなく、歴史をつむいできたと言ってもよい。にもかかわらず、長らくあくまで輸入技術であり、輸入された知覚の枠を出なかったこともまた事実である。ここには写真という単語に魔力が潜んでいたことに原因があるように思えてならない。

 単語としての〈写真〉自体がいつごろから明確にフォトグラフィ(=photography)の訳語として定着していたかは定かではないが、それは技術の伝播以前に中国大陸から伝わっていたこと、写真機の輸入・撮影行為の最初期にはある程度一般的な用語として定着していたことはどうやら疑う必要がなさそうである。この「真を写す」の意に現れた機能解説的用語がフォトグラフィの邦訳にあてがわれ、ただ固有名詞的な使用とは別に潜在的に機能面での性質が付加されたことが、後の日本の写真界を世界の後発に押し込めたひとつの要因ではなかったか。

 まず、語源たるフォトグラフィには「真を写す」という意味はない。直訳すれば、「光の絵」とか、「光画」がふさわしいが、いつのまにか、それがどうあるべきかといった役割、または使命を負わされ語り継がれてきた側面がある。結果的に写真のもつ再現性が、真実という実に不明瞭な概念領域の守護者として、言葉の端にべったりと張り付いてしまっていることをわたしたちはよく知っている。この潜在的に添加された価値基準によって、いくら海外から新たな知覚方法、認識方法を輸入したとしても、いくら〈写真〉という言葉と実際に紙の上に定着された風景との間になんの隷属的関係も成立していないことを説明されても、完全には分化できないでいる。それはどこか信仰のようですらある。また、たかだか日本語の稚訳をことさらに煽りたて、いたずらに言葉遊びに興じていると一蹴できるほど、すでに〈写真〉に寄る辺はない。

 プレーヤーたる日本人写真家も、長らく根本的な認識と写真の関係を示してきたかというと甚だ怪しい。幸福の在り方だとか、エロスだとか、自己の内面だとか、郷愁だとかといった、わかったようでさっぱりわからないご都合主義を撒き散らし煙に巻いてきたのである。圧倒的多数の視点から語られる少数派のドキュメンタリーしかり、「真実などではない」と居直る一方でしたたかにステルスマーケティングを展開してきた広告写真の変遷しかり、枚挙に暇がない。

 あえて何度でも言うが、写真にご都合な「真実」を写す力などない。仮に写しこめたと自負したところで、瞬く間に滑り落ちてしまうにわか化粧である。撮りたいように、コントロールしたいようにできる世界などありはしない。「真実」がどのように作為されたものかを考えれば、自ずと写真の不安定な眼差しと、言葉の呪縛の強さが壁となって現れることに気がつくのである。

 わたしたちが過去写真に期待していた淡い希望をいまだに持ち続けるのであれば、それは実に不幸なことかもしれない。写真がなんらかの〈表現〉(=expression)だと信じて疑わないのであれば、もはや行き着く先は漂泊の旅路となるだろう。〈真を写す〉と言いながらその実、自らの意を他に代弁させる術だと腹中の背反に甘んじるのであれば、もはや目論見は無に帰してしまうほどに写真はあらゆる面で消費され尽くしている。

 今日、写真は認識した対象が「在る」ことを示す〈痕跡〉(=impression)としての存在一点においてのみ、わたしたちの知覚の術となりえるのである。(つづく)

伊豆野 眸

 ジェフリー・バッチェン(Geoffrey Batchen 1956‐)の不屈の解析によって、写真がそれ自体、存在の捉えがたい〈亡霊〉として漂っていることが分かった。もはや言葉の呪縛から解放された写真は、他方ですべての意味を有さない存在となったのではないかという疑問を孕み、わたしたちの認識を袋小路に陥らせたこともまた、自明となりつつある。

 わたしは、ここにひとつの方法論を提示する前に、写真と言葉についてもう少しだけ考察を深めたい。

 元来、言葉は明確・不明確な文法、指示、文脈、語外意味など様々な要素とそれらによる効果を形成して巨大な体系を得たばかりか、言語領域に属する人々の思考的方向性をある一定のレベルまで同化させることに成功しているといえよう。なぜならば、言語が秩序やモラルの共有意識を下支えすることになるからである。逆説的に捉えれば、ユーゴスラビアのヨシップ・ブロズ・チトー(Josip Broz Tito 1892‐1980)の偉業が力による支配だったと批判されてもなお、言語の異なる民族をひとつの秩序にまとめた点を評価されることからもうかがい知れよう。言葉のもつ強制力がいかに強固であるかを示すばかりか、近代化への変動と言葉が切っても切り離せない関係にあることを如実に物語っている。

 話を写真と言葉に戻そう。日本における写真史は、写真が西洋発祥の技術であることを理解すればするほど、おそろしく全体の黎明期に近づくことができる。言い換えれば、極東の島国が写真史全体の流れにほとんど遅れをとることなく、歴史をつむいできたと言ってもよい。にもかかわらず、長らくあくまで輸入技術であり、輸入された知覚の枠を出なかったこともまた事実である。ここには写真という単語に魔力が潜んでいたことに原因があるように思えてならない。

 単語としての〈写真〉自体がいつごろから明確にフォトグラフィ(=photography)の訳語として定着していたかは定かではないが、それは技術の伝播以前に中国大陸から伝わっていたこと、写真機の輸入・撮影行為の最初期にはある程度一般的な用語として定着していたことはどうやら疑う必要がなさそうである。この「真を写す」の意に現れた機能解説的用語がフォトグラフィの邦訳にあてがわれ、ただ固有名詞的な使用とは別に潜在的に機能面での性質が付加されたことが、後の日本の写真界を世界の後発に押し込めたひとつの要因ではなかったか。

 まず、語源たるフォトグラフィには「真を写す」という意味はない。直訳すれば、「光の絵」とか、「光画」がふさわしいが、いつのまにか、それがどうあるべきかといった役割、または使命を負わされ語り継がれてきた側面がある。結果的に写真のもつ再現性が、真実という実に不明瞭な概念領域の守護者として、言葉の端にべったりと張り付いてしまっていることをわたしたちはよく知っている。この潜在的に添加された価値基準によって、いくら海外から新たな知覚方法、認識方法を輸入したとしても、いくら〈写真〉という言葉と実際に紙の上に定着された風景との間になんの隷属的関係も成立していないことを説明されても、完全には分化できないでいる。それはどこか信仰のようですらある。また、たかだか日本語の稚訳をことさらに煽りたて、いたずらに言葉遊びに興じていると一蹴できるほど、すでに〈写真〉に寄る辺はない。

 プレーヤーたる日本人写真家も、長らく根本的な認識と写真の関係を示してきたかというと甚だ怪しい。幸福の在り方だとか、エロスだとか、自己の内面だとか、郷愁だとかといった、わかったようでさっぱりわからないご都合主義を撒き散らし煙に巻いてきたのである。圧倒的多数の視点から語られる少数派のドキュメンタリーしかり、「真実などではない」と居直る一方でしたたかにステルスマーケティングを展開してきた広告写真の変遷しかり、枚挙に暇がない。

 あえて何度でも言うが、写真にご都合な「真実」を写す力などない。仮に写しこめたと自負したところで、瞬く間に滑り落ちてしまうにわか化粧である。撮りたいように、コントロールしたいようにできる世界などありはしない。「真実」がどのように作為されたものかを考えれば、自ずと写真の不安定な眼差しと、言葉の呪縛の強さが壁となって現れることに気がつくのである。

 わたしたちが過去写真に期待していた淡い希望をいまだに持ち続けるのであれば、それは実に不幸なことかもしれない。写真がなんらかの〈表現〉(=expression)だと信じて疑わないのであれば、もはや行き着く先は漂泊の旅路となるだろう。〈真を写す〉と言いながらその実、自らの意を他に代弁させる術だと腹中の背反に甘んじるのであれば、もはや目論見は無に帰してしまうほどに写真はあらゆる面で消費され尽くしている。

 今日、写真は認識した対象が「在る」ことを示す〈痕跡〉(=impression)としての存在一点においてのみ、わたしたちの知覚の術となりえるのである。(つづく)「fusée mol:03」(2016.05)より

                                   伊豆野 眸