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ほんとうの幸せってなんだろう?

2018.09.28 09:08

Facebook・能村 聡さん投稿記事 【新しい地球でのほんとうの幸せってなんだろう?】

こんにちわ。また超長いけど、大事なことなので、よろしければ読んでください。

いつも不思議に思うんですが、経済成長が必要だ、必要だ、成長戦略がどうだこうだと、政府や御用学者は叫んでいます。

皆が、四半期のGDP(国内総生産)の成長率を固唾を飲んで、見ていますね。

GDPが増える=豊かで幸せ なのでしょうか?

どうも違うのではと感じます。戦後の焼け野原からの復興期はそうだったかもですが、今は逆なのでは?GDPが増えれば増えるほど、不幸せ、あるいは幸せ感は減ってしまっているのでは。

ブータンはGNH(国民総幸福)を国家の発展の指標にしていますね。どう違うんでしょうか?

お仕事されている関係者がいると申し訳ないですが、病人が増えて、病院や医者が栄え、薬がたくさん処方されて製薬会社が繁盛するとGDPが増える

世の中、争いばかりになる→弁護士が儲かるGDPが増える

製品寿命を短くして壊れやすくする→買い替えサイクルが短くなって、生産量が増えてGDPが増える、が、資源や環境には大きな負債を抱えることになる

まともな食べものをとっていれば健康→忙しくてその暇がない→添加物まみれの加工食品依存、そしてサプリメントでそれを補う→食品産業やサプリメント業界が潤ってGDPが増える

GDPが増えることで、逆に「お金」も失っていることも多い気がします。

もちろん失っているのはお金だけではありません。人間やたくさんの生きとし生けるものの貴重な「いのち」とその健康です

みなさん、ものを買うときに、値段(価格は絶対見ますね、そりゃ、安いものに目が向くでしょう?でもそれが、遠くの国の「いのち」の犠牲、貧しい人からの労働搾取(児童労働さえまだある)、自然環境を破壊して、作られたものだから安い(例えば森を伐採しても植林もしないとか、環境の法規制が未整備な国で空気や水を汚す廃棄物を適正に処理するコストのかかる装置をつけず、環境に垂れ流ししている)としたら、それを平気で買えますか?

山ほどそういうものは身の回りに溢れかえって、あるんです。

知られていない、不都合な真実は意図的に知らされていないことが多すぎです。

原発で皆、電気を作る時の危険を骨身にしみるくらいよくわかったと思いますが(まだ懲りない人たちはお金の奴隷から抜け出せていませんが‥)、燃料のウランを採掘しているオーストラリアの露天掘りの鉱山をみたら、腰抜かしますよ。

放射性物質がいっぱいの鉱滓が放置され、凄まじい放射能汚染で先住民のアボリジニーの皆さんが犠牲になっている

この世界はグローバルサプライチェーン(地球規模の流通システム)で繋がっているんです。

地球は何もいいわず無条件の愛で、人間に恵みを与えてくれてきましたが、もう限界です愛してほしい、私をもっと大事にしてほしい、という悲鳴が聞こえませんか?

「いのち」を台無しにしながらの野蛮で貪欲な経済成長に何の意味があるんでしょうね。

この社会って、お金を稼ぐために無駄な消費を、コマーシャルという洗脳で促して、意味の無いお金を使わすことで成り立っているのだと思います。

人や自然を傷つけると、お金が儲かる仕組みになっているとしか思えない

そうしなければ経済は行き詰まり、作っても売れなくなってしまういわば「自転車操業」なんです。止まると倒れてしまう恐れ、成長しないと潰れるという強迫観念に皆、特に経営者や資本家が囚われている。

視点を変えて、お金で買えないものは何かをよく考えてみましょう。それがこの問題の出口を探る糸口になります。

人それぞれの部分はありますが、それは、本当の愛、絆、信頼、そしていのちと健康、そして時間です。経済成長やお金ばかりを追い求める生き方は「時間泥棒」に魂を売り飛ばすことかもですね。ミヒャエル・エンデのモモを読んだ方はわかるでしょう。

そういうかけがえのないものを台無しにして、金儲けに邁進して、経済が成長し、給与(賃金)が増えれば、国民は幸せになれるし、自分たちの票にもなるという、今の政治家が声高に叫んでいる貧困な発想とパラダイムから自由になる方が、僕たちは幸せになれると思う。

今の経済システムでは必要なお金は確かにあります。完全にお金なしでは生きていくのは一般的に、特に大都市住民には難しいでしょう。

エネルギーも食べ物も全てではなくても自分で作ることは不可能ではないです。あるいは地域共同、地産地消で可能になるかもです。もうそういう生き方や地域づくりを始めているところがいっぱい現れてきています。

結局、意識が濁り、エゴにとらわれて、今さえよければ、自分さえよければ、金さえあればの低次元意識にとらわれていると、ますますこの社会はジリ貧になっていく気がする

本来の、つながり、ご縁、助け合い、シェア、おかげさまの考えをもとに、経済を作り直せば、本当に幸せになれる、資源や環境の浪費も減る、地球も喜ぶ、と思います。

一時、はやりましたが、マータイさんの「もったいない」の精神です。これには深い意味があります。必要のない無駄をなくす、人間でもそうですね、無駄な内臓脂肪を溜め込むメタボリックシンドロームで不健康になる。

モノを、そしてもちろん人を大事にする。モノを使い捨て、ぞんざいに扱う使い捨て社会は、人もいのちも使い捨てる社会です。

無駄を無くす努力を無駄と思わないでくださいね(笑)

お金の節約にもなりますから。

京都の伝統的な生活の知恵は、「しまつ」です。漢字では「始末」。これは勘違いされていますが、「ケチ」ではないですよ。また、それは「後始末」ではないんです。後始末は、対症療法、問題が起きたら、対処する、例えばゴミ、始末は食べ物で言えば、そもそもゴミが出ないように食材を賢く無駄なく使うという発想。 

資源やエネルギーの節約にも通じる考え方が根っこにあります。後先(あとさき)考えて(最初・先(始)と最後(末))を考えて、暮らすこと。「後先」考えないで、破滅に向かって突き進んではいけませんよ。そろそろスローダウンした方が良さそうですね。

誰も欲しがっていない、必要としていないのに、欲しがるようにコマーシャルで洗脳して、別になくてもいいものを、一生懸命開発して、売っている気がする。

僕は大きなドラッグストアなどの量販店に行くと、ゴミ置場に見えます。鼻をつんざく臭い化学物質の充満した店内に入るのは苦痛です。

本当に、人の健康や幸せのために必要なものか、それを作り、使う、捨てる際にで人や地球を傷つけていないか よく考えてみましょう。わからなかったら、お店やメーカーに聞きましょう。最近はネットでも調べられますよ。

そういう賢い消費者が増えないと、私たちはいつまでたっても経済の奴隷、お金の奴隷。

「経済」の語源は「経世済民」=世の中をうまく経営して、民衆を救済するの意味です。今は逆になっていないだろうか?エネルギー政策はその典型だが、間違った「経世」によって起こした、あの原発の大事故で、「済民」どころか、無辜の民衆を放射能被曝と地域社会崩壊という地獄に突き堕とした。

さて、モノにも意識があるは本当です。だからできるだけ長く大事に使いたいものです。

昔は女の子が生まれたら、桐の苗を山に植えたそうです。その娘さんが嫁ぐ時に、ちょうど、成長の早い桐は、嫁入り道具の桐箪笥を作れるくらいに成長するんだそうです。そして、またその娘にと受け継がれていったんです。

僕は京都の錦市場にある有次さんという、プロの料理人も買いに来る調理道具の老舗でユキヒラなべを買って使っています。値段はホームセンターのものの10倍はするでしょう。ある日、うっかりして空焚きしてしまいました。

安物ならリサイクルしていたかもですが、有次さんに持って行くと、焦げて外れてしまった木の取っ手を取り替えてもらえてと、焦げた金属の表面をメッキし直して、全く新品同様に生まれ変わりました。修理代9千円。でも、少しも惜しいと思いまいませんでした。一生ものだからです。

毎年、毎年モデルチェンジして、捨てさせ、買い替えさせる発想とは真逆の文化が日本にはあったんです。

もしかすると近い将来、預金封鎖や市場崩壊などが起きるかも知れません、お金は紙くずになります。その影響を最小限にする準備をしましょう。お金がなくても生きていける部分を少しでも増やしていくこと

ほんとうの幸せは毎日、魂が喜ぶ好きなことをして楽しく、のんびりと生きること。そして自然と共に生きること、若干の時間を自発的に他者(家族や隣人、そしてコミュニティ)のためにに奉仕すること。「ゆい(結)」の心で、他者と結び合い、助け合い、社会(まちむら)を作りで、競争ではなく「共創」すること。共に生きる(共生)ことで、愛と喜びを与え合うこと。そして自然と共に生きること

もう気がついている人は行動していますね。 

「断捨離」もそうです、いかに無駄でいらないものばかり買って溜め込んでいたかに気づきますね。

これが覚醒(大いなる目醒め)の第一歩なんです。

本当の豊かさ、幸せ感が湧き出す泉は、あなたの心の中にあります。


Facebook・草場一壽 (Kazuhisa Kusaba OFFICIAL)さん投稿記事

デマ

 あれもこれも、「情報」が世の中に流れて、現在ほど「デマ」というものがあふれている時代もないように思います。

 デマ。もともとは古代ギリシアにおけるデマゴゴスdēmagōgos(民衆の指導者,転じて民衆を扇動する政治家)による民衆操縦のための宣伝・扇動が原義である、とのこと。流言飛語とも言いますが、単にいう「嘘」よりも意図的なものです。

 正体の見えないものからの悪意が感じられるのが、いまの世の中の怖さのひとつではないでしょうか。

 寓話や昔話のようなものは、なにより、心がほっとします。

ああ、正直に生きないといけないなあ。仲良くしないといけないなあ。悪口は慎んで、人はいいところを見ることだなあ。

言ってみれば「そのほうがいい」ことばかりで当たり前といえば当たり前なのですが、こんなシンプルなことが難しいのですね。

もう、ず~っと、人間はこういう教えを繰り返し、繰り返ししているのですから。

時代とともに進歩するものはたくさんあります。テクノロジーは最たるものですし、その恩恵を受けて生活も快適になりました。精密医療によって遺伝子情報を利用した治療もはじまっています。

いろんな明るい未来があるのでしょうが、正直なところ、一体いまこの世界で何が起きているのか、つかめません。テクノロジーの発達によって、もっともっと暮らしやすくなるだろうという予測がある一方で、わたしたち自身が「なにを望んでいるのか」「どんな社会を実現したいのか」が明確ではないからかも知れません。それを科学は提示できませんね。

そんなところに「デマ」が入り込む隙があるのではないかと思います。世の中の心の隙間。倫理観というか、「とっても大切なこと」を共有し、生きるということの使命をいまいちど考える岐路に立っているのではないでしょうか。


Facebook・新田 修功さん投稿記事  肝心なことは目に見える……⁉️🤣

賢者の一言 リチャード・バック

「わかったな、フレッチ。きみの目が教えてくれることを信じてはいかんぞ。

目に見えるものには、みんな限りがある。きみの心の目で見るのだ。

すでに自分が知っているものを探すのだ。そうすればいかに飛ぶかが発見できるだろう」

またたく光がやんだ。そしてジョナサンはたちまち虚空へ消えさった。

かもめのジョナサン完全版 より

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同じ飛行機乗りだった作家、サン・テグジュペリも「星の王子さま」で語っています。

「ものは心で見る。肝心なことは目では見えない」

私は、目に見えないけどいちばん大切なもの、それは「いのち」だと思っています。

「いのち」の現れが、目に見えたり、五感で感じることができるすべてのものなんです。

ちゃんと観れば、肝心なことも眼に見えるのかもしれませんね。

今日も読んでくれてありがとう