ナポレオン7-いざエジプト遠征
2021.09.28 11:12
実はパリの総裁政府もまるで不安定。1797年の国会選挙では150人が改選されたが、ほとんど王党派が勝利した。翌年の選挙で王党派が勝てば過半数を握られるため、9月4日、バラスらは、ナポレオンに頼み、軍を派遣してもらったりしてクーデターを起こし、選挙を無効にし、8万人の軍で216名を逮捕した。
さらに翌98年4月の改選では共和派が伸長すると、5月11日、またしても政府に反対する議員106人を議会から追い出した。政府の頼みは軍の勝利と略奪であり、スイスやイタリア方面にさらに侵攻する。そしてナポレオンをエジプト遠征に派遣する。エジプトはオスマンに従属していたが、イギリスの交易拠点だった。
総裁政府は、今や唯一の敵国となったイギリスを攻撃してほしかった。しかしナポレオンは、まだ海軍力は叶わないとみて、エジプト遠征にした。そこから南下して紅海を押さえ、イギリスのインド貿易を邪魔しようという作戦だった。実はナポレオンはアレクサンダー大王を夢見ていたようだ。
その証拠に、大軍隊だけでなく、学者やジャーナリストまでナポレオンは連れて行く。このおかげで、遠征で「ロゼッタストーン」が発見されて、エジプト学が進む。肝心の石板は、ナポレオンの後に来たイギリスが持ち帰るわけなのだが。しかしもはやただの軍人の域を完全に超えている。