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キリスト教で読む西洋史ー聖女・悪女・聖人・皇帝・市民

ナポレオン8-エジプト制圧

2021.09.29 11:25

1798年7月3日、ナポレオンは5万人の兵力で出発し、翌日アレクサンドリアを占領した。エジプトは、オスマンの支配下にあるとはいうものの、ベイという地方総督が乱立状態にあった。オスマンの中央集権は直轄地のみで、バルカンにしろ中東にせよ自治を認めていた。それが弱点になり欧州に周辺を荒らされる。

ナポレオンはアレクサンドリアで、我々は専制からの解放者で、アッラーとムハンマドを尊重するという布告を出した。さすが学者を連れてきただけのことはある。7月23日にはピラミッドの戦いを行ったが、中世さながらの騎兵と近代的銃砲兵の戦いで、仏軍の死傷者300人という圧勝ぶりたった。

そしてナポレオンはわが軍が200人の騎兵で敵を敗北させたという凄まじい大本営発表をパリに送る。8月20日の預言者誕生日には、ナポレオンにアリーという称号が授かった。ところが10月から仏軍へのジハードが呼びかけられ、民衆蜂起が起こると、仏軍は立て籠ったアズハルモスクに砲撃を行って突入。モスクの中を血の海にした。

さらにフランスの便りはというと、どうやらジョゼフィーヌが浮気をしているらしい。しかし彼も、ポーリーヌという愛人をつくっていたのだから、人のことは言えない。エジプトの学術調査はロゼッタストーンをはじめ、王家の谷やルクソール神殿を発見した。