愛情
愛情と一つの単語ですが
「愛」と「情」は、分けて考える
先日
満たされない「今」の境遇を
また気持ちを
過去のせいにしがちなのですが
過去は文字通り過ぎ去りしもので
過去だと思っている諸々のことは
頭の中に残っている現在の記憶でしかないわけです。
つまり
今、頭の中に残っている「過去」は
実態は存在しない。
人は自分の都合の良いように
過去を塗り替えたり
脚色したりするわけで。。。
と、書きました
その中で「トラウマ」を乗り越える
今回はそのことをテーマにしたいと考えています。
マザーテレサの言葉に
あなたが出会った人が皆
最高の気分になれるように
親切と慈しみを込めて人に接しなさい
あなたの愛が
表情やまなざし、微笑み、言葉に
あらわれるようにするのです
人を愛すること
簡単なようで難しいです。
人には「好き」と「嫌い」があり
スピリチュアルな仕事をされている江原さん
「嫌いは依存心なのです」
ありました。
先日、私はある人に
「恐れ入りますが」と、言葉を出しました。
そうしたら
「恐れ入ります」が鼻に付く!
言われてしまいました。
どうも、その方は
私を相当嫌っているらしい。
私はただ
「はい、わかりました」
人の嫌がることはやらないので
「すみませんが」と言葉を変えました
しかし
何を言ってもその人は
私を認めてはくれません。
私もいい加減うんざりして
その人を無視するようになりました。
どうして
このような人と接する羽目になるのだろう
このような人を惹きつけたのだろう
自分を責め
過去のトラウマに逃げ込んでしまいました
数日間
眠れない日々が続きます。
気づいたのは
本当はその人を、私が嫌っていて
実はその人から出る「言葉」や「アクション」は
私自身が持っているキャラクターであったと気がついたのです。
ということは
自分自身の「写し鏡」
その人から離れた時
その人から多くのことを学び取っている自分に気がつきました。
その時点で
感謝に変わったのです。
「好き」の真逆は「嫌い」
状況によっては
その人を好きにチャンスだってあったのです。
そのチャンスを逃してしまいました
まあ
現在こういった結果になるのは(結局、決別した)
よかったのですが
私は、本末転倒で
本来やるべき仕事ができなかったわけで
人が何を言おうと
自分のやるべき仕事に集中することができなかったことを
悔やんでいます
人は弱い生き物
なんでも「何かのせい」にしてしまいがちですが
それを全て解決してくれるものは
「神」の「愛」だと考えます
世の中
偶然はなく、全て必然。
素晴らしい出会いばかり求めて
嫌なことがあると
どうして私って。。。。
愛されることばかり考え
愛していこうといういう気がないことに気がつきました
愛情というと難しいですが
「好き」「嫌い」の感性は
生きていくためには必須だと思います。
生きていく以上
縄張りというものがあり
縄張りの外に出るには
敵の中に入っていくことです
動物は生きていく本能から
縄張り感覚をしっかりと持っています。
人間は動物ですから
でも、動物は人間になれない
ここが「陽」と「陰」の絶妙なバランス感覚
「愛」をとくマザーテレサの言葉には
「憎しみ」「うらみ」「嫌い」という感情が
自分の満たされなかった心を
他人という対象に投影し
結局、その人さえいなければ
その人がわかってくれれば。。。などなど
過ぎ去った過去を
自分の都合の良いように塗り替えるわけで
結局、依存しているのですね
人を「愛」するという行為は
自分がしっかりと自立していなければ
出来ないのだと
自立できない「愛」は
「情」にすがられ
流され
結局、「うらみ」「つらみ」「憎しみ」を
生み出すと思います
ただ
「情」は、悪い感情ではなく
情報、情熱、情動
「人」と「人」とをつなぐ
パイプ役のようなもの。。。かも