封印された日本古代史
https://in.newhistory.jp/talm4_gdn?gclid=EAIaIQobChMIq6ezxtyl8wIV-MNMAh1nqg6yEAEYASAAEgLDa_D_BwE 【「封印された日本古代史」失われたユダヤと古代日本の接点】 より
今からおよそ2000年前。地中海を中心に、広大な領土を統治していた帝国が存在した。
それはローマ帝国。当時ローマ帝国は強大な力をもって周辺地域を駆逐...ユダヤ人の住んでいたエルサレムもその支配下に置かれた一つだった。
ユダヤ人たちはローマ帝国の支配に不満を持ちながらも、耐えながら暮らしていた。しかし、ある日事件が起こる...紀元66年。ローマ人が、ユダヤの神殿から宝物を強奪したのだ...
これを知ったユダヤ人たちは激怒した。これを機に、ローマ帝国内のほとんどのユダヤ人が武装蜂起。ユダヤ人の独立を試みたのだった。この事態に、帝国の皇帝ネロは、紀元68年にはローマ軍を派遣。圧倒的な軍事力をもってユダヤ人の反乱を制圧...ユダヤ人たちは敗北を喫した...
この鎮圧により、ローマ帝国におけるユダヤ人による自治は完全に廃止。その後、厳しい民族的弾圧を受け、ユダヤ人たちは広大なローマ帝国から追放。帰る故郷を失ったユダヤ人たちは、流浪の民としての旅に出ることとなった...
だがその道のりは、決して楽なものではなかった。彼らが他国に入ろうとすれば、侵略者あるいは侵入者として捉えられ、迫害を受けたからだ...しかし、ユダヤ人の中には、行く先々で迫害を受けながらも、東へ東へと進む者たちがいた...
東北大学名誉教授・田中英道氏によれば、彼らは、"東の果て"を目指していたと言う。彼らは"東の果て"に何を求めて進んだのか?ユダヤ人が目指していたもの...それがなんと、我々が今住んでいる"日本"だった。
一体なぜユダヤ人たちは日本へ来ようとしたのか?そもそも彼らは本当に日本へ来ていたのか?
そんなユダヤ人と古代日本の関係の謎を紐解いたのが、田中英道の講演録・「空白の古代史」日本とユダヤの関係図である...その内容は...
目次
「空白の古代史」日本とユダヤの関係図
◯はじめに
◯シルクロードを築いたユダヤ人-迫害が生んだグローバル世界
◯迫害を受けたユダヤ人が古代日本を目指した理由
◯旧約聖書とDNAが裏付ける日本とユダヤの関係
◯天皇家とユダヤ人-日本書紀が示すユダヤ来日の秘密
著者の紹介
〜文化遺産を読み解けば、真実の歴史が見える〜
24才から単身留学。当時は留学すら珍しい時代から、「ルネサンス」発祥の地イタリア、世界最先端の芸術大国フランス、世界有数の文化国家ドイツなど、これら西洋文化の中心地を渡り歩き、研究に没頭。以来50年以上、レオナルド・ダ・ヴィンチ、ミケランジェロ、フェルメールなど... 数多くの有名美術家に関する国際的な新説・新発見を次々と発表し、「西洋美術史の第一人者」と呼ばれる。中でも、フランス語や英語で書いた論文は一流学者が引用する国際的な文献になるなど、イタリア・フランス美術史研究における”世界的権威”として、今なお、美術研究の第一線で活躍し続けている。
また、田中教授は、西洋美術研究の折、形象学(フォルモロジー)という独特の学問手法を体得。作品の表情や手足の動き、モノの形や模様などから、芸術家のもつ思想や哲学、文化や宗教的背景までをも読み取るもので、その観点から日本美術素晴らしさに気付くとともに、見落とされてきた真実の歴史をも次々と論文で発表している。
https://ameblo.jp/ninigi0291/entry-12239876831.html 【今、甦る古代日本の真の姿!!日本の古代史には秘密がいっぱい、封印された歴史が今紐解かれる。】より
今、日本の歴史が見直されている。特に縄文時代がひそかなブームになって注目を集めている。
「古代出雲大社の復元図」
縄文時代は、今から一万四千年前から二千六百年前まで約一万二千年もの間に争いもなく平和な時代が続いていた。
その後弥生時代になって田圃を作るようになってお米を主食にする、いわゆる農耕民族になったとされている。
それまでの縄文時代には農耕技術は無く狩猟中心生活で大きな文明は無かったとされていたが。
三内丸山遺跡を始め最近の古墳発掘で縄文時代の見方が一編したと言いても過言ではない。
特別史跡三内丸山(さんないまるやま)遺跡
日本の古代史に関心がある方々が、まず初めに読むのは古事記や日本書紀ではないかと思います。
しかし、古事記や日本書紀では歴史がよくわからない為に、中国の古文書参考にするが、邪馬台国論争でもわかる通り、耳で聞いて漢字に当てはめて書いた書物なので正確な地名さえ分からない。
そのせいかどうかわからないが、いまだに九州説とか畿内説とか言って謎のままです。
記述を勝手に自分の都合に合わせて解釈して的外れな説を唱えているとしか思えない。
邪馬台国では朱(丹生)が取れたと書いてあることから、
古代の日本で水銀鉱山が確認されたところは、四国の徳島県阿南市の若杉山遺跡しか確認されていない。
弥生時代の終末から古墳時代前期にかけて、顔料としての辰砂が採掘されていました。水銀鉱山がかつてありました。
この点一つとっても邪馬台国の四国山上説が確実であるしかもここの吉野川北岸には、1000基を超える古墳が確認されている。
このことは多くの知識人に無視されている。
関心ある方は下記の動画をご覧ください。
剣山TV 本当の邪馬台国 四国山上説
https://www.youtube.com/watch?v=lWJRbf_jaWU
これよりもさらに、古い歴史を考えると今の日本の学会では、偽書とされている。
古史古伝を参考にするしかない。
ちなみに、手元に辞書がある方は辞書を、開いて調べてみて下さい。
多分、「古史古伝」なんて言葉はどこにも出てこなかったかと思います。
では、「古史古伝」とはいったいどのようなものでしょうか?
この一般にはほとんど馴染みのないものにこそ、忘れ去られてしまった
超古代日本の「真の姿」が伝えられていると私は思います。。
古史古伝とは、
竹内文書
九鬼(くかみ)文書
宮下文書
上記(うえつふみ)
秀真伝(ほつまつたえ)
東日流外三郡誌(つがるそとさんぐんし)
カタカムナ文献等々
私は最近ホツマツタエや竹内文書やカタカムナ文献の解説書を読み漁りました。
なぜならこの古史古伝にしか日本の古代史を求める術がないからです。
今の歴史教科書には、アッ と言う間に大和朝廷(日本国)が出来たように書いてあります。
中国の書物『魏志倭人伝』に書いてある女王卑弥呼が治めていた邪馬台国は、
どこに在ったのかも、まだ分かっていません。私は四国阿波説を確信しています。(笑)。
それなのに教科書では、ある日突然、日本国(大和朝廷)が、誕生したのです。
高天原に天孫降臨した 天皇家の祖先が神武天皇時代に 東征し、
奈良県に日本国の首都(大和朝廷)を置き、初めて日本を統一した事になっています。
日本国の誕生です。邪馬台国の後、突然に神武天皇が、日本国を統一しました。
こんな教科書が教える歴史を私は何十年も信じていましたが。
その中でも、一番疑問に思えたのがお隣の中国から漢字を輸入するまで、日本の文化には文字は無かったと教えられた事です。
神武天皇東征から漢字が伝わるまで700年以上の間文字がなかった事の方が不思議です。
特にホツマ文字にはとても深い意味が込められています。
世界で一番古い土器(焼き物)を持っていた日本に、文字は無かったのです?
世界最古の文字(シュメール文字)が、岩に彫りこまれているのをペトログラフと言います。
文字の無かった日本に世界最古の文字(ペトログラフ)が、あるのです。
ペトログラフに書かれている文字は神代文字と言われてたくさんの種類があります
古史古伝の原本は、この神代文字で書かかれていたと言われています。しかし原本は一つも残っていません。
古史古伝の本文は基本的に48音です。やまと言葉であり、5,7調で和歌と同じ形式が多く見られます。
中でも衝撃的な内容なのが竹内文書です。しかい九鬼文書や宮下文書も基本的な話の筋はよく似ています。
はじめて竹内文書に触れたときは、トンデモ話であるわけがないと一蹴しました。しかし、他の古伝でもよく似た話を伝えています。
山口県の「彦島のペトログラフ」
現在、世界最古の文明とされているのがシュメール文明ですが。
この文明とは、教科書で教えられた世界四大文明のエジプト文明、中国文明、インダス文明、メソポタミア文明の4つです。
シュメール文明は、チグリス・ユーフラテス川下流域に興ったメソポタミア文明の初期のころに栄えた文明です。
本来このシュメール文明はスメル文明と発音するのが正しいようです。
わざわざ天皇を表わす皇命(スメラミコト)と同音であるということで戦前にシュメールと訳された経緯があります。
古来日本の天皇の事をスメラミコトと言いて日本の国の事をスメル国と言ったらしい。
シュメール文明は突然歴史の表舞台現れてたくさんの遺物を残しました。
また、忽然と歴史上から消えている、この突然と姿を消したシュメール人のその一部が日本へ渡ったといわれています。
不思議なことに、シュメール文明と日本にはたくさんの共通点があるのです。
シュメール語と日本語は、ともに膠着(こうちゃく)語と言われています。。
膠着語とは、「○○を」「○○に」「○○が」のように、単語に「を、に、が」などをくっつけてる文体系の言葉だといいます
シュメール語も、日本語のように母音も子音も表記します、漢字と仮名の混ざった日本語と同じような構造をしています。
不思議なのは、シュメール周辺では、膠着語や類似する言葉が使われていなかったという点です。
この事も、シュメール人がメソポタミアに突然現れたと考えられる理由のひとつとなっています。
このことで日本人のルーツがシュメールにあったと主張する方々がいますが、
先に書いたように日本には、世界で一番古い土器を持ち、さらに日本には世界最古の文字(ペトログラフ)が、あるのです。
この事からも解るように、竹内文書で主張されるように超古代の日本列島は世界の政治・文化の中心地であった。
このように考えるとスメラミコトがスメル民を引き連れてチグリス川流域にわたり
そこで文明を築き上げたと考える方が筋が通るしかし凄い話です。
日本の古代史は12,000年の間続いた縄文時代既に文明が栄えていたなら、
数多くの神代文字が作られてきたのも長い歴史のなせる業と思われる 。
「日本人シュメール起源説」もシュメール人が日本に渡り文明を築いたのでなく
日本人がチグリス・ユーフラテス川下流域に渡りシュメール文明を興したのだろう。
竹内文書ではモーセも釈迦もイエスキリストも日本に来て修行していたと書かれている。
この話が信じられないのも当然のことです、私も初めはバカらしい話と一蹴しました。
まとめ
いかがでしたか?信じがたい話が沢山出てきましたでしょう。
古史古伝を偽書と判断する前に一度読んで見てください、解りやすい解説書がたくさん出ています。
一度も触れずに偽書と判断して扱わないでください。
日本では権威のある人ほど損得で歴史を隠ぺいしています。
シュメール文明やシュメール人について、どの見解が正しいかどうかの議論は専門家の方に任せておいて、
本当のことは、その時代に生きていない私たちには、解らないことです。
大切なのは、何を選ぶと自分の心がワクワクするのかということです。
シュメール人は日本人のルーツかもしれません。
日本人がシュメール人のルーツかもしれません。
シュメール人は他の惑星からやってきた異星人で、地球人を創りだしたのかもしれません。
シュメール人は謎でも何でもないし、粘土板に書かれていることは、彼らの先祖からの言い伝えかもしれません。
あなたはどの話が事実と思いますか?
正しいか正しくないかをより分けるには余りにも情報が氾濫して右往左往することになります。
自分の感覚や気持ちを大切にしてたとえ少数派になったとしても、
自分の選んだことを信じることが情報過多の時代には重要だと思います。
また、自分の感覚で選び始めると、他の人と意見が違うと、自分の意見を押し付けることなく、
それぞれの大切にしていることを尊重できるようになります。
たくさんの情報が得られるのは、それだけ選択肢が増えるが事実は一つです。
自分を無くして感覚を信じるとひらめきがあります。
ひらめきには、過去の霊人から下りて来ると言われています。