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テリーフォックス

2018.09.30 05:21

Facebook・兼井 浩さん投稿記事 ★カナダの偉大なるヒーロー『テリー・フォックス』★

彼は1958年カナダのウィニペグと言う町に生まれ、バンクーバーの町で育ちました。

学生自体はバスケットボール部に所属し活躍をし、そんな矢先の18歳のある日、バスケットボールをしていると自分のヒザに痛みを覚えて当初は「練習のし過ぎ」と思っていましたが、病院で検査をうけると彼の右足は「骨肉腫」と言われる、骨のガンにおかされていることがわかりました。

今では医学も発達し骨肉腫と言う病気は早期発見されれば不治の病ではありませんが、当時は命を脅かしかねないとても危険な病気として知られ、彼は骨肉腫が発見された右足のヒザから下を切断しなくてはなりませんでした。

1977年、テリーフォックスがまだ18歳の時の出来事でした。

右足を切断し病院でガンと戦いながら、彼は失意の生活を送っていました。

しかし入院をしている中、彼は実に多くの人がガンに苦しみ幼い子供までもがこの難病と闘い、そして死んでいく姿を見て自分にも何かできることがないだろうか?っと思うようになります。

自分よりも幼い子供までもがガンで死んでいく中、自分は生きている、生きているのならば人の為に何か出来ることがあるんじゃないかっと。

そんな時に偶然「ニューヨークマラソンを走る義足のランナー」をニュースを見て、自分もマラソンに挑戦してみようと思ったのです。

彼の計画はまさに前代未聞のモノで、カナダを横断するマラソンを計画しました。

その総距離は実に8000km以上。(参考までに、日本の北海道から沖縄までの直線距離が3000km程度です)

当時、彼のこの計画は友達などからも「また無理なことを・・・」と思われていたそうですが、彼はトレーニングに真剣に取り組み、そうしてる内に回りの人々も彼のこの計画をバックアップするようになり、右足を切断したわずか3年後の1980年、彼はこのカナダ横断マラソンの走覇を決意します。

彼はこのカナダ横断マラソンを

「Marathon of Hope」(希望のマラソン)と名付け、トレーニングをしながら自らこのマラソンのスポンサーになってくれる企業を探し、そして有名スポーツメーカーなどのバックアップを得てついに1980年4月12日カナダニューファンドランド州のセント・ジョンをスタートします。予定走覇期間は実に7ヶ月と言う途方もないチャレンジの始まりでした。

(これは実にほぼ毎日フルマラソンに匹敵する距離を走る計算です)

彼のこの希望のマラソンの目標はもちろんカナダ横断を果たすとともに、カナダに住むみんなから100万カナダドル(現在の価値だと約2億円程度)の募金を集めるコトでした。

この金額は当時のカナダの住んでいる人々全員から1カナダドルを募金してもらって達成できる金額なんだそうです。

彼は順調に毎日フルマラソンに匹敵する距離を走り皆に募金を呼びかけました。

最初の内は彼が走っていても無関心な町などもあったそうですが、徐々に彼の行動はメディアなどにも取り上げられ実際に走っているテリーフォックスの姿がテレビなどで報じられるとカナダ中の人々が一斉に彼を応援し始めたのです。

彼の肉体は徐々に悲鳴を上げながらも、自分を信じて皆に訴え続けました。

彼の走る町では皆が外に出て、彼の到着を応援の声で迎えたそうです。

そして走り始めて約4ヶ月が経った1980年9月1日、彼は丁度カナダの真ん中あたりのオンタリオ州のサンダーベイと言う町まで到着した時、思いもよらぬ事態が彼の身に降りかかります。

ガンが肺に転移しており、彼はマラソンを中止せざるを得なかったのです。

実にスタートしてから5372kmもの距離を走ったところでの出来事でした。

彼はそのまま病院に入院し、その時もカナダ横断を成し遂げられなかったことよりも、募金額が目標額の100万カナダドルに達していないことを気にしていたそうです。

そんな中、カナダで大々的にテリーフォックスのコトが報道され、彼の精神と思いに感動したカナダ中の人々が一斉に募金をし、実に募金金額は彼の目標を遙かに上回る1000万カナダドル(約20億円程度)が集まりました。

その後も募金は続き、最終的には2430万カナダドル(約50億円)が集まったそうです。

この募金はほぼ全てがガンの研究の為に使われました。

そしてその募金達成を見とったかのように、彼はガンが肺に転移して入院をしてから約1年後の1981年6月28日、わずか22歳の若さで亡くなりました。

しかし彼の起こした奇跡はここでは終わりません。

彼の死後も彼の残した思いは途切れることを知らず、カナダの人々はテリーフォックスの思いを永遠に受け継ぐべく行動を起こします。

彼が亡くなった同年の1981年の9月に「第一回テリーフォックスラン」が開催され、そこでは350万カナダドル(約7億円)の募金を集め、次第にこの運動は世界中に広まり今では世界各国の58もの国々で彼の意志を受け継ぐ「テリーフォックスラン」が開催されています。

テリーフォックスランは日本でも開催されています。

彼がガンと戦いながらも人々のためにと募金を集めるマラソンを始めて以来、今までで世界中で実に数百億円以上の募金が集まり、そのほぼ全額がガン治療の研究の為に費やされ近年の最先端ガン医療の発展に貢献しました。

彼のこの行動はカナダ政府も認め、彼は22歳の時にカナダにおける最高の栄誉と言われる「カナダ勲章」を授与されています。

1999年にインターネットで行われた「カナダで最も有名なヒーローは誰?」という投票でテリーフォックスは見事に1位に選ばれました。

そして2005年の3月に、彼はカナダコインのデザインになると言う快挙を成し遂げました。

彼は1カナダドルのコインになり、カナダにおいてカナダ人が通貨のデザインになるのは初めてという快挙でした。

みんなから募金を。

たった1ドルずつの募金を。

そんなテリーフォックスの言葉と、そして思いを永遠に受け継ぐカナダの人達の思いがこのコインにはきっと詰められているのでしょう。

■テリーフォックス財団

http://goo.gl/5FHJQ

■義足の英雄テリー・フォックス「希望のマラソン」

- LifeVancouver カナダ・バンクーバー現地情報

https://lifevancouver.jp/terryfoxrun

↑ 涙が止まりませんが、是非ご覧ください。(動画あり)

***

ロッド・スチュアートがテリーに捧げた歌。

Never Give Up on a Dream  by Rod Stewart

https://www.youtube.com/watch?v=lsU2vxC93GI

無理と思っても風が冷たくても       未来のことなど心配してはいけない

夢を絶対あきらめちゃいけないって    教えてくれるヒーローがいなきゃ

この道は君のもの、太陽もほらそこに   走るのをやめさせるものなんかないんだ

太陽のように燃えている気持ちがあれば  夢は絶対、絶対あきらめてはいけない

影が伸びて日差しがなくなっても     自由が姿を隠すことなどありえない

最後のテープをずっと追いつづけるんだ  夢は絶対あきらめてはいけない

クレイジーな思いにまみれても      記録は残らずやぶれるはずだ

最後まで自ら前進するんだ        夢はどんなことがあってもあきらめちゃだめだ

縛られるものなど何もないし       同情なんかに生きてちゃいけない

先に進むことだけを考えろ、そう、先に  前に進みさえすれば自由が待ってる

そう自由、自由、自由が         縛られるものなど何もないし

同情なんかに生きてちゃいけない     先に進むことだけを考えろ、そう、先に

前に進みさえすれば自由が待ってる    くじけちゃいけないことを教えてくれた

まだまだ足元にも及びそうにないけど   今必要なのは君のような人間なんだ

夢を絶対あきらめなかったよね      そう、夢を絶対あきらめなかった

そう、夢を絶対あきらめなかった    どんなことがあっても絶対あきらめなかったんだ

***

集まった金額は目標を遥かに超えたものの、募金に手をつけることはなかったそうです。母親へのクリスマスプレゼントもお兄ちゃんからお金を借りて安いものを買ってくれたと、インタビューで母親が答えているのが印象的でした。

学生のころ骨肉腫におかされ右足を切断せざるを得ない状況になり、義足をつけたテリー・フォックスは、癌の研究基金を集めるために走ったマラソン途中の1981年6月28日、癌が肺に転移し、帰らぬ人となってしまいます。 享年22。

「夢を追いかけている人へ、夢は絶対にあきらめてはいけない」 

You never, never, never, never gave up on a dream.

***

画像:

Even if I don’t finish, we need others to continue. It’s got to keep going without me.

もし僕がゴールできなくても他の人が続けなくては。僕なしで進まなきゃいけないんだ。