一粒の麦も死なずば・・・
http://www.asahi-net.or.jp/~nu3s-mnm//wa-ku_memenntomori.htm 【死のワークショップ】
Facebook・天外 伺朗さん投稿記事
高名なセラピストによる「死の瞑想」体験記(5年前)。天外が「死神」になっている!
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玉依 真乙さんが近況アップデートを投稿しました。
2016年9月24日 · 東京都東京都世田谷区 ·《死の瞑想体験》
天外伺朗さんの「死の瞑想」を受けてきた。凄いタイトルだ。「チベットの死者の書」を素材として使った瞑想ワークで、現代人のほとんどが直面できておらずモンスター化しているという「死の恐怖」から、ちゃんと死を見つめて実存的変容を起こしていこうという意図のもの。
起きることは人によって違うはずだけれど、せっかくの機会なので自分なりに起きたこと、体験を書いてみる・・
まず遺書を書くところから始まるのだけれど、あと僅かの時間で死ぬのだと思いこむと、身近な人たちに対して、かなり本気の言葉が出てくるものだ。手が痛くなるほど、制限時間内いっぱいいっぱいに書き綴りたくなる。時間が惜しいほどに。自分はこんなに人を愛してた人間なの?とびっくりするくらい。
まもなく「死の瞑想」が、天外さんの誘導で始まる。
瞑想が進むなかで、改めて時々やってくる「まだやっぱり死にたくない」という思い「できれば逃げたい」とか。バンジージャンプ的なアクティビティの前とか、小さいころに、歯医者さんの椅子に座った時に感じた恐怖みたいなやつが、拒絶感を伴って時々ふっと沸いてくる。「怖い、やだ、帰る!」みたいなやつ。
そういえば、一休さん「死にとうない」言ってたな・・ええ、私もやっぱり「死にとうない」。よく言った。ほんとそうだ。恐怖がふっと沸いては消え、沸いては消えていく。もう、自分という存在には戻れないのかという・・絶望にも似た、受け入れられなさ。(人生を振り返るとかこれまでの人生が走馬灯のように見えてそこに意味を見出すとか・・そんなのは浮かびすらしなかった。。)涙がつつーと流れてくる。
拒絶感と、何も感じないような無の感覚とをなんとなく繰り返すなか、ある時点、何かがふっきれたのか、平安な感じになってゆくというか、何かにゆだねてゆくような感覚になってきた。流れのままにたゆたう・・軽ーくなる時点がやってくる。静けさと平安。意識がフラットになり、人間関係含め、後ろに残したことがただただ、過ぎ去ってしまった何か、になって意識から遠のいてゆくような。
正直なところ、この時点で瞑想の誘導はあまり聞いてなかった。もっと言えば、多少寝ていたのかもしれない。それくらい緩んでいた気がする。
本当に死んでゆくときには、またもっと違う体験になるのかもしれないし、それはまたその時のお楽しみとして、今感じるのは・・死は『いつか必ず自分の身に起こる何か』なのだ、という深いところでのサレンダー、実感を伴った理解。死の存在を受け入れたところからやってくる、不思議な・・あきらめにも似た安堵感。そのうえで、『今は確実に生きているのだ』、というあらためての認識。生の感覚。
「死を知ることで、生を知る。。。メメントモリ、死を思え」
言葉にするとこれほど陳腐なことはないのだけれど、体験(疑似体験ではありましたが・・)として知ることと頭での理解はあらためて全く別物であるということも、実感でした。意図されていた「実存的変容」が起きたのかはわかりませんが、いまだに何か重たい感覚はあるものの、どこか静かな腹の座り感みたいな感覚はあるかな。
あとから腑に落ちてくるものはこれからまだまだありそうですが・・いやきっとあるに違いない。今は熟成させてみたい、そんな体験。貴重な機会をくださった、「愛すべき死神」天外さんに心から感謝を。
https://ameblo.jp/kaisekimiya/entry-12213368662.html 【死の瞑想】より
題名からして、超~怪しいですが、全くを持ってその通りです(笑)
ブログを書いていて、着地がどうなるかわかりませんが、かなり怪しい記事になると思うし、多分長いです(笑)
今年の初めから毎月、天外伺朗さんの瞑想セミナーに参加しております。
この瞑想セミナーは経営者を対象とした天外塾を卒業した人が参加できるかなりマニアックなセミナーなので、興味の無い方は、ここで読むのをやめることを強くお勧めします(笑)
第1回~3回がインナーチャイルドワーク 第4回~6回が親子の葛藤のワーク
第7回~9回が経営者のための運力強化特別セミナーでした。
まぁ何をするかというと、毎回、天外さんの指導の下、みんなで瞑想をするわけですが、それだけでもかなり怪しい集まりです(笑)先月は「死の瞑想」をしてきました。
何をしてきたか?というと、正直無茶苦茶です。遺書を書き、天外さんの指導のもと、瞑想中に一度死ぬのです。「今から皆さんは30分後に死にます」と伝えられ、30分間遺書を書きます。瞑想を詳しくは書くことが出来ずに残念ですが、誘導によって、一度死に、
そして神様にお願いして、生まれ変わるという瞑想をどうだろう1時間くらいの間しました。
みな真剣で、大の大人がむせび泣く場面もありました。「人はいつか死ぬ」
ということは、僕のガチガチで頭でっかちの理性では理解していましたが、実際に本当に死んでみて(瞑想の中だが)人生において、自分自身の覚悟の甘さを痛感しました。
そして、僕はどれだけ恵まれている環境にいるかということも肝に落ちました。
さらに、さらに本当に大切なことを大切に生きていない自分に気が付きました。
現代人の僕達は死をタブー視して、なるべく意識しないで生きようとしています。
実際、ひと昔より、リアルに人の死とふれる機会は少ないはずです。
「昔より人が息を引き取る瞬間を見ることがあまりない」僕もその現代人の一人。
ラテン語で「メメント・モリ」という言葉があります。
「死を思え、自分がいつか死ぬことを忘れるな」という意味ですが、
本にもなってますね。僕も読んだことがあります。
僕達は死を意識することで人生が有限であると自覚し、生が生きてきます。
本当に大切なことを大切にしようという覚悟が生まれてくるのです。
本で読んで理性では理解していたつもりでいました。しかし、自分自身全くできていなかったのです。「人はいつか死ぬ」
今回、瞑想とは言え、一度死んでみて、深く理解できました。
◇
男子あるあるですが、幕末の志士たちが好きな人は結構多いと思います。
僕も例外なく、坂本龍馬、吉田松陰、高杉晋作、西郷隆盛........etcこの辺の本は読み漁りました。ちなみにこの辺の志士は個人的にみな大好きです^^
幕末に活躍した志士たちはみな20代。今の時代では考えられない年代です。
「いつ死ぬかわからない覚悟」この死生観が彼らの精神を成熟させたのだと思います。
果たして、僕のその覚悟があるのだろうか?
「明日死ぬかもしれないという覚悟」で過ごしたらどのような生活を送るだろう?
本当にこの仕事をするのだろうか?
と、このごろあれこれ考えると、色々な意味で、精神が研ぎ澄まされてきます。
◇
病気などで余命が短い人に「何か後悔することはある?」と聞いた質問に多かったのが、
家族と過ごす時間をもっと大切にすればよかった。妻の話をもっと聞いて、コミニケーションをとれば良かった。など、自分の一番身近な人との関係において、後悔される人が多いそうです。
これって、実は一番しんどいテーマなのですが、誰もが重要だということは頭ではわかっているはずです。それでも向き合わず、ある人は仕事に没頭し。ある人は刹那的に生きて。
ある人は無自覚で生きる。そう、僕もそのある人の中の一人です。
自分の人生が有限であることを自覚し、その最も大切なものを最も大切にして、日々生きること。素晴らしい人生を生きたいのであれば、「本当に大切なことを本当に大切にする。」
それ以上でもそれ以下でもない。
僕は先日一度死にました。そして「神様にどうしてもお願いしてこの世に戻ってきた設定」で生きてみようと決めました。
この頃、不思議と自分の良心とアクセスできて、迷いが少なくなりました。
https://tokyo.ymca.ac.jp/ifs/occupationaltherapy_blog/004252.html 【一粒の麦も死なずば・・・】 より
「一粒の麦死なずば、ただ一つにてあらん。もし死なば、多くの実を結ぶべし」という言葉が聖書にある(あるそうです)。
意味は「麦が自分一個にこだわって死ななければ、それはただの一粒の麦にすぎない。しかし、土の中で死ねば他の多くの実を生ずる」ということです。
私がこの言葉を知るきっかけは、童門冬二氏の「小説吉田松陰」を読んだことです。この小説の中で、吉田松陰が死を迎える(処刑)に当たって、生涯を振り返り考えた言葉として以下のことを紹介しています。
「十歳で死ぬからといって、決して長い将来を無くしたわけではない。十歳のものは十歳の者の四季(春夏秋冬の四季)がある。そしてそれは花を咲かせて種を残していくのだ」
「わたくしは三十にして実をつけこの世を去る。それは単なる籾殻なのか、あるいは成熟した米粒なのかは分らないが、同志がわたしの志を継いでくれるなら、それはわたしが蒔いた種が絶えずに穀物が年々実っていくといっていいだろう。そうなれば、私も残った者に収穫をもたらしたということで、恥じる気持ちがなくなる。同志よこのことをよく考えてもらいたい」
童門氏は「松陰が聖書のことを知っていたとは思えない」と書いています。
洋の東西を問わず、偉人・賢人は同じような言葉を残すのだと感じました。また同時に、若くして亡くなっていった神経・筋難病の人たちのことが思い出されました。彼らに作業療法士として種を残す手伝いができたかどうか分りませんが、日本作業療法士協会で仲間と共に実施している障害児・者へのIT活用支援者育成事業が、私の残された仕事だと感じました。
松陰は松下村塾の塾生に次のようなことも言っていたそうです。
「ぼくは師でもなく、きみたちは弟子でもない。きみたちとぼくは常に互いに学び合う関係にある学友である。ぼくがきみたちに教えることもあれば、きみたちがぼくに教えることもある」
今、学生さんたちを教える立場になり、このことを実感しています(田中勇次郎)。