すべては自分から始まっている
Facebook・能村 聡さん投稿記事
アセンションとは、目に見える世界が変わることではなく神様や宇宙人が助けてくれるのでもなく私たち自身で達成する事。人々の意識が変わり、人間がなぜこの世に生きているのかの霊的意味を理解する事。自分も相手にも認めて共に平和に生きる事。アセンションとは「自由」です
Facebook・兼井 浩さん投稿記事
朝の3時23分、私は目覚めた 曾々孫が起きろというのだ 曾々孫は夢の中で語りかける
この惑星が壊されていたとき なにをしてたの? 地球が悲鳴を上げていたとき なにをしていたの? 季節がおかしくなったとき なにをしていたの?
仲間の動物やトカゲや鳥たちが死んでいったときに、、 人々の自由が奪われたときに 街に繰り出してくれた? 問題に気付いた後で何かしてくれた?
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ドリュー・デリンジャー:Planetize the Movementという名のWEBページを通じて社会正義、エコロジー、宇宙論、或いは世の中の苦しみを共有することについて発信を続けるアメリカの教育者、コンサルタント、詩人です。
ドリュー・デリンジャーのHP:http://drewdellinger.org/
未来世代が夢の中で我々に語りかけてくるという設定で映像と詩を組み合わせたこの作品はアートを通じて世の中を変えていこうというデリンジャーの強い意志を感じさせます。そして、我々に行動を促すのです。
Facebook・野口 淳史さん投稿記事さん 【すべては自分から始まっている。】
僕らは、どこかにいると思われる《創造主(神)》が「僕らの人生のカリキュラムやらを作成し見事なまでに波乱万丈な人生を生成している。」と思っている節がありますが・・・・
実際にこの《神》という存在が行っていることは今回の新総裁の決議のように・・・結果だけ、を作成しているだけでそれに至るまでの過程は各々に委ねられているんです。
要するに≪ゴール≫は作ったけど①いつスタートするか?②いつから始めるか?③どんな風に進むか?④どの場所から行くか?⑤誰と行くか?⑥途中で辞めるか?⑦1日で辞めるか?⑧最後まで続けるか?⑨場所を変え品を変え自分を変えるか?
etc.....とかは《神》は作ってないんです。
だから昔から『手は田畑を耕し天に豊作を祈る✨』とか『人知を尽くして天命を待つ😘』とか表現されてるんですよね。
なので、アナタが《神》という存在に全知全能だけでなくすべてにおいて委ねてしまっているんだとしたら・・・非常に残念なのですが・・・💦アナタの今日も明日も明後日も来年も。。。何の変化も起きない、平々凡々な日々が起き続けるダケ😨💦と成ります。
それは、例えば・・・
占星術で『アナタは来年こーいう年に成りますよ😘✨』とか診断されたとしても
アナタが、そのアドバイスに対して≪人知を尽くさず≫そのままを鵜吞みにしたとしたら
アナタの来年は果たして「こーいう年」に成るのでしょうか?
今回の話で、お伝えしたかったことは『この部分』です✨
日本文化に疎い私は「日本のヒミツとホントを語る」ワークショップに参加しました。
テーマは日本の「聖地ネットワーク」でした。
天のライン、地のライン、人のラインの説明の後 伊勢、出雲を結ぶ富士山ラインの話があり フォッサマグマ上の聖地とそれをつなぐ天・地・人の網の目のようなネットワークが 神々の護国につながってきたが 祭儀が廃れ続けてきた今日、日本の未来に憂いを感じるとのこと。
(天・地)のネットワークは不動に近いが 人のラインは 実にもろく 昔の人の叡智も無視され続け富士の噴火予測が象徴するように 亡国の危機さえ感じる。
聖地を行き来する巡礼こそ 人のラインをつなぐ祭りであり、みなさんが旅をする時 方位磁石を携えて 聖地ライン(日の出入りのライン)を意識し 護国の祈りをして欲しいという趣旨のものでした。
聖地ネットワークをまとめていたら 出雲と天照(北の大陸と南の大陸、陰と陽)の対立が富士の噴火をぶのではないか?と考えてしまいました。
理由その1
以前出雲巡礼の時 伊勢神宮に出雲の神も祀られたと聞いた記憶があります。
もしかしたら 出雲の神は 和歌山県の日前国かたす【(ひのくま国かたす)神宮:熊野三山がご神体】に祀られ 明治時代の国策により熊野詣が廃れたと考えられないでしょうか?
和歌山と出雲は深い関係にあったことは下の資料からも 考えられます。
その2
中央構造線は東アジア大陸と東南アジア大陸の 大断層で 出雲側は東大陸側のエネルギーの神、「コノハナヤサクヤヒメ」富士ライン側は東南アジアのエネルギーの神。
【鹿児島県の笠沙の岬(笠沙の岬の地名は「ニニギノミコト」(神武天皇の曽祖父)と「コノサクヤヒメ」の出会いの場で有名な地。)四国の足摺岬、室戸岬の3岬をつなぐと朝熊ケ岳(あさまがだけ・伊勢神宮 奥の院)から富士(あさま大社)に至る。】
その3
地質も 出雲側は世界でまれな 墓石=花崗岩・御影石が埋もれた大地→黄泉の国支配
「コノハナヤサクヤヒメ」側は緑の蛇紋岩が産出。
大陸側は 最近まで裏日本といわれ 過疎化が憂われるほど。
その4
「鳥取の氷ノ山(氷ノ山)、蒜山(ひるせん)、大山(だいせん)→本来の修験道のメッカ
島根 出雲:出雲は熊野の日嗣(霊魂を継ぐ)空海は知りつつも 熊野巡礼よりも 四国を巡礼地として選んだとのことです。
その5
神無月の時も「エビスさんは 出雲にいらっしゃっていないから そう呼びたくない」という 話を 小耳にはさみました。神々が出雲に集まるという謂われは 廃れたのでしょうか?
二つの富士山ラインは 熊野詣・軽視から 陰陽のバランスを失い 富士山噴火の危機が訪れたと考えられないでしょうか?
<インターネット資料>
http://anou.mo-blog.jp/koan/2012/05/post_77c3.htmlより
熊野は、現在では和歌山県と三重県とにまたがっている。熊野三山は
いずれも和歌山県に属しているが、熊野市は三重県の最南端の町である。
その熊野市有馬町には、『花の窟(いわや)』と呼ぶ奇岩があって、
日本書紀によれば、イザナミの葬られたところと伝えている。
そしてここにも、神倉神社のゴトビキ岩と同じく岩塊がそそり立って
いる。道路を挟んですぐ隣は熊野灘である。
もともと神の寄りつく場所だったらしく、今も『お綱かけ』という
神事が行なわれている。
これは、葬られているイザナミの『魂(みたま)を祭るには、花の時にはまた花を以(も)ちて祭る』。また鼓(つづみ)・吹(ふえ)・幡旗(はた)を用(も)ちて、歌ひ舞ひて祭る」という日本書紀の記事(第五段一書五)に基づいていると言い伝える。
熊野は異界と接触する土地である。その昔、秦の始皇帝に命じられた徐福(じょふく)が、永遠の命を手に入れるために蓬萊山めざして大海原に漕ぎ出した。
そしてたどり着いたのが熊野だったと伝えられ、いつのことか、新宮市に墓ができた。中世には、仏教における異界である補陀落(ふだらく)への渡海をめざす修行僧たちが集まるようになり、出入り口を塞いだ小舟に乗って太平洋に漕ぎ出していった。
那智駅の近くには補陀洛山寺があり、那智大社の隣りには青岸渡寺が建つ。
古事記の神話では、木の国(紀伊国)は、スサノオのいます根の国の堅州(かたす)の国につながっていた。
紀伊の国と出雲の国は、熊野という同じ地名があるということからも想像できるように、理由は明らかではないが、かかわりの深いところである。
中心としてのヤマトからみれば、どちらもクマ(隈)であり、だからこそ異界に接触できる場所なのだ」(三浦祐之「古事記を旅する」文藝春秋) 再び「出雲国風土記」を振り返ってみよう。
建築様式だが、出雲大社は「大社造り」といって、伊勢神宮の「神明造り」との類似点が指摘されている。けれども、どちらかといえば伊勢神宮の神明造りは南方系の要素が強いらしく、東南アジアの多くの地域で見られる高床式・高倉穀倉を原型とするようだ。それに対して出雲大社の大社造りは大陸系に近いと言われる。いずれにしても海を越えて輸入された外来の建築様式が、中央政権の創設と時期を同じくしながら少しづつ形式を整えていったに違いない。