言葉の新陳代謝
自分が言いたいことは、なるべく自分のスペースに書くようにしている。
7月に、半年分の期間が使えるデイリー手帳を購入した。
頭の中の言葉を、ウィークリーの手帳に書ききれなくなったからだ。
大体始めは気合が入っていて、ページミチミチに書きはじめるも後々失速するというのはよくある話だと思う。
自分の場合も例に漏れず、2週間くらい経ったあたりのページから空白が目立つようになった。
しかし、それでも書きたいことがあって書くことのできる場所があるというのは、やはりいい。
見返した時に、書いた時点とは違う感情になっていることに気づき、もしかしたら書いていたときのほうが大人なんじゃないかと思うような日記を読むこともある。
8/27の日記。
『◎パルスオキシメータ …血中酸素飽和度(Sp02)計測器 購入検討』
なぜこう書いたか、意外と思い出せる。
たしか、デルタ株はワクチンはほとんど効果がないというような内容の記事を読んだ後、Twitterのフォロワーさんがパルスオキシメータを購入したというツイートを見て、自宅にパルスオキシメータがあって数値がわかったから保健所から病院を案内してもらえたというweb漫画を読んだため、必要性を強く感じたという記憶がある。
大体1万円くらいで準備することができるので購入したいと思いつつ、なかなか落ち着かなかったため購入には至っていない。
…とまあ、しかし書かないでいたらきっと忘れていたであろうことを思い出すことができるのは、少し得した気分である。
こういうものを書くとき、ブログで書くのとはまたニュアンスが変わる。
より個人的で、よりメモに近い形になる。
人様にはなかなか見せられないような話題になることもある。
ただ、なるたけ「残そう」と思えることを、嘘のない形で残すことは意識している。
自分を正当化しようとしたり、大きく見せようとしたりすることが、10代の頃から癖になってしまっていたからだ。
ええかっこしいなのだ。
でも、ええかっこしいがダサいということも、十分わかっていたはずではあった。
ええかっこしいでメンヘラで、と書くといいこと1つもない感じがあって辛いものがあるが、おかげさまで曲を書くのには非常に役立っているとも思う。
身体の外にアウトプットできるからだ。
どうしてそんなことまで考えるのだ、という言葉がわんさか出てくる。
それを、ええかっこしいの僕が言葉を整えていく。
ひとりで、分業をやっているのだ。
しかし、最近は正直あまりうまく言葉を作ることができない。
たぶん、圧倒的にインプットが足りていない。
外に出たい。
誰かと語らいたい。
好きなプレイヤーの演奏を聴きたい。
緑道を歩みたい。
海を臨みたい。
山を感じたい。
この秋は、少しは変化があるのだろうか。
2021.10.1 モリタクロウ