苦悩と歓喜1-啓蒙主義者ベートーヴェン
2021.10.01 11:06
1792年11月、21歳のベートーヴェンは故郷ボンを離れ、ウィーンに旅立った。実は7月にボンに立ち寄ったハイドンに、宮廷楽団の推薦で、これまでの作品を見てもらったところ、自分の弟子としてウィーンで勉強させたいという推薦をケルン選帝侯に出してくれたのだ。
故郷ボンでは、それ以外にも、ベートーヴェンの生涯に影響することがある。彼はボン大学の聴講生となっていたが、そこで啓蒙主義のオイロギウス・シュナイダー教授の講義をきいた。この教授はフランス革命が起きたとき、熱狂的な詩を書いて、学生を感激させたという。
そして当時の先進楽器だったシュタイナー制ピアノを、才能に惚れ込んだヴァルトシュタイン伯爵がプレゼントしてくれたのだ。もちろんピアノソナタ21番を後に送ったその人である。彼はそれによって、ウィーンでもまず天才的ピアノ弾きとして知られる。
ウィーンでは、ハイドンの弟子として技法を学びつつ、ピアニスト&作曲家として知られていくが、初期を代表するピアノソナタ8番が1799年に出版された。この作品は「悲愴」の標題がついており、作曲者は承認はしていたようだ。この頃から難聴の傾向があったと言われているが、まるで交響曲のようなダイナミックな形式に決意が込められている、しかし当時は革新的すぎた。