魂の修練に必要な視点(BG3章37-41節)
2017.03.26 01:10
至上者(バガヴァーン)答える。
アルジュナよ、それは欲望なのだ。
物質自然の激性から
物質の対象を楽しみたいという欲望
が発し、
それがやがて怒りに変わる。
それこそ真に恐ろしく、
すべてを飲み干してしまう。
この欲望こそ、
この世の大敵であると知れ。
煙にまかれた火のように、
塵で曇った鏡のように、
子宮に包まれた胎児のように
生物は異なった程度の欲望に
覆われている。
アルジュナよ、
このように生物の純粋な知識は、
欲望という天敵に覆われている。
この欲望は燃え盛る炎のように
心身を焼き、飽くことを知らない。
この欲望は
眼、耳、鼻、舌、皮膚の五感と
心と知性を住処とし、
本来の知識を覆い隠して
迷わせているのだ。
バーラタ王の最もすぐれた子孫、
アルジュナよ。
まず、自らの感覚を支配して、
知識と私への覚りを破壊しよう
とする この欲望を滅ぼすのだ。
『バガヴァッド・ギーター』3章37-41節
人生のカラクリとカルマを知り、愛に生きるお手伝いのラーデーラーデーです。
今日は、いつもより少し長めに節を
紹介します。
昨日、海外からバクティヨーガをしている友人が来日し、
一緒に食事をしたのですが
彼女の純粋さと真っ直ぐな思いに
心が洗われた気がしています。
疑いなく、素直に、正直に。
さらりと自分の仕事を楽しそうにしています。
バランスが取れていて素晴らしいな、
と思いました。
この節から学ぶことは
ヴェーダやバクティを学ぶ、
つまり魂の知識を学ぶ時には
それなりに器の自助努力も必要
ということかと思います。
バクティヨーガは狭い道で
最後は1人で歩かなくてはいけない
と
ある本に書かれていました。
私たちが正しいと思ってきたこと
世の中で進められているもの
それが本当に魂を純粋にしてくれるのか
それとも、真理から遠ざけるのか。
一時的な情報、損得に左右されず
先代の皆様にならい、修練をしていきたいです。
ラーデーラーデー