Ameba Ownd

アプリで簡単、無料ホームページ作成

ZIPANG-5 TOKIO 2020  世界に誇る熊本の “日本遺産” 領主一族が“700年”統治し続けた「人吉球磨」と“石工の郷”「八代」の魅力に迫る(その1)

2021.10.05 15:45

人吉球磨 編

人吉球磨「大自然景観美」満喫!!!

市房山(いちふさやま) 九州山地南部の主峰

標高1722mの市房山は、昔から「お嶽さん(おたけさん)」として人吉球磨地方の人々に崇められています。晴れた日には、頂上から周の山々の紅葉を見下ろすことができます。四合目の市房神社まで点在する樹齢1000年といわれる巨大な市房杉に圧倒されます。球磨郡水上村湯山


市房湖大噴水 

市房湖水から吹き上がる、高さ80メートルの大噴水。噴水が風になびき、虹ができることもあります。 噴出中に桟橋を渡り湖面まで下りると、水しぶきを受けるほど間近で噴水を見ることができます。球磨郡水上村湯山


鹿目の滝(かなめのたき)

日本の滝100選に選ばれた落差約36mの雄滝と、落差約30mの雌滝、緩やかな流れの平滝からなる滝。 轟音とともに、白い飛沫を上げて垂直に流れ落ちる様は圧巻です。滝の周辺は真夏でも肌寒いほどで、夏場は避暑地として人気を集めています。人吉市鹿目町




地域の歴史的魅力や特色を通じて日本の文化・伝統を語る文化財「日本遺産」。
文化庁では、地域の風土に根ざした世代を超えて受け継がれている伝承や風習など、魅力ある“ストーリー”を持つ地域を「日本遺産」として認定しています。そして九州・熊本にも、古くから地域に根ざす、日本の文化と伝統を伝える“ストーリー”があります。


本号では、世界に誇るくまもとの“日本遺産”を徹底解説。「日本遺産」の第1号として認定された、相良700年が生んだ保守と進取の文化が残る「人吉球磨地域」と、昨年新たに「日本遺産」に登録された“石工の郷”と呼ばれる「八代地域」。2つの「日本遺産」の魅力に迫ります。


1. 世界に誇るくまもとの日本遺産

■ 日本遺産とは?

「日本遺産」とは、文化庁が認定した、地域の歴史的魅力や特色を通じて日本の文化・伝統を語るストーリーのことです。ストーリーを語る上で欠かせない魅力あふれる有形・無形の様々な文化財群を、地域が主体となって総合的に整備・活用し、国内だけでなく海外へも戦略的に発信していくことにより、地域の活性化を図ることを目的としています。


世界遺産登録や文化財指定と違い、登録・指定される文化財(文化遺産)の価値付けを行って保護を担保することを目的とするものではなく、地域に点在する遺産をひとつの「ストーリー」として活用し発信することで、地域活性化を図ることを目的としている点が特徴です。


■ 世界に誇るくまもとの日本遺産

熊本県では、「日本遺産」の第1号として全国17地区とともに認定された、相良700年が生んだ保守と進取の文化が残る「人吉球磨地域」、二千年にわたる米作りの大地の記憶が残る「菊池川流域地域」、そして2020年6月に新たに日本遺産に認定された、名石工たちを輩出し“石工の郷”と呼ばれる「八代地域」の3つの「日本遺産」があります。


今回は、その中から
「人吉球磨地域」と「八代地域」の日本遺産としての魅力をお伝えします。


2. 人吉球磨地域|民衆の手で作られた相良700年が生んだ、保守と進取の文化

■ 「人吉球磨」が日本遺産に認定されたのはなぜ?

人吉球磨地域は、鎌倉時代から明治維新までの約700年間にわたり、領主・相良氏が治めた全国でもめずらしい地域です。


青井阿蘇神社・禊橋


相良氏は、ウンスンカルタや球磨焼酎など民衆の文化を尊重しつつ、寺社に都の建築様式を用いるなど新たな技術も取り入れ、国宝青井阿蘇神社など歴史的・文化的価値が高い社寺や仏像が信仰の対象として大切に受け継がれてきました。


この「相良700年」に受け継がれた文化財や風習、地域の歴史を結び付けて紡がれた物語が、日本の文化・伝統の魅力を伝えるものとして日本遺産に認定されました。


「人吉球磨」のストーリー

人吉球磨の領主相良氏は、険しい九州山地に囲まれた地の利を生かして外敵の侵入を拒み、日本史上稀な「相良700年」と称される長きにわたる統治を行いました。


その中で領主から民衆までが一体となったまちづくりの精神が形成され、社寺や仏像群、神楽等をともに信仰し、楽しみ、守る文化が育まれました。 同時に進取の精神をもってしたたかに外来の文化を吸収し、独自の食文化や遊戯、交通網が整えられました。


保守と進取、双方の精神から昇華された文化の証が集中して現存している地域はほかになく、日本文化の縮図を今に見ることができる地域であり、司馬遼太郎はこの地を「日本でもっとも豊かな隠れ里」と記しています。


■ 「人吉球磨」の日本遺産を巡る、注目スポット&遊び文化

「人吉球磨」の長く伝わる歴史を体感することができる、必ず行くべき注目スポットと地域に根付くローカルな遊び文化をご紹介します。


【スポット❶】
国内最南端の国宝建築物「青井阿蘇神社(あおいあそじんじゃ)」

 


大同元年(806)創建と言われる神社。現在の社殿は相良長毎により、慶長15~18年(1610~1613)にかけ造営されたもので、2008年には、本殿、廊、幣殿、拝殿、楼門が国宝に指定されました。


建造物の国宝指定は九州で55年ぶり5ヶ所目で、国内で最南端の国宝建築物。県内に現存する文化財の国宝指定は初めてです。豪雨により、一部浸水・冠水の被害を受けたものの、着実に復旧に向けて前進している、人吉球磨エリアの復興のシンボル的存在です。 


【スポット❷】
日本三大急流を楽しむ、100年以上の歴史を持つ「球磨川くだり」


熊本県内最大の川であり、全国でも最上川・富士川と並ぶ日本三大急流の一つでもある球磨川。球磨川くだりの歴史は100年以上と言われ、西郷隆盛も西南の役で秘かに熊本に入るために球磨川を下ったと伝えられています。


また、昭和7年には与謝野鉄幹・晶子夫妻も人吉を訪れ、球磨川くだりを楽しんだとされ、歴史的な著名人も多く楽しんだことで知られる名所です。現在も、木船に乗って下る「球磨川くだり」や、ゴム製のボートで激流を下る「球磨川ラフティング」を楽しむことができます。


※「球磨川くだり」は令和2年7月豪雨の影響により現在運休中で、2022年春再開予定。


球磨川くだり発船場がリニューアル!「HASSENBA HITOYOSHI KUMAGAWA」

球磨川くだり発船場が新たな複合施設「HASSENBA HITOYOSHI KUMAGAWA」として、2021年7月にリニューアルオープン。


施設内には球磨川くだりやラフティング受付の他、熊本初上陸の「九州パンケーキカフェ」や熊本県南地域の物産品を扱う「HITO × KUMA STORE」、さらに人吉市内をe-bikeで周遊する「人吉はっけんサイクリングツアー」も。


2階には球磨川と人吉城址の素晴らしい借景を望む開放的なテラスを備えたBarやミーティングルームなどもあり、人吉球磨地域の観光拠点として利用できます。


【スポット❸】
日本遺産人吉球磨の地を走る「くま川鉄道」

日本遺産人吉球磨の地を走るローカル鉄道「くま川鉄道」。平成元年10月1日に人吉球磨の市町村と民間の出資により運行を開始しました。利用客の8割が沿線の高校に通う通学生で、通学列車として利用されています。



美しい田園地帯をゆっくり走り、車窓から四季折々の風景を堪能できることから、観光客や鉄道ファンの間で人気のある鉄道です。
※令和2年7月豪雨で甚大な被害があり、現在は運行休止。
令和3年11月頃から一部区間(肥後西村駅~湯前駅)にて部分運行再開予定。


【スポット❹】
九州最大の鍾乳洞「球泉洞(きゅうせんどう) 」


九州最大の鍾乳洞。全長は約4800mあり、3億年という想像もつかない年月を経てできた美しい石柱や石筍は、今も成長を続けています。鍾乳洞内には神秘的な世界が広がっており、非日常的な空間を体感することができるスポットです。


コースは、全長4,800mのうち500mの観光コースと、40mの縦穴などを階段で下る探検コースの2つ。探検コースはアップダウンも激しく、狭いトンネルを潜る部分も。まさに“探検”を楽しみたい方にはおすすめです。
※令和2年7月豪雨の影響で、現在休業中。


【遊び文化❶】
残っているのはここだけ?県無形民俗文化財「ウンスンカルタ」



ウンスンカルタの歴史は、16世紀半ば、渡来したポルトガルの船員たちによって伝えられた南蛮カルタです。その後、寛政の改革によって、一切の遊具が禁止され、ウンスンカルタも全国的に弾圧されましたが、全国でも人吉球磨だけに唯一残されており、県無形民俗文化財「ウンスンカルタ」として指定されています。その伝承の拠点となるウンスンカルタの家では、カルタの展示と保存会の活動記録を見ることができます。


【遊び文化❷】
じゃんけんのルーツ?負けたら焼酎の地元遊び「球磨拳」​

球磨焼酎瓶集合!

じゃんけんのルーツともいわれる独自の発展を遂げた拳遊び。
お互い片手で0から5までの形を作って同時に出し、「一つ上の数字」を出せば勝ちとなります。勝敗が決定したら、負けた方がおちょこに入った焼酎を飲むのがルール。焼酎を飲みたいあまりにわざと負ける人もいたようです。


江戸時代参勤交代の頃より始まったと伝えられており、伝統的文化として地元に根強く継承されている「球磨拳」。いまでも毎年10月頃に多良木町で世界大会が開催されており、人吉球磨では愛され続けている遊びです。


次号「八代編」に続く・・・



編集後記

想い出の九州男子たち

牛深ハイヤ祭り(天草) 

九州といえば、何故か沢山の友人・知人がいる。皆、並べて兎に角明るくて酒が強い。後輩の日向(宮崎県)出身T氏なんぞは、数名で下呂温泉に投宿したところ、焼酎で飲み明かし、終いには急性アルコール中毒を来たし…救急車で病院に運ばれた。それでも焼酎の瓶を離さなかった。今でも語り草になっている武勇伝である。


その後、その男が宮崎県を代表する建材・住設会社の代表者となって活躍するなんてことは、夢にも思わぬことで、それを聞いた当時のメンバー達は唖然となり、異口同音に「ウソ!ホンマか〜?あの小原庄助が⁈( ^)o(^ )」・・・余りの衝撃に、後は声にならなかった。(笑)

また熊本市には、ロックンローラーの如き風貌のk氏、就職先の名古屋を離れ、親父の後を継いで旧国鉄に再就職。現在、音信不通…どうしてるのかな?


球磨川ラフティング(人吉)

本日のテーマ「人吉球磨」には二人の後輩H氏いる。その一人、名古屋を離れ故郷の球磨川上流の地に生まれ、親父の後を継いで球磨焼酎の杜氏に転身。彼が仕込んだ焼酎を何度かイベントに使ったことがあるが、一点の濁りもなく大変に飲みやすかったのを覚えている。この度の災害で恐らく被害を受けていると思うと心配であるが・・・


そうだ…!こんな男もいたっけナ、O氏はブルースリーの物真似が得意で、宴会になると仲間を笑わせてくれた。一時は、金沢の繁華街の一つ香林坊(こうりんぼう)、片町(かたまち)、竪町(たてまち)エリアの夜の町で活躍⁉していたが、やはり故郷の博多に帰り、バブル期には不動産業で大変に羽振りがよく、訪ねていくと中洲は馴染の店に案内してくれたもんだった。


昭和時代の懐かしい想い出である…


昭和は遠くなりにけり・・・

平成が終わり、今は令和 + コロナ。緊急事態宣言=↹ 解除の繰り返し。日常生活への拘束とオンライン化は国民の常識を否応なく一変させた。この急速な日常生活の変化と行動様式が、人々の政府に対する不信感を一層煽る結果となった。


オリンピック。パラリンピックも終わり、隙きをついたタリバンによるアフガニスタンへの攻撃と崩壊、息つく隙もない、政権交代。緊急事態の全面解除、眞子さまご結婚……全てが先の見えない中で、もがいている日本!右往左往!暗中摸索……国際的な行事を抱えながらの、短命に終わった菅首相の指揮権発動は如何ばかりであったろう?


最近は、竜宮城に戻りたくとも戻れない浦島太郎の気持ちが初めて痛いほど分かる気がする・・・( 一一)



鎹八咫烏記
伊勢「斎宮」明和町観光大使
石川県 いしかわ観光特使



協力(敬称略)

熊本県庁 〒862-8570熊本市中央区水前寺6丁目18番1号 電話:096-333-2027

公益社団法人 熊本県観光連盟
〒862-0950 熊本市中央区水前寺6丁目5-19 熊本県庁会議棟1号館3階 電話:096-382-2660



※画像並びに図表等は著作権の問題から、ダウンロード等は必ず許可を必要と致します。



熊本県 アーカイブ リンク記事ご覧ください。


ZIPANG TOKIO 2020「和の心のおもてなし黒川温泉 秘湯の宿 山河 熊本」

https://tokyo2020-summer.themedia.jp/posts/2269385/


ZIPANG-4 TOKIO 2020 速報~旅行動向シンポジウム~「コロナ禍における観光」をテーマにオンラインで開催。参加者募集開始!

https://tokyo2020-4.themedia.jp/posts/10435967/



現在、1500件余の記事掲載、下記のサイトからご覧ください。


250件ほどの記事をご覧いただけます。

ZIPANG-4 TOKIO 2020 (VOL-4)

https://tokyo2020-4.themedia.jp/


235件ほどの掲載記事をご覧いただけます。

ZIPANG-3 TOKIO 2020 (VOL-3)

https://tokyo2020-3.themedia.jp/


200件ほどの掲載記事をご覧いただけます。

ZIPANG-2 TOKIO 2020(VOL-2)

https://tokyo2020-2.themedia.jp/


615件ほどの掲載記事をご覧いただけます。

ZIPANG TOKIO 2020 (VOL-1)

https://tokyo2020-summer.themedia.jp/


最新の記事をご覧いただけます。

ZIPANG-5 TOKIO 2020 (VOL-5)

https://tokyo2020-5.themedia.jp/