ナポレオン10-ブリューメル18日のクーデター
2021.10.06 11:02
1799年10月9日、ナポレオンはフランス民衆に歓呼で迎えられた。新聞は栄光をもたらした将軍がオリエントの覇者となって戻ってきた、と書いた。世論操作の賜物である。革命の子であるナポレオンは世論の大切さを知っていた。ルイ16世もアメリカ独立のときにこうするチャンスがあったのだ。
フランス民衆は革命に疲れ、ルイ14世のような強いリーダーを求めていた。しかし実は敵前逃亡のナポレオンは、バレるまでに勝負をしかけるしかない。計画を組んだのは弟のリュシアンで、まず国会議長となった。そして総裁政府が辞任し、新たな政府を議会にかけた。
軍が国会を包囲し、ナポレオンが入場すると、共和派議会はクーデター計画を察知して、ブーイングが起きた。計画は頓挫しかけたが、議長となったリュシアンが休会を宣言して退場すると、軍にナポレオンを失脚させる陰謀を計画したという理由で、共和派議員を逮捕した。
議会は、ナポレオン、シェイエス、デュコ3人の臨時政府を承認し、またまた新憲法を作成することになった。ブリューメル18日のクーデターで作られた総領政府は、3人のうち一人を国家元首にするというシェイエスの案をつぶし、自ら第一総領となって、実質独裁への道を進んでいく。