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music lesson Oto no Wa

私のこと、Oto no Waのこと 〜其の1〜

2021.10.07 04:02

 私が音大を目指した理由。母も音大出身者で、物心をついたときから自分も当然同じ音大を目指していた…というか気づけば音大受験のレールを敷かれていたのです。私はとりわけ「将来なりたいもの」といったものがない子どもで、自分自身もピアノを奏でることが苦手ではなかったと自負していたことから、敷かれたレールの上をアホ面を下げて歩いていました。


 私は子供の頃から常に「中の上」にいて、皆んなを見下ろせる上に立ったこともなければ下に滑落したこともない。自分の中でも「中の上」が居心地良かったのかもしれません。ありがたいことに高校受験も大学受験も成功し、音大での成績も安定の「中の上」。


 大学を卒業してからは音楽教室の講師と学校の教員を数年していました。教員といっても当時は就職氷河期で教員採用試験の倍率は高く、特に音楽はとりわけ狭き門で100倍近かったのではないだろうか、そんなわけで教諭ではない講師の枠で採用されていました。

 そしていわゆる「結婚適齢期」に差し掛かろうとした頃、ハッと我に返ったのです。「私、このままでいいん?」結婚の予定どころか彼氏すらいない、教員採用試験にも受かる自信ない、講師だから1年先のことすら保証されない、このままおひとり様かもしれない、趣味は老後の為のお金を貯金すること…


 今の自分は自分自身で切り拓いたものじゃない、このまま親や祖父母に甘えて用意してくれた居場所にぬくぬくといてもいいのか⁉️


 25歳にして自我の目覚めです。手元にある3歳から貯めたお金で自分に投資しなければ!

以下の3択思いつきました。

①ロレックスを買う

②海外に語学留学

③何かの資格を取る

当時の私は不登校生徒や情緒障害、家庭に問題のある生徒の支援をしていました。心を閉ざしている子どもたちの未来を切り開きたい。そういう思いもあり、③番の資格取得のための投資を選んだのです。当時はスクールソーシャルワーカーという役職が主要な自治体では試験的に設けられ始めた時代でした。社会福祉士は長い年月とお金がかかるので、1年間で国家試験の受験資格が得られる精神科に特化した精神保健福祉士の学校への学費に充てることにしたのでした。


其の2へ続く