日々は繰々と
気が付けば10月も半ばに差し掛かっている。つまり今年はどうやらあと2か月とちょっとくらいで終わるらしい。
光陰矢の如しなどとは言うけれど、矢の速度を知らない。
さすがにそういうのは国語辞書じゃ押さえられないだろうと踏んでググってみた。和洋弓ともに、相応の射手によればその速度は時速200キロを超えるそうだ。それが月日が過ぎ去っていく速度として相応しい速度なのかは定かではないけれど、とても速そうなことはわかる。ちょっと手で掴めそうにはない。
ここしばらく、ちょっと慌ただしさが過ぎたきらいがある。
人んとこのイベントに出店したり、それに合わせて仕入れ頑張ったり、今月末から始まるイベントに向けて諸々準備したり、配布用の小冊子を作ってみたり、棚をこしらえたり、インスタのアカウントをなんとか動かしてみたり、新聞の書評を毎週スクラップするの始めてみたり、良きポップやチラシのためにお絵描き練習を始めたり、などなど。
大きなことすらだんだんと生活の中で存在が薄くなっていく。いわんや日常の些事をや。全力で生きてるよなぁ、とつくづく思う。どこへ向かっていくのか自分でも今一つわからないまま、ただひたすらに目の前にある事と少しばかり先のことだけを見て生きている。
つい先日、とある人に僕のことを面白く評してもらった。一見するととても格好いいのだけどよくよく考えたらそれ問題だらけじゃない?という喩えをもって、僕を表していただいた。とても愉快だった。
とはいえ、活動に腐心しすぎるあまり生活そのものがやや綻んでるなと思ったことは事実であって。部屋の床面積に対する本その他各種マテリアルによる建蔽率の上昇具合、日々の食事の煩雑さとそれに伴う財布の中身のペラさの加速度、注文して届いたはいいものの開けられる気配もなければそもそも中身の置き場がないヨドバシの箱など、そういったところに如実に表れている。いかんです。
ひとまずは、お風呂に入ろう。
昔の偉い人も言っていた、風呂は命の洗濯と。