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本とか

役を演じるって、何なん?

2021.10.08 16:59

俳優やってるとたびたび思う。

「いま、俺は舞台上にいて、衣装を着て照明に照らされながらこうやってセリフをしゃべったり、なんかキメ顔したりしてるけど、でもまあこれって役というよりも俺自身だよなあ」とか、そんなようなこと。


こういうのもある。

「あ、いま俺がやったことでお客さんが笑ってくれたぜよっしゃ~!きのうの夜がんばってネタ仕込んでよかったわ」



実際のとこ、それって、“誰”なんすかね?

まあ“俺”なんすけど。



人間は、生きてると常に演じている。自分自身を。

職場、学校、家、電車、病院、美容院、牛丼屋、習い事の時などなど、それぞれが違う顔。大なり小なり誰もが複数の「自分」を持つ。

それは生きるうえでごく自然なことで、もはや生きること=演じることと言っても過言じゃない。

『状況にふさわしい自分』を演じている。




じゃあさ。


もしかして、舞台の上にいる自分は『“役を演じてる自分”を演じてる自分』なんじゃない?




「迫真の演技」って言葉がある。


けど、真に迫るっつったって演じてる役自体は実在しない人物(時には動物や物)なんだから、“真”に迫るも何もないよねえ。

まあ、その瞬間の「役の本当の気持ち」を表現できてるって意味での「迫真」なんだろうけど。


じゃあその「役の本当の気持ち」ってどっから来てんの?

たぶんだけど、俳優の人生経験から来てる。


したらさ、よくある極端な例で言うと、人殺しの役をやることになりましたと。

その場合、その人殺しと同じような生活環境で過ごして同じような感覚で人を殺した経験があれば、真には迫れるかもしれないよね。

それは「役のためにそうする」でもいいんだけど、「たまたまそういう経験をしたことがある」の方が、よりよい。より真に迫れる。


だけど当然そうもいかない。

だから本を読んだり話を聞いたりして、自分の中に殺人者の擬似的な感覚をインプットするほかない。

役作りなんていうのは、いつだってほとんどそれの繰り返し。とっても地味な作業。だけどそれしかないし、それが一番いい。


……んだけど、でも結局それって「人殺しの感覚を自分の中に落とし込んだ自分」なんよ。

そいつが、脚本に沿ってシチュエーションどおりの言動をする、それが演技。

これってやっぱり、『“役を演じてる自分”を演じてる自分』なんじゃないの?という話。



役作り、ってことで言えば、肉体改造でほとんど別人になる方法がある。太ったり痩せたり。それによって声の響き方も変わったりするし。

手軽なところで言えばヘアメイクや衣装もそう。


ただ、そもそも姿形を変えなきゃいけないくらいだったら最初から別人でよくね?

まあでもいろんな事情がありますからね。「その俳優さんが出てるから観る」とかの。それは観る側にとってとても重要なことである場合も多いわけだし。ここムズいよね。永遠の問題。


それとは別に、純粋にその人が演じることによって作品がよくなるから、という場合ももちろんある。その俳優のスキルや人生経験が唯一無二で、しかも役に合ってるんだったらキャスティングしない手はない。


でもそう考えると、プロじゃなくてもいい場合だってごまんとある。

じゃあ俳優なんて職業はもはや、ほとんどあってないようなものなのかもしれない。

見目麗しい必要も、実はあんまりない。





とかなんとかほざいてますけど、基本的に僕は演じることが超好きです。なのでこれからも俳優をやります。

できるだけ真に迫りたいとも思っとります。


なんか最近、僕はわりと「自分というものが希薄な人間なんだなあ」と気づきました。

空っぽというわけじゃなく、こう、一言で看板にして掲げるプロフィールが別にないというか。

だからこそ演じることに向いてるとも言える……というのは強引ですかね。


というか、別人を演じることでむしろ自分に近づいてきてるような不思議な感覚もあります。

「俺、誰?」すらちょっと楽しい、そんな時期です。



みなさんにも、自分じゃない誰かを演じることをなんとなーくおすすめします。

好きなドラマのセリフをガチで言ったり芸人さんのものまねを真剣にやってみたりすると、けっこう楽しいっすよ。


いろんな事情で俳優を辞めた人も、状況が許して、なんかやりたいなーと思った時にふらっとやったらいいんすよ。