浜菊と白浜と親子三代
『2015年の秋の欠片』を見つけたのは、娘が亡くなった数日後のことでした。
ベッドの枕元に置かれていたモノクロブーキャラのポーチ(ポピー)の中から、あの日の波音を伴って、それは現れました。
故郷八戸市の『白浜海岸』や『種差海岸』沿いに群生している、秋に咲く花『浜菊-はまぎく-』の写真です。
2015年のシルバーウィークに、当時中学一年生だった亡き娘を連れて、認知症を患っていた母の様子を見に故郷へ帰省したときのもの。
父と母と私と娘、4人で海岸散策コースを歩いた時の風景写真が、きちんと重ねて入れられていました。
――いつの間にこの写真を此処に入れていたのだろう。
焼き増した写真を小さなアルバムにして父母に送ったあとの、残り写真の一部。
亡き子は何を思って大事に枕元に置いていたのか。
毎晩眺めて故郷の海を想っていたのだろうか。
10枚近くの写真の中には、母と私、母と娘、それぞれのツーショットもありました。
今は、この世では生きて会えなくなった母と娘。
こんな風に並べて、レイアウトしてみたら、親子三代の記念写真にも見えました。
事後に見つけた当初は、見るのも辛くて即ポーチに仕舞い込みましたが、今秋はどういうわけか、胸が締め付けられるような思いはそのままに、取り出して眺めてみたくなった、2015年秋の欠片たち。
自宅の小さな園芸コーナーに事後『浜菊』を植えたのは、仕舞い込んだ『あの日歩いた海岸沿い』を、なるべく…ソフトに思い出したかったからだと思います。
忘れたくはない。
忘れるはずもない。
けれどあまりにも鮮明に思い出すのも辛い。
亡き娘が、きっと最後の夜も眺めていたであろう風景、浜菊と白浜と親子三代の写真を、私の中でもう少し穏やかに手に取って抱きしめられる日が来るまで、御守り代わりに植えた浜菊が、今秋も開花しました。
(重い)想いを込めて植えられているなんて、近所の人たちも、ましてや通りすがりの人たちは知りもしないで眺めてゆくのでしょう。
「マーガレットですか?」
「似てるけど違いますよね」
朝、水やりをしていると、話しかけてくる方々もいました。
小さなプランターには毎年秋に、あの日の親子三代が咲いています。
◆自死遺族の集い