「宇田川源流 日本万歳!」 あなたも「風魔忍者」になれるという企画に海外からも申し込みが殺到
「宇田川源流 日本万歳!」 あなたも「風魔忍者」になれるという企画に海外からも申し込みが殺到
月曜日は「日本万歳!」をお届けしている。日本人の素晴らしさや日本人が海外から愛される理由を、日本人の日常から探し、我々「一般の日本人」もその同じ日常を過ごしているということから、やはりその素晴らしさをしっかりと共有しているということを考えて、自分たちの自信に変えてゆきたいと思っている。そんなことを考えての応援である。
毎週「月曜日」ということになると、「ブルーマンデー」などといわれ、土日の休みの「自由」から、また会社に拘束される一週間で、何となく心がブルーになってしまうという状態にあるということになる。
そのブルーな状態は、「自分たちに自信がない」ということが挙げられるのであるが、その状態をいかに解消するかというときに、「自分たちの中にある素晴らしさ」に気づき、そして「その素晴らしさを体現する」ということが最も有効なのではないか。
さて、本来はそのようなテーマで行いたいのであるが、今回は、ちょっと「日常ではない日本」を覗いてみたいと思う。
といっても、何か特別な人物をフューチャーするというのではなく、実は誰でもが参加できることに見てみるのであるし、よほどその業界で有名でなければ、名前が歴史の中に残ることも少ないという「人材」を見てみたい。しかし、その存在は、本来は全く「見えない」存在でありながら、世界中の多くの人がその人々のことを知っているというような状況なのである。そのような人材に関して、世界での人気を見ながら「なぜその人々が人気なのか」という日本人の特有の話をしてみたい。
さて、その「人材」とは「忍者」である。
世界における「日本の忍者」人気は非常に高い。もちろん現代忍者がいるのかといわれれば、必ずしも「存在しない」ともいえない状況であろう。これを「江戸時代までのスパイ」といってしまえば、そこまでであるが、しかし、その割には「忍法」などを使い、さまざまな「想像力」を掻き立ててくれる存在ではないか。
「風魔忍者」に入門志願者殺到、海外からも…コロナ禍終息後は忍者ショーの舞台に
神奈川県の小田原市観光協会が募集した「風魔忍者」の候補生に、海外の14人を含む89人の応募があった。
予想外の人気を同協会は喜び、「風魔忍法でコロナ禍に苦しむ小田原観光を助けてほしい」と期待している。
9月6~27日に行われた募集に、5~77歳の男女が応募。県内が3分の2を占めたが、長崎県からも「入門希望」があったという。そのほか、ベトナム、タイ、メキシコ、エクアドル、ロシアからもメールが届いた。
同協会の担当者は「募集枠(最大約15人)と同じか、少し上回る程度の応募と予想していた」と打ち明ける。ただ、海外の希望者は条件の計20回の稽古に参加するのは困難と判断し、丁重な断りのメールを送信。書類選考で36人に絞った。
面接と実技試験は2日、同市で開かれる。合格者は来年3月まで候補生として「修業」を積み、コロナ禍終息後には小田原城などで開催する忍者ショーの舞台に立つ。
担当者は「ベトナムから6人も応募があったのは、2019年に現地で風魔忍者のイベントを開いたことが影響したのかも。合格者には、早く一人前の風魔忍者に成長してほしい」と話していた。
2021年10月3日 13時46分 読売新聞オンライン
忍者そのものは実在したと思う。もちろん「実在しない」という学説をとる人もいる。しかし、私自身は「忍者」は、当然に実在したと思うし、忍者がいなければ説明がつかない現象が戦国時代などには非常に多く存在する。また、幕末でも例えば庄内藩の小説を書いているときに、幕末の庄内藩において、「大入道が出た」というような話があり、その大入道が西郷隆盛自身が敵情を刺殺しに来ていた姿であったというような話が残っている。
戦争をしている場合、または、何か相手に仕掛ける場合において、または、将来そのような可能性がある「仮想的」「潜在的な敵対関係」がある場合などは、当然にその情報をしっかりと事前に持つ必要があり、その情報収集の人間が必要になる。現代のように監視カメラなどがITで行えるような状態ではないので、そのような場合には、当然に人間がその視察を行い、その人間の報告を行うということになる。しかし、その人が「いかにも調査している」ということになってしまっては、真実を見極めることはできない。そこで、「陰に隠れてゆく」ということになる。
スパイというのは身分を偽るなどして、何もない状況で行くのであるが、その時に「身分がばれてしまったときにどのように逃げるか」ということで、その技が様々に言われているということになるのである。
例として、まずは皆さんに親しみがあるところのドラマ(物語の作り物)であれば、時代劇水戸黄門で、水戸黄門は「越後のちりめん問屋」というような言い方をしている。また、遠山の金さんでも、「遊び人の金さん」で通っている。まあ、あそこまで全国で派手に動いていれば、いい加減身分がばれているような気もするが、そこはドラマであろう。
史実であっても、江戸幕府は諸国の藩に不穏な動きがないように「隠密巡検使」などを使い、全国の藩を観察していた。わざわざ「隠密」というように言われるように、その身分を偽るなどして回っており、「松尾芭蕉は隠密ではなかったか」などの都市伝説が出てくることになるのである。
さて、その「忍者」が日本国内で最も大きく有名になるのは、明治年間に秋田書房が出したや「真田十勇士」である。徳川家康を倒すために、豊臣方の真田幸村が忍者を使って活躍するという物で、「日本一の兵」といわれた真田幸村の伝説からそのような話になっているのである。
もちろん物語であるが、この中には「人間離れした忍術」で「あり得ないこと」を行うというような感じになっている。この「忍法」は、伊賀などにその内容が残されており、行燈の火だけで夜は暗いというような性質を利用した「環境に適応した内容」ではあるものの、その内容をいかに考えてゆくかということが日本の特性に合っている。
これが、アメリカなどに回り「ニンジャファイター」として、有名になり世界に広がることになる。その内容から忍者が世界的に有名になるのである。まあ、日陰の身が有名になってそれでよいのかということは議論になるところもある。しかし、世界は「スパイ」というのは非常に人気があり、「007シリーズ」なども人気があるのは、まさにそのような状況ではないのか。
さて今回は小田原で風魔忍者になれるということで募集したらしい。風魔小太郎といえば、小田原北条氏に仕えた忍者として有名である。
寛永18年(1641年)刊の三浦浄心『北条五代記』によると、天正9年(1581)に北条氏直が黄瀬川で武田勝頼・信勝の軍勢と対陣したとき、氏直が扶持した乱波の1人・風广(風魔・風摩)は「四頭(四盗)」と200人の徒党を率い、武田の陣に夜討ちをして相手を苦しめた。
また永享12年(1440年)から翌年にかけての結城合戦のとき、結城城を包囲した幕府軍の総大将・上杉清方の命を受けた相模国足下郡に住なれた忍びの上手・風間小太郎が密使として城中に入り、籠城方の城将・山内氏義(山川基義)を離反させることに成功した、と伝えている。
その様な内容から江戸時代を通じて人気があり、昨今ではゲームキャラクターなどに使われている。
9月6~27日に行われた募集に、5~77歳の男女が応募。県内が3分の2を占めたが、長崎県からも「入門希望」があったという。そのほか、ベトナム、タイ、メキシコ、エクアドル、ロシアからもメールが届いた。<上記より抜粋>
まさに、様々な層から人気でありこのような日本の文化を背景にした「忍者」の人気も、やはり日本の文化が受け入れられているということではないだろうか。