あの日は「いる みる つくる はなす」だった
秋晴れの休日にふりかえっています。
気持ちがいい風、
夏の終わりから秋初めにかけての気分の落ち込みが嘘のように消え、
窓を少し開けて珈琲を楽しんでいます。
先月、9月23日の祝日は「いる みる つくる はなす」の配信日でした。
もともとショッピングセンターの催事場で公開制作するはずだった企画が、
「幸運」にもコロナのためにとある古民家を舞台に無観客配信ということになりました。
終わった後から考えるとショッピングセンターの催事場だった場合を全く想像できません。
古民家は雑音が多くて、それがなんとも言えない良さがありました。
動画撮影に不慣れなメンバーでの無観客配信は無謀に思えましたが、
どうなるかわからない実験のようにワクワクも感じました。
配信はいくつかトラブルもあり、クオリティは高いとは言えませんでしたが、
「現場」では作品一つ一つに対して向き合うことができたという実感がありました。
この企画が目指した「時間、場所を越えて つくることでつながる 」ことができたのかどうかと言われると、ちょっと自信がありません。
届いたかどうかはわからないのですが、心を込めて作品それぞれに対してのお返事をしました。
こんな感じだったというのを書いてみたいと思います。
配信はメンバーが「たたみちゃん」と名付けた猫の絵からスタートしました。
初めの「現場」の和室には、詩のドレスを纏ったトルソー(マネキンの胴体だけのものに言葉が印刷された紙がいくつも貼られてドレスのようになっている)が立っていて、机の上には和紙の絵本(作品を和紙に貼って絵本のようにした)や、小さな写真の家(封筒を家に見立て切り込みを入れた窓を開くと写真が見える)などが並び、大小さまざまな作品ひとつひとつに触れたり言葉を声に出してみながら移動していきました。
続く広い板の間では次の部屋への動線に沿って置かれた作品と戯れる感じで、作品を真似て遊んでみたり、印象を声に出したりしながら進んでいきます。
突き当たりの白い壁の部屋はギャラリーのように壁一面に絵を貼っていてとてもカラフル。
カメラがぐるりと見渡しておしまい。
というのが第一部。
古民家での「インスタレーション」状態でした。
インスタレーションは一言で言うと「場所や空間全体を作品として体験させる芸術」です。
実際に体験しているのは制作メンバーだけなので、「誰のための」作品なのだろうと問わなければならない気がしました。
配信第二部では日当たりの良い部屋で詩の朗読。(うち2作品は演劇の方に事前に声の録音してもらいました。)
第三部では外を歩きながら詩を読みながらトンボ(精巧なトンボの鉛筆画のコピーを針金の先につけました)を空に飛ばしていく・・・
おしまい
この企画を人に尋ねられた時、未だにうまくお伝えできません。
「現場」では「ワクワクすること」「ワクワクすること?」と声に出しながら、
だんだん作品の中に入っていくような感覚がありました。
映像の限界を感じながらも新しい挑戦ができたことに感謝しています。
そして「現場」をうまく伝えられない焦りのようなものがいまだ残っています。
あの日のあの場所が「幻」になってしまわないように、
確かに作品だったことをメンバーと記録していきたいと思います。
あの日は「いる みる つくる はなす」だった・・・