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「宇田川源流」【大河ドラマ 青天を衝け】 渋沢栄一に最も大きな影響を与えた父市郎右衛門の死とその存在の大きさ

2021.10.12 22:00

「宇田川源流」【大河ドラマ 青天を衝け】 渋沢栄一に最も大きな影響を与えた父市郎右衛門の死とその存在の大きさ


 水曜日は、大河ドラマ「青天を衝け」について書いている。今回は明治4年の出来事だ。最近、1週で1年立っているということが続いている。オリンピックや、昨年の「麒麟がくる」の関係で、全41回で最終回が12月26日であるということが発表されている。

 今回が第30回であるということを考えれば、残り11回で昭和6年まで行うのか、あるいは途中で今後の希望を見せるような形で終わらせるのか、いずれにせよ、そのような買い回りで行っているので、1回1年は仕方がないのかもしれない。特に今後明治6年は、明治六年の政変で板垣退助や大隈重信、西郷隆盛が下野し、渋沢栄一も大蔵省を退任し、第一銀行に移る話になる。また富岡製紙工場などを引き受けるというような感じであろう。江藤新平の佐賀の乱、死して明治10年の西南戦争などはドラマとしてやらないことはないであろう。江藤新平、大隈重信、西郷隆盛がしっかりと出てきていることを考えれば、その辺のところはしっかりとやるのであろう。

 また無理難題を言う井上馨との関係などで言えば、明治34年くらいに井上馨が組閣するように命じられ、渋沢が大蔵大臣を引き受けないならばやあないとして井上内閣が亡くなった話など、登場人物から考えれば、そのようなエピソードが出てくるのではないか。

 このほかにも朝鮮総督になった伊藤博文との関係や、日露戦争での児玉源太郎(これは登場していない)との関係など、考えれば、様々な場面が出てくることになる。

 一方家族関係で言えば、明治15年(1882年)に妻の千代がコレラに罹って死亡する。今回、渋沢栄一の妾となる「大内くに」が登場し、「部屋に連れ込まれる」場面がしっかりと出てきたが、NHKの割には、なかなか思い切った描写をしたものではないかと思う。まあ、そのくにの子供たちも、それぞれしっかちろした会社の代表(社長または頭取)を勤めている一族と結婚していることを考えれば、それなりにしっかりとやっていたのではないかという気がしてならない。

 そのように歴史から考えれば、「次はどの場面がでるのか?」「この場面は、カットされたのか」など様々な感想を持ちながら見ることができる。そしてその描き方やカットされた理由などから「青天を衝け全体のテーマ」のようなものが見えてくるのではないか。ドラマだから史実とは違うというような切り捨て方をするのではなく、そのように「現代の人々に似ないを訴えたいのか」ということを考えながら見る「大人の楽しみ方」を知ってもよいのかもしれない。

【青天を衝け】「俺が、この渋沢栄一の父だ」 “とっさま”との別れに反響「憧れの父親像」

 俳優の吉沢亮が渋沢栄一役で主演を務めるNHK大河ドラマ『青天を衝け』(毎週日曜 後8:00 総合ほか)の第30回「渋沢栄一の父」が、きょう10日放送された。

 今回、大阪の造幣局に出張した栄一は、五代友厚(ディーン・フジオカ)と出会う。栄一は、これまでの恨み言をぶつけるが、カンパニーを立ち上げて日本の商業を魂から作り変えたいという五代の話に共感する。一方、新政府の首脳会議では、突然、西郷隆盛(博多華丸)が“まだ戦がたらん”と声を上げる。井上馨(福士誠治)は、“廃藩置県を断行せよ”との意思表示と理解し、栄一たちに極秘の任務を託す。残された時間はわずか4日…。そして、冬のある日、帰宅した栄一のもとに、父・市郎右衛門(小林薫)の危篤の知らせが届く…。

 危篤の知らせ後、栄一は急いで実家に戻る。そして市郎右衛門から「俺は、この渋沢栄一の父だ。お前を誇りに思っている」と告げられると、栄一も涙を浮かべ、父の最期を看取った。

 SNSでは「息子冥利に尽きる言葉」「本当に素晴らしくて可愛い人だった」「とっさまの言葉と生き様がいつも暖かくて好きでした!」「憧れの父親像でした」「小林薫さんの演技に引き込まれました」など、涙と絶賛の声が寄せられている。

2021年10月10日 21時4分 秋田魁新報(オリコンより)

https://www.sakigake.jp/news/article/20211010OR0065/?nv=ent

 さて、第30回「渋沢栄一の父」では、廃藩置県ということを行った明治政府の奇跡を書いた。ドラマには出ていないが、島津久光など、中央集権化に反対する旧大名が多い中で、すべての藩を廃止し、国が管理し、そのうえで、合理化するということを行った。ある意味で「革命」であり、本来は抵抗勢力が戦争をしてもおかしくない状態であった。朝廷に集められた各藩主は、西郷が集めた近衛兵に囲まれた中で、廃藩置県の詔を承諾しなければならなかった。

 藩は県となって知藩事(旧藩主)は失職し、東京への移住が命じられた。旧藩主家の収入には、旧藩の収入の一割があてられ、旧藩士への家禄支給の義務および藩の債務から解放された。各県には知藩事に代わって新たに中央政府から県令が派遣された。なお同日、各藩の藩札は当日の相場で政府発行の紙幣と交換されることが宣された。

 ドラマではその「政府発行の紙幣との交換」ということを、渋沢などが行ったとして描かれている。

 そして、それが終わったところで、父市郎右衛門の危篤との報が入るということになる。廃藩置県が7月で、市郎右衛門の死が11月であるから、間に4カ月あることになる。史実では64歳で死んだと書かれている。農家としては養蚕・藍作を行った。俳諧に親しんだほか、剣術は神道無念流を能くした先進的な父であったとされ、渋沢栄一が現在ドラマでかなり明るくまた先進的な人物に書かれているが、実際にはそれが父譲りであったことがわかる。

 この「青天を衝け」が人気があるのは、片方で歴史物語でありながら、現代の家族関係や、教育論など、現在の課題に直面しまた、渋沢栄一を悩んだり、泣いたり、笑ったりという等身大で、親しみやすく、ある意味で現代のホームドラマのように書かれているところがその秘密である。史実通りのドラマよりも、現代の人に訴えるドラマが最も重要であるということがこのことでもわかる。その渋沢栄一を支え続けたのが父市郎右衛門であり、その内容は「市郎右衛門が家を守っているから、栄一が外で活躍できた」というような解釈がある。現代の理解のある父親像そのものではないか。

 逸話としては、栄一が15歳のころ、江戸に出た栄一が華美な硯を買ってくると、常々言いつけている質素倹約を破るとは言語道断であると烈火のごとく怒り、親族らの宥める声にも耳を貸そうとしなかった。後年栄一は市郎右衛門がこれほどまでに自らを譴責することはなかったと回想し、奢侈がいずれ身を滅ぼすことを知っていたのだと語っている。また、維新後、新政府より取り立てられた栄一の栄達を喜び、栄一を「殿」、栄一の妻・千代(市郎右衛門の姪)を「奥様」と呼ぶようになった。千代は堪らず謙遜したが、市郎右衛門は「栄一自身の才覚で栄達したのであり、その廷臣に対して軽々しく名を呼ぶことはできない」とその呼称を改めなかったという。

 渋沢栄一もこのような父のことを尊敬していたようで、栄一の晩年、市郎右衛門の語録として『晩香遺薫』が出版されている。

 危篤の知らせ後、栄一は急いで実家に戻る。そして市郎右衛門から「俺は、この渋沢栄一の父だ。お前を誇りに思っている」と告げられると、栄一も涙を浮かべ、父の最期を看取った。<上記より抜粋>

 陰で、息子の活躍を見守り、心の中で誇りに思い、そして支え続ける父・その父の存在があることが、渋沢栄一の一つの活躍の基盤になっている。現代の親で、子供にそのように「安心を与える」父親や母親がどれくらいいあるであろうか。かくいう私も、そのような父ではないような気がするのである。そして栄一は、その父に恥ずかしくないように活躍する。だから、オリンピック後の初回、明治時代に入っての一回目に、血洗島から始まったことに、非常に意味があったということになるのではないか。

 あと11回、なかなか楽しみである。