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言葉のちから

SUDDEN FICTION 〜超短篇小説2〜

2017.03.31 11:18



僕は帽子好きの女性を好きになってしまった。





「まるでマトリョーシカみたいね。帽子の中に帽子、さらに帽子」



彼女はそう言って僕を笑った。



「君が帽子を好きじゃなければ、こんな風にロシア人形みたいになる必要もなかった」



僕は嫌味じみたつもりだったが、彼女はもちろん、それには臆さない。



「でも、私が帽子好きじゃなかったら、あなたはきっと、私を好きにならなかったでしょ?」



そうだね、と僕は答えた。「そのとおりだ」





僕らはパリ空港のセキュリティをパスして待合室にいた。



往来する飛行機が一望できるその空間で、



僕らは二人分の居場所を確保して飛行機の到着を待っているところだった。



英語やフランス語に混じって、



どこの言葉だか聞いたこともないような言語が飛び交っている。



適度に賑やかなカフェにいる感じだ。



今回はハイシーズンを外したおかげでどの街でも日本人にはあまり会わなかった。



しかし、なぜかどこも混んでいた。



世界中の人がパリを目指しているのではないかと思ってしまうくらい、



どこに行っても人で溢れていたのだ。





僕は紆余曲折あって比較的時間に自由の利く仕事をしていたし、



彼女もアーティストのようなことをしていたから、



二人はこのシーズンに思いつきでパリまで来てしまった。



行きたいと言い出したのはもちろん僕ではない。



僕はどちらかというとインドアの人間だし、家で本を読んでいるか、



もしくはどこかのカフェで本を読んでいる方が好きなタイプだった。



だから、どこかに行こうと僕から提案するのは年に2回か多くても3回くらいだった。



ラクダが一生にする "くしゃみ" と同じくらいの回数だ。





その年に僕が行きたいと言ったところは青森と兵庫だけだった。



そこにはいずれも安藤忠雄の建築物がある県だ。



だから僕は最初、フランスになんて行きたくないと言った。



「フランスにまで行って本を読むなんて嫌だ」と。



もし仮に僕がフランスに行きたいと言うのであれば、



それはパリなんかではなくて、きっとマルセイユだ。



そこの近くにはやっぱり安藤の建築物があったし、



そこにはワイナリーも併設されているから。



そこで白ワインを飲むが僕の夢のひとつでもあった。



仮にそれがキンと冷えていたら、もう言うことはない。



チーズもトマトもクラッカーもいらない。本だっていらない。





今回フランスに来たのは、ジブリに出てくる世界を一度はその目で見てみたいという彼女の提案があったからだ。



しかしそれは、聞いたことのない言葉だった。



「コルマール?」と僕は彼女の言葉を繰り返した。



僕の知っているビールにそんな銘柄はないし、ワインの品種にだってない。



ハルキの小説にだって出てこないはずだ。



でも彼女が言ったのは、そんな単語だった。



いやそういえば、と僕は思う。



近所にそんな名前のパン屋があった気もする。





「そんなのも知らないで、よく生きてこられたわね」と彼女が言う。



「人には必要なことが、それぞれで違っているんだ」と僕が言う。



しかし、彼女はそれには何も答えずに、



いつ買ったのか分からないような写真集を取り出して見せてきた。



「これよ。ここに行きたいの」



その写真はたしかに素晴らしかった。



だから僕らはこうして今パリにいる。





僕は旅の最中に下着を捨てる癖がある。



それはいわゆる断捨離とかの感覚とは少し違う。



海外で自分が使い古した(Tシャツとかボクサーブリーフとか、そういった類の)ものを捨てると、



かなりリアルに「自分は生まれ変わっている」という感覚を味わうことができる。



だから、これは癖というよりある意味、儀式に近いのかもしれない。



衣類といっしょに要らない観念や習慣をひとつずつ捨て去る。そんな儀式だ。



しかし、そうして僕がつくったキャリーケースのスペースを、



彼女が現地で買った服が埋めていく。





いつもそうだ。僕は服を捨て、彼女は服を買う。



僕がスペースをつくり、彼女がスペースを埋める。帽子も増える。



帽子はケースに入らないから(彼女はいつも変わった形の帽子を買う)、



それらが僕の手やら頭やらに居場所を求めてくる。



「あなたは優しすぎるのよ」と彼女は言う。



「そういうところが好きなんだけどね」とも。





「でも、今回は重ねられる帽子で良かったわね」と彼女は少しふざける。



「そうだね。いつもは両手と頭に帽子だからね」



形を崩さずに機内に持っていくにはそれなりにコツもいるし、



人から変な目で見らたりもする。



帽子好きな彼女を持つというのは結構タフなことなのだ。





「でも、好きだから仕方ないわよね」と彼女が言った。



僕はエールフランスの旅客機を眺めながら肯く。



そうだ、好きだから仕方ないのだ。



そう思いながら僕は、次の短編小説の書き出しをどうしようか考えていた。



いや、それは嘘だ。次の短編の書き出しはすでに決まっている。



 僕は帽子好きな女性を好きになってしまった。



これが書き出しの1文だ。



さあ、そのあとにはどんな言葉が続くのだろう?



(おわり)



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