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一号館一○一教室

ヴェルディ作曲『椿姫』

2021.10.12 08:29

わたしにとって
「運命のオペラ」かもしれない


329時限目◎音楽



堀間ロクなな


 わたしにとって「運命のオペラ」と言えるかもしれない。もう十年あまり前のこと、東京文化会館で二期会が『椿姫』を上演するのに出かけたのが、イタリア・オペラの巨匠、ジュゼッペ・ヴェルディのこの代表作の実演に初めて接した体験だった。気楽な週末のひまつぶしのつもりが、ぴんと張りつめた前奏曲がはじまったとたん身動きできなくなった。一転して賑やかな合唱が湧きおこり、あの「乾杯の歌」がうたわれたところでわれを失い、あとは幕を追うごとに引きずり込まれていき、最後には声を挙げて泣き崩れる始末だった。



 それだけではない、極度の興奮を持てあましたせいだろう、約2時間の公演が終わって会場をあとにした足で上野駅のガード下の店にしけ込み、安酒を煽ったあげく、いましがた目の当たりした劇中の軽薄な青年アルフレードのように、わたしもとうていここに書けない不祥事をしでかしてしまった。いま振り返っても顔から火の出る思いがする。それ以来、またぞろ不埒な振る舞いにおよぶのを恐れて、この作品については録音や映像で観賞するのを旨とし、実演とは距離を置くようにみずから戒めて今日に至っている……。



 おそらくオペラ史上の人気作として一、二を競うだろう『椿姫』の成立過程はよく知られている。フランスの作家アレクサンドル・デュマ・フィスが、高級娼婦マリー・デュプレシスと真剣に愛しあい、そのわずか23歳の死を見送った経験にもとづき、またたく間に書き上げた小説がベストセラーとなったのは1848年のこと。数年後には、作者本人が戯曲化して上演した芝居も大ヒットする。その舞台を、当時39歳のヴェルディが恋人の歌手ジュゼッピーナ・ストレッポーニと観て激しい共感に見舞われたのは、ふたりもまた正式な結婚を望めない日陰の関係にあったからで、オペラ化を思い立つなり猛烈な勢いでペンが進んでほんの3か月ほどで1853年に完成させたという。つまり、『椿姫』は原作者も作曲者も自己のありのままの心情に立って、しかもそれを一気呵成に結晶させて切れば血の滲むような生々しさで作品のなかに封じ込めたのだ。



 ストーリーは平明だ。パリの高級娼婦ヴィオレッタは結核の病床に臥せっていたが、やっと小康状態を得たのでサロンを再開し、深夜の社交界のけばけばしい男女が集まって歌い踊る。そのなかに垢抜けない青年アルフレードがいて、彼女への一途な愛情を捧げると、はじめは相手にしなかったヴィオレッタも情にほだされて、やがてふたりは郊外の別荘で静かに暮らすようになる。その3か月後、アルフレードの父親である田舎の地主ジェルモンがやってきて、わが家族の名誉のために息子と離別してくれるよう迫り、そうしなければアルフレードの妹の結婚にも差し支えると聞かされて、ヴィオレッタは泣く泣く同意してもとの生活に戻ることに。しかし、彼女が失踪したのち、やむをえず別れを告げる手紙を目にしたアルフレードは逆上して、ヴィオレッタが向かったサロンへ押しかけると、やみくもなカルタ賭博で手にした大金を彼女に叩きつけて恥をかかせ、あとから駆けつけたジェルモンに叱責される。数か月後、ヴィオレッタは末期のベッドで横たわり、そこにすべての事情を知らされたアルフレードとジェルモンが訪れて和解するものの、もはや残された時間はなく、ヴィオレッタは絶望に悶えながら息絶える……。



 こうして概観してみると、オペラの幕が開いた時点で、すでにヒロインの死は動かしがたい運命だったことが明らかだ。確かにヴィオレッタの健気さに対し、アルフレードの愚かさやジェルモンの偽善ぶりが観客の憤懣を誘うものの、それはドラマを成り立たせるための仕掛けに過ぎず、かれらの存在とは無関係にヴィオレッタの末路は既定事実で、こうした事態は高級娼婦のなりわいが招いたものであり、もしアルフレードとジェルモンが登場しなかったとすれば、享楽に明け暮れる貴族やブルジョアの空虚な人間模様のなかで孤独の死を遂げただけのはずだ。であるなら、この田舎地主の父子は彼女の心情をかき乱しながらも、人生の終焉にせめてもの彩りを添えたと言えるのではないか。


 ヒロインはおよそ自分の意思や期待と隔たった成り行きに対して、この言葉を繰り返し口にすることしかできない。最後の死の瞬間までも。



 「E strano!(不思議だわ!)」



 すなわち、ヴェルディの19番目のオペラは、ステージ上に運命の歯車にがんじがらめになったひとりの女がいて、その歯車が回るにつれてじわりじわりと押しつぶされていく悲しみを、この稀代の作曲家ならではの高貴で精緻きわまりない音楽によって美の光景として描きだした。もちろん、われわれだってだれしも運命の歯車を背負って生きていることに思いを致すとき、なんと恐ろしい作品ではないだろうか。



 つい最近、英国ロイヤル・オペラが2019年にリチャード・エア演出、アントネッロ・マナコルダ指揮で行った『椿姫』公演の映像記録を知った。主演のエルモネラ・ヤオというソプラノ歌手が迫真の演技を披露して、あたかもヴィオレッタそのひとが乗り移ったとしか思えないステージにのめり込んでいくうち、いつしかわたしはあの十数年前の異常な興奮がよみがえってきて……。