国宝犬山城って、でら貴重。
犬山城天守は国宝です。
って、そんなの知ってるよ!って声が聞こえてきそうです(笑)
では、国宝の天守ってどれだけ貴重か、知ってますか?
もっと言うと、犬山城天守ってどれだけ貴重な存在か、知ってますか?
ということで、
今回から、
シリーズ 『プレシャス! 犬山城』
と題して
犬山城天守の貴重さを解説してみたいと思います。
私も調べながらなので、どこまでできるかわかりませんが、楽しみです。
突然ですが、
むかーしむかしから数えて、お城っていくつあったんでしょうか?
答えは、
40,000
すんごいありましたね。
47都道府県ですから、1都道府県に平均850。
やばいぐらいの数(笑)
では、現存している天守はいくつあるんでしょうか?
答えは、
12
たったの。
あとの39,988は?
天守は残っていません。
何も残っていないお城もたくさん。
天守があるじゃんってところ、それはほとんどが戦後に建てられた、いわばモニュメント。
現存天守=当時のまま残っている天守は12。
これはいずれも国の重要文化財。
日本の大事な大事な文化財です。
では、そのうち国宝の天守はいくつ?
答えは、
5つ
たったの。
たったの5つ。
そのうちの一つが犬山城!
おぅ! プレシャス!
この数字、なんだと思います?
順番に見ていきましょうか。
まず、40,000といったのは、
弥生時代ぐらい昔から「お城」としての機能をもった集落も含めての数。
では、戦国時代にはどのぐらいあったかというと
3,000
いわゆる
安土桃山時代
織田信長が暴れまくって、
豊臣秀吉が贅沢しまくって、
そして関ヶ原の戦い、大坂の陣を経て、
江戸時代になります。
(江戸時代の始期については諸説あるようですが。)
で、
一国一城令
が出されます。
つまり、
一国に城郭はひとつだけ。あとはみーんな廃城。
そのおかげで、
180
まで減ります。
その後、江戸時代には何かにつけてお家取り潰し。城郭も廃城。
ってのが続いて、
幕末には
70
ぐらいになっちゃいました。
そのあとがもっとひどい。
明治新政府になってからは、
武士の世の象徴=城郭はことごとく取り壊し。
見るも無残な形にされてしまいます。
それでも何とか残ったのは
20城。
奇跡の20城です。
松前城、弘前城、水戸城、松本城、犬山城、名古屋城、大垣城、丸岡城、彦根城、和歌山城、姫路城、岡山城、備中松山城、広島城、福山城、松江城、丸亀城、松山城、宇和島城、高知城
さらに、太平洋戦争のとき、日本本土空襲。
8城が焼かれてしまいました。
目立つから、狙われました。
日本人の心だから、狙われました。
残念ですけど。
残る天守は13。
昭和24年に松前城が火事で燃えてしまって、12城になります。
それが、
現存している12城。
弘前城、松本城、犬山城、丸岡城、彦根城、姫路城、備中松山城、松江城、丸亀城、松山城、宇和島城、高知城
安土桃山時代にあった3,000からしたら、
その生存確率は
0.03%
この12城が残ったのは、超奇跡です!
おぉ、プレシャス!
現存12天守はすべて国の重要文化財。
そのうち、『国宝』 に指定されているのは、
たったの5天守。
松本城
彦根城
姫路城
松江城
そして、われらが
犬山城
おぅ!プレシャス!
数々の戦火をくぐりぬけて、
そして、今なお、
当時の姿を残している。
それが、国宝犬山城なんですよ。
プレシャス!
ね。
とっても貴重でしょ!
そんな犬山城の貴重さを
もっともっとアピールしていこうよ!
というところで、今回はここまで。
次回は、現存天守が12あるのに、なんで5つだけが国宝なのか?
について解説してみようと思います。
では、また。
2017年4月9日
たかまる。
※ 写真はすべてたかまる。が撮影したものです。
※ 図はすべてたかまる。が描いたものです。
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