オッタヴィア(オクタウィアエ)の列柱 Portico d'Ottavia
オッタヴィアの列柱は、紀元前146年にクィントゥス・カエキリウス・メテッルスにより造られた大きな長方形の建造物メテルス回廊で、アウグストゥス帝が紀元前27年から紀元前23年の間に再建し姉の名を付けた。何度か修復後、ローマは滅亡し廃墟と化した。
★ メテルス回廊
クィントゥス・カエキリウス・メテッルスにより造られたメテルス回廊にはユノ神殿と、ローマ初の総大理石の建造物であったユピテル・スタトル神殿があった。
★ アウグストゥス帝
アウグストゥス帝により紀元前33年から紀元前23年にかけ、ギリシャ語、ラテン語の文献を納める図書室も合わせて改造され、全て姉でマルケルスの母オクタウィアに捧げられ、宗教的政治的な行事が行われ市民が自由に出入りできた。
191年に火事で焼失。
★ 小オクタウィア(オクタウィアエ)
小オクタウィア(紀元前69年 – 紀元前11年)は、アウグストゥス帝の姉でマルケルスの母。紀元前40年にマルクス・アントニウスと政略再婚。弟と夫の間をとりもつ賢い人だった。アントニウスは愛人クレオパトラと出会い、紀元前32年に離婚した。オクタウィアは自分の子や親戚の孤児ら多くの子供たちを育てつつ、静かな生活を送った。古代ローマでは横顔をコインとして発行された最初の女性である。
★ セプティミウス・セルウィス帝
現存するのは、カラカラ帝の息子セプティミウス・セルウィス帝により203年に修復されたもの。
現在残るのは正面中央の入り口部分のみ。コリント式の円柱が2本並ぶ。中央に碑文が刻まれているのが見られる。ヘレニズム期の建築に影響を受けた列柱。
34のブロンズ彫刻の装飾は、紀元前334年ゴラニコス川の戦いにおけるアレクサンドロ大王とクラックス兄弟の母でスキピオの娘コルネリアを表している。
中世
★ サンタンジェロ・イン・ペスケリーア教会
8世紀、遺構の上にサンタンジェロ・イン・ペスケリーア教会が建てられた。
ペスケリーアは魚屋の意味で、テヴェレ川からあげられる魚を売る市場が1880年まで出ていた。魚の長さが碑文より長ければ、何かしら特権が与えられた。
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2017.04
参考