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キリスト教で読む西洋史ー聖女・悪女・聖人・皇帝・市民

苦悩と歓喜3-ハイリゲンシュタットの遺書

2021.10.14 09:30

ベートーヴェンが難聴に気づくのは1800年30歳の頃である。この年の4月2日に交響曲第1番を初演し、本格的な作曲家としての歩みを始めたばかりである。新聞の批評は「管楽器を使いすぎ、それが突出しすぎて吹奏楽のようだ」と書かれた。しかし後の特徴となる力強さが表れている。

ベートーヴェンはピアニストとして有名になり、多くの弟子がつき、生活も楽になってきた。バレエ音楽「プロメテウスの創造物」を書くことで、劇場音楽にも進出し、評価が得られることになった。当時はなんといっても、オペラや劇場音楽を書くことが名声への道だった。

さらに何と14歳の女性に恋をする。伯爵令嬢ジュリエッタ・グイチャルディ、「私は彼女を愛し、彼女も私を愛している、しかし残念なことに身分が違う」と手紙に書いている。そして彼女に捧げられた曲が有名なピアノソナタ14番通称「月光」である。この名称は他人が付けたものだが、ロマンチックなムードに溢れている。

しかし翌02年には難聴が酷くなり、10月に「ハイリゲンシュタットの遺書」を書くことになる。彼は自分の苦しみの死による救済を願ったこともあるが、「死よ望むときに来るがよい。お前に立ち向かおう」と決意する。意志による苦悩からの勝利というテーマはこのときに出来たと言ってよい。