特権
1 人権体系の背後にあるもの
「特権」と聞くと、不平等だ!、アンフェアだ!という感情が先行しがちかもしれない。
しかし、光あるところ影あり。表があれば、裏がある。おそらく誰も指摘していないだろうが、実は、人権体系の山の背後に隠れて、広大な特権の海が存在しているのだ。
憲法の教科書は、人権体系を詳述しているけれども、特権体系をも明らかにして、初めて我が国の権利のあり方の全容が明らかになるはずなのだが、個々の特権について言及されることはあっても、残念ながら、特権に共通した法理があるのか、あるとすればどのような内容なのかなど、特権全般について体系的な研究が行われていないように思われるのだ(勉強不足で、私が知らないだけかも知れないが。)。
このブログでこれを明らかにしようなどと無謀な試みをする気は毛頭ない。ただ、特権とは何か、どのようなものがあるかについて、簡単に触れるにとどめる。
2 特権とは何か?
特権の定義については、下記のように、表現が微妙に異なるとはいえ、内容的にはほぼ共通しているといえよう。
特権とは、「① 特別の権利。特別の権能。」、「② 特定の資格を有する人、または特定の身分や階級に属する人に限って与えられる権利」をいう(『精選版 日本国語大辞典』小学館)。
特権とは、「ある個人,集団または階級によって享受される特別の権力,免除,または利益を意味する」(『ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典』。
特権とは、「特定の人又は特定の身分や階級に属する人に特別に他に優越して与えられる権利、利益」をいう(『法律用語辞典第4版』有斐閣)。
3 特権の特徴ってなに?
人権とは、「人間が人間である以上、生まれながらに当然にもっている基本的な権利」をいう(『法律用語辞典第4版』有斐閣)。
このように人権が万人に平等に認められる権利である以上、特権は、人権ではないということだ。これを理解していない人が意外に多い。
例えば、少年犯罪の厳罰化を図る少年法の改正をめぐって「子どもの人権を守れ!」とマスコミや人権屋が声高に叫んで大騒ぎしているが、大人に認められていない取扱いは特権なので、それを言うならば「子どもの特権を守れ!」と言うべきなのだが、マスコミや人権屋は、人権の初歩すら理解していないことを自ら喧伝しているわけだ。
逆に、憲法学者の中には、選挙権は人権だと主張する人がいるが、未成年者に認められていない選挙権は、成年者の特権なのだ。
次に、特権を認めることは、日本国憲法第14条第1項が定める法の下の「平等」に違反するのではないかが問題となる。
この点、日本国憲法第14条第1項の法の下の「平等」とは、「各人の性別、能力、年齢、財産、職業、または人と人との特別な関係などの種々の事実的・実質的差異を前提として、法の与える特権の面でも法の課する義務の面でも、同一の事情と条件の下では均等に取り扱うことを意味する」。従って、「恣意的な差別は許されないが、法上取扱いに差異が設けられる事項(たとえば税、刑罰)と事実的・実質的な差異(たとえば貧富の差、犯人の性格)との関係が、社会通念からみて合理的であるかぎり、その差別的取扱いは平等違反ではない」と解されている(芦部信喜『憲法』岩波書店110頁)。
つまり、社会通念からみて合理的である限り、特権は、平等違反ではない、換言すれば、社会通念からみて合理的である限り、特権が認められるということだ。
4 特権にはどんなものがあるのか?
万人に認められる権利・利益かどうかを基準に、思いつくままに特権を列挙してみることにする。列挙された個々の権利・利益については、特権かどうかなお検討の余地があるし、また、ここでは社会通念上合理性があるかどうかの検討もしない。
特権という言葉で直ぐに思いつくのは、外交官特権(不可侵権と治外法権)だろう。外国の外交官だということで、ウィーン外交関係条約上、日本国民には認められない特権が認められている。
国会議員には、憲法上、不逮捕特権(第50条)と免責特権(第51条)という議員特権が認められている。
裁判官の職権の独立(司法権の独立の一つ。憲法第76条第3項)も、万人に認められるわけではないので、特権だと言える。
憲法第23条の学問の自由を担保するための大学の自治も、大学法人以外の法人には認められない特権だ。
憲法第22条第1項の職業選択の自由の一内容として、営業の自由が認められるが、例えば、飲食店や質屋などの営業については、法律で一般的に禁止され、法定の要件を充した者だけが営業許可をもらって営業することができるので、この営業許可は特権だ。
つまり、鉱業権設定の許可、公有水面埋立免許、放送事業免許のように、行政機関が、特定の者に対して、権利や権利能力を設定する講学上の特許だけでなく、営業許可・運転免許・医師免許のような講学上の許可も、万人に認められないので、特権なのだ。
憲法第25条により生存権が保障されているが、生活保護受給権は、法定の要件を充した者に対する生活保護決定により与えられ、万人に認められないので、特権だ。
同様に、補助金、奨励金、奨学金、各種手当等の受給権も、特権だ。
また、所得税等の納付義務や就学義務の免除や猶予も、法定の要件を充した者にだけ認められるので、特権だ。
前述した選挙権・被選挙権、憲法改正の国民投票権、地方特別法の住民投票権は、地方自治法上の直接請求権は、未成年者に認められないので、成年者の特権だ。
公務員は、法定された分限免職事由・懲戒免職事由に該当しない限り、定年まで働けるという身分保障がなされているが、これも民間人には認められないので、公務員の身分保障は特権だ。
地方公務員には、民間人はもちろんのこと、国家公務員にも認められない特別休暇が条例上認められるが、これも特権だ。
弁護士に対する懲戒は、弁護士会が行政庁として自ら独立して行うが、これは弁護士の特権だ。
行為能力は、未成年者には一部認められないので、その限りで成年者の特権だ。
飲酒や喫煙も、未成年者には認められないので、成年者の特権だ。
同一債務者に多数の債権者がいる場合には、全ての債権者が債務者の財産から債権額に応じて按分比例により平等に弁済を受けるのが原則だ(債権者平等の原則)。
しかし、債権者が先取特権、抵当権、質権という担保物権を有する場合には、例外的に優先弁済権が認められるが、この優先弁済権も、一般債権者には認められないので、特権だ。
未成年者に対する親権は、父母以外の者には認められないので、父母の特権だ。
相続権は、相続人以外の者には認められないので、相続人の特権だ。
5 「国民権から人権へ」?
思いつくままにざっと列挙してみただけなので、これら以外にもたくさんあることだろう。日頃、マスコミや人権屋が平等、平等と叫んでいるその裏で、せっせと特権が作り続けられ、それが特権であることすら認識されていないのが現状だ。
中世ヨーロッパには、そもそも人権の観念がない以上、人権体系がなく、良き古き法(慣習法)により守られた特権(封建的な国民権)の体系があった。
国王には国王の特権があり、貴族には貴族の特権があり、ギルドにはギルドの特権があり、農奴にすら家族がバラバラで売られないという特権があった。あらゆる人々が特権をもっていて、親から子へと相続された。絶対君主制の時代でも、事情は変わらなかった。現代の英国も同様だ。
ところが、一部の人だけがもっている特権ではなく、全ての人が生まれながらに平等にもっている権利(人権)があるはずだと考えられるようになって、市民革命を経て、人権体系が構築されたわけだ。
そのため、憲法学では「封建的な国民権から近代的・個人主義的な人権へ」という流れが進歩主義史観を背景に語られるけれども、たくさんの特権が作られている現状を踏まえると、果たしてそうなのだろうか、まず、国民権の体系があって、例外的に国家を前提としない人権があると考えた方が現状にマッチするのではないかと疑問に思えてくるのだ。
例えば、天皇には政治活動の自由や職業選択の自由がないので、政治活動の自由や職業選択の自由は、国民の特権だ。国民権から再構築した方が分かり易いと思うのだ。