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「宇田川源流」【土曜日のエロ】 私などは古い人間なの性別の思い込みは多い方であるがそれは時代遅れらしい件

2021.10.15 22:00

「宇田川源流」【土曜日のエロ】 私などは古い人間なの性別の思い込みは多い方であるがそれは時代遅れらしい件


 今週も「土曜日のエロ」の日になった。人間は、ある意味で「エロ」を秘め事としながら、その「エロ」がないと子孫がいなくなってしまうので困るということになる。そこで、秩序を維持しながらエロ」を行うという方法を考えているのであるが、それがなかなか難しいということになるのである。

 その「エロの元」は、そもそも「男女」「雄雌」というような性別が存在し、その性別が、交配しなければ子供ができないということにある。これは、実は人だけではなく、植物も虫も動物も同じである。その交配の仕方が、哺乳類であればセックスということになるし、一方、卵で産む動物はそのような形になってくるということになるのである。

 さて、その「男女」ということではないが、まあ今週のニュースの最も大きなものは、「解散」であろう。国会というのは、国民の意見の代議員が集まって「法律」と「予算」を審議するのであるが、実際に、その代議員の内、衆議院は首相の権限で解散を行うことができると憲法の規定にある。岸田内閣は就任当初から14日に解散すると明言しており、19日に公示そして31日に投開票が行われる選挙戦に入ったということになるのである。

 さて、その衆議院、毎回なぜか出てくるのが「女性の比率」という言葉である。

 この総選挙に関してはまたどこかで(選挙終わってからかなあと思っている)書くことになるが、その内閣や、会議なども「女性の比率」「女性の進出」ということが毎回話題になるのである。

 これに関して、私は、何しろ昭和一桁生まれの両親に育てられた昭和生まれのオッサンであることから、どうしても違和感がある。現代では古い考え方であるというのは認識しているのであるが、「女性は家庭を守る」というような認識が残ってしまっている。もちろん否定はしないのであるが、「そもそも能力が高ければ女性も男性もないのではないか」と思うし、また、その「能力」も偏差値などではなく、「人間としての社会性や協調性などを含めての能力」という意味で、その内容をしっかりと考えるべきではないかと思ってしまうのは間違いなのであろうか。

 「女性だから議席の半分をもって言って構わない」というのは、ある意味で「性別による逆差別」でしかないような気がするのであるが、実際のところはどうなのであろうか。


性別で思い込み「ある」76%=「家事は女性」「男性は仕事」―内閣府調査

 内閣府が、性別に基づく無意識の思い込み(アンコンシャス・バイアス)について初めて調査を実施したところ、回答者の76.3%が「ある」と回答したことが分かった。

 家庭や職場で「家事は女性」「男性は仕事で家庭を支える」といった固定観念が男女双方に強く残っていることが浮き彫りになった。

 調査は性別による役割や思い込みに関する36項目について尋ねた。男女とも、1位は「女性には女性らしい感性がある」(男性51.6%、女性47.7%)、2位は「男性は仕事をして家計を支えるべきだ」(男性50.3%、女性47.1%)だった。

 一方、「デートや食事のお金は男性が負担すべきだ」(男性37.3%、女性22.1%)、「男性は人前で泣くべきではない」(男性31.0%、女性18.9%)、「男性なら残業や休日出勤は当たり前だ」(男性20.2%、女性10.3%)といった、男女で意識に差がある回答もあった。

 場面別で見ると「育児期間中の女性は重要な仕事を担当すべきでない」(男性31.8%、女性30.7%)、「組織のリーダーは男性の方が向いている」(男性25.7%、女性22.4%)などが上位を占めた。

 調査は8月13~18日、モニター登録した20~60代の男女を対象に実施し、1万330人から回答を得た。 

2021年10月2日 5時21分 時事通信社


 ということで、今回は、「私の勉強の意味を含めて」エロというよりは「男性と女性」ということを考えてみたい。まあ、解散総選挙であるからなおさらなのかもしれないが、まあ、普通のエロという意味とは異なるのかもしれない。

 家庭や職場で「家事は女性」「男性は仕事で家庭を支える」といった固定観念が男女双方に強く残っていることが浮き彫りになった。<上記より抜粋>

 まあ、まだそのような固定観念があるというのは、私自身は「古い」考え方ではあるものの、どうも完全な少数派というのではないようである。もちろん「女性だから下」というようなことはないと思うし、「女性だから家庭にいなければならない」というような強制をするつもりはない。

女性でも社会に出て優秀な人もいるし、また、逆に男性でも家事や子育てが上手な人もいる。しかし、一般論として「女性と男性は様々な意味で異なる」という感覚は残されている。

どんなに頑張っても「生物学上」男性と女性は異なり、男性は基本的には子供を産むことはできない。変な言い方をすれば「自分が産んだ子供」と自信をもって言えるのは女性だけなのであり、男性は「種が自分である」などということは、ある意味で「状況証拠」でしかないというような気がするのである。もちろん、今になればDNAなどの検査で、様々にわかるのかもしれないが、しかし、そのような特殊な検査をしなければ、わからないことも事実である。

 さて、この問題を考える中で、一つ言えることは「らしさ」を言うことを求めてはならないということではないか。ある意味で「女性らしさ」「男性らしさ」という「らしさ」とは、「自分の意識」ではなく「他人が女性(男性)に対して持っているイメージの押し付け」でしかなく、そのイメージの押し付けにおいて、「押し付けたもの通りでないと差別的な行動を起こす」ということが最も大きな問題であり、実際には個人差異があり自分の認識があるということになる。

その自分の認識を「らしさ」で片付けられてしまうことに大きく抵抗があることは、私自身が「学生らしさ」を求められた学生時代に、経験をしているのでよくわかる気がするのである。

 一方で、その「自意識」も「過剰」になってしまってはおかしい。つまり「女性と差別されているから」ということを言い訳にしてはならないわけであり、本来の「能力通り」という可能性も少なくない。

女性であることが障害になる例は実はそれほど多くなく、それなのに「女性が~~」と騒ぐことで、かえって「女性を特別扱いすべきというような感覚を強要される」というような状況になってしまっているのではないか。当然い「らしさ」を強要することもよくないが、「逆差別を行うこと」もよくないのである。

 なぜかその辺のバランスがうまくゆかない。そこには男性にも女性にも「主観」が入ってしまい、「こんなはずではなかった」というような話が出てきてしまうからに他ならないのである。

 上記のようなアンケートであっても、それが個人の内容であり、「区別と差別」を一緒にして議論すべきではないということになるのではないか。