ZIPANG TOKIO 2020「飛騨の匠とは?飛騨の匠を迎えて『壁というデザイン』中部インテリアデザイン連絡会リレーセミナーのご案内」
飛騨国分寺三重塔と大銀杏
国宝 安国寺経蔵の八角輪蔵
高山市指定文化財 雲龍寺鐘楼門
日下部民藝館外観
日下部民藝館内部空間
吉島家外観
吉島家内部空間
現代の飛騨の匠に出会える高山市荘川町の「荘川であいの森」
高山市役所庁舎 市政の中心・市民に親しまれるシンボルとして…
歴史・風土・文化が表現された庁舎
伝統的形態の美しいシルエット、時とともに古びゆく壁面の土を素材としたレンガは、豊かな表情に潤いを保っています。
高山の風土で育まれ、伝統的都市景観を形づくる3寸勾配のゆるやかな屋根は庁舎の「姿」を統合し、現代技術により再構築した新しいものと伝統的なものが調和を醸す高山市のシンボルとして、21世紀の扉を開く伝統的文化都市の象徴といえるでしょう。
「匠とは、奈良時代~室町時代には上級の手工芸者のことをいい、江戸時代以降は主に木工技術者を言う。」とありますが、現代の匠とは、それぞれの分野の優れた技術をもった人のことではないでしょうか。
「かにかくに物は思はじ飛騨人の打つ墨縄のただ一道(ひとみち)に」と万葉集に歌われているくらい名前が知れわたっていた飛騨の匠について高山市役所、飛騨市役所の資料と体験から飛騨の匠の足跡、技術をたどってみました。
日本遺産 「飛騨匠(ひだのたくみ)の技・こころ― 木とともに、今に引き継ぐ1300年 ―」
神明神社絵馬殿・・・元禄8年(1695年)、高山城内の月見殿を移築
高山市の歴史
飛鳥・奈良時代(飛騨の匠)
大化の改新によって税制が確立しましたが、飛騨は山国なので納める織物などは免除され、そのかわり1年に250日から300日間、都へ行って宮殿や寺院などを造る大工仕事が課せられました。家50戸ごとに10人ずつ割り当てられ、飛騨からは毎年100人前後の匠が出役したようです。優れた技術を持つ飛騨の匠の手により立派な建物ができ上がっていきました。しかし、中には仕事が苦しく逃げ出す人もいたようです。
飛騨の匠
「かにかくに物は思はじ飛騨人の打つ墨縄のただ一道(ひとみち)に」
この「万葉集」の歌は、飛騨の匠が墨縄で付けた一本の線に、作者が自らの一途な恋心を重ねたものです。万葉集がつくられた奈良時代、すでに飛騨の匠がよい腕を持った大工としての代名詞であったことが伺えます。
奈良時代になると伝染病が流行し、各地で飢饉が起こって、人々は不安な毎日を送っていました。そこで、聖武天皇は仏教の力を借りて人々の不安を鎮め、国を守るため、各地に国分寺を建てるよう命じました。
高山の国分寺には奈良時代創建当時の塔の礎石が今も残っています。ただ残念なことに、当時の建物は残っていません。現在の本堂は500年以上前に建てられたものです。
また、境内にそびえたつ大きなイチョウの木は国分寺建立のときに植えられたものと伝わっており、国の天然記念物に指定されています。
飛騨国分寺鐘楼。背景には眩いばかり見事な大銀杏。
近世・近代の匠達 町人文化が発達した近世以降、多くの名建築・工芸品を生み出されました。 代々木工を職とする一門が多く現われ、飛騨匠の技は伝承されました。 このうち、飛騨権守(ひだごんのかみ)・藤原宗安の直系とされるのが、江戸時代中期以降4代にわたり「水間相模守(みずま さがみのかみ)」を名乗り、優れた彫刻を特徴とした水間一門です。
高山市の歴史年表
縄文から古墳時代 紀元前 堂之上遺跡、糠塚遺跡 377年頃 両面宿儺の乱 5世紀後半 冬頭王塚古墳ができる
飛鳥・奈良時代 646年 飛騨に国司、郡司がおかれる 8世紀 国分寺が建つ 飛騨の匠が都へ
平安から室町時代 1181年 木曽義仲が飛騨に攻め入る 1334年 姉小路家綱が飛騨国司になる 1347年 安国寺が建つ 1408年 安国寺の経蔵が建つ 1504年 高山外記が天神山に城を築く 1579年 三木自綱が松倉城を築く
金森氏による藩政時代 1585年 金森長近が三木氏を滅ぼす 1586年 金森長近が飛騨国主になる 1588年 高山城の築城、城下町の整備が始まる 1692年 金森氏が出羽国上ノ山に国替えとなる
幕府直轄地(天領)時代 1695年 幕府の命により高山城が取り壊される 1771年 大原騒動が始まる
明治以降 1868年 飛騨県がおかれ、その後高山県となる 1871年 高山県が筑摩県に入る 1875年 高山一之町村、二之町村、三之町村が合併して高山町になる 1876年 岐阜県に編入される 1926年 灘村と合併する 1934年 高山本線が全線開通する 1936年 大名田町と合併して高山市になる 1943年 上枝村と合併する 1948年 乗鞍登山バスの本格運行が始まる 1955年 大八賀村と合併する 1968年 国道41号線が全線開通する 1973年 乗鞍スカイラインが開通する 1978年 平湯トンネルが開通する 1997年 安房(あぼう)トンネルが開通する 2005年 9町村と合併して現在の高山市になる 2008年 東海北陸自動車道が全線開通する
町歩きのスタートに便利な立地「飛騨の匠文化館」
飛騨市「飛騨の匠文化館」
木の国飛騨で育った木材を使い、飛騨の匠の技を受け継ぐ地元の大工たちによって建てられ、釘を1本も使っていないのが特徴。
中庭に面する軒下には、この建物に関わった大工の紋章「雲」が施された小腕が連なります。
館内では各種の継ぎ手や木組みの見本展示、千鳥格子などを組んでみることのできる体験コーナーもあります。
2階の畳部屋から座って眺める瀬戸川は最高です。
匠の技を集結! 飛騨の匠文化館の外観
展示物にも建物にも匠の伝統を感じる
展示物にも建物にも匠の伝統を感じる(一位一刀彫等)
展示物にも建物にも匠の伝統を感じる
展示物にも建物にも匠の伝統を感じる(二階通路)
展示物にも建物にも匠の伝統を感じる(建物や木組みの模型を展示)
奈良の斑鳩の里でお目にかかった最後の宮大工といわれ薬師寺西塔を指揮された西岡棟梁の
「建物の木を組むためには人を組め」という言葉を思い出しました。
飛騨の匠の足跡,匠の技術,道具を展示
千鳥格子も各種展示されている
飛騨の匠の秘法として有名な「千鳥格子」は、角材の組み合わせに細工がある飛騨の伝統技術のひとつ。 升目を形作る木が、まるで織物の縦糸横糸のように互い違いに組み合わせられている手法です。「飛騨の匠文化館」の体験コーナーでは、この千鳥格子をはじめ、各種の木組みパズルにも挑戦することができます。実際やってみるとなかなか難しく、中には長い時間をかけて挑戦している観光客も見られるほど。飛騨が誇る技術を集めたこの「飛騨の匠文化館」。館内の展示物を見て、実際に匠の技を体感してから町並み散策へ出発すれば、新しい発見があるかもしれません。
展示物にも建物にも匠の技が生きています
匠文化館には貴重な道具も展示されている
都を造った飛騨の男たちの技
古くから「匠の里」として栄え、現在でも建築業に従事する人の割合が高いといわれる飛騨市。奈良時代以降、高い技能を持っていた飛騨の匠たちは都に派遣され、藤原京や平城京、平安京の建築にも携わったと伝えられています。万葉集や日本書紀、今昔物語、源氏物語などにも、飛騨の匠たちの真面目で一途な仕事ぶりや高い技術への賞賛が描かれているほどです。先人たちが磨いた技法は今に受け継がれ、建築はもちろんのこと、家具や一刀彫、陶芸、飛騨春慶塗りなど、飛騨を代表する様々な分野に活かされています。
「雲(くも)」は飛騨の大工さんの紋章のようなもの
「雲(くも)」は飛騨の大工さんの紋章のようなもの
本光寺の本堂は、木造建築では飛騨地域で最も大きく、市内随一の存在感を誇るお寺。毎年1月15日に行われる飛騨古川の冬の風物詩「三寺まいり」の時にお参りするお寺の一つです。開基本尊の方便法身尊形は、全国的にも珍しい蓮如上人の裏書のある絹本着色の絵像で、岐阜県重要有形文化財に指定されています。敷地内には、その昔、製糸業の盛んな信州に出稼ぎに行ったという多くの飛騨の若い女性たちの姿を描いた小説『あゝ野麦峠』を記念した文学碑も建てられています。
町の至るところで生活にとけこんだ匠の技に出合える
町の至るところで素敵な匠の技に出会える
建築以外にも活かされる匠の技と伝統(根付)
瀬戸川の風景は飛騨古川の象徴
いつまでも大切にしたい美しさと優しさ
白壁土蔵が建ち並ぶ瀬戸川沿いの道は町の象徴
連なる白壁土蔵と、その袂に流れる瀬戸川。飛騨古川の町並みを語る時に欠かすことのできない、町の象徴とも言える風景です。瀬戸川沿いの通りの景観をはじめとした飛騨古川の町並みは全国的にも有名になりました。しかし、観光客が写真を撮りながら景観を堪能しているそのすぐ側で、地元の子どもたちが笑顔で追いかけっこをして遊んでいるというような光景が見られ、一口に「観光地」と言ってしまうのがためらわれる、暮らしに根付いた温かさを感じます。
飛騨市概要
平成16年2月1日に、古川町、河合村、宮川村、神岡町の2町2村が合併し、飛騨市が誕生しました。
本市は、岐阜県の最北端に位置し、北は富山県、南は高山市、西は白川村に接しており、県庁所在地の岐阜市から約150km、高山市の北約15kmに位置しています。
周囲は3000mを越える北アルプスや飛騨山脈などの山々に囲まれ、総面積792.53平方キロメートルの約93%を森林が占めています。年間を通しては、平均気温11度で四季の移り変わりを肌で感じることができ、とても自然に恵まれた地域です。
県都岐阜市からJR高山線で2時間15分、富山市から1時間10分、東海北陸自動車道・飛騨清見インターから県主要地方道を経由して30分に位置。また、国道41号、360号、471号は、市内を縦・横断し物流に貢献しています。
中部インテリアデザイン連絡会リレーセミナーのご案内
今回で20回目となります。中部インテリアデザイン連絡会リレーセミナーのご案内です。
JIM認定資格インテリアマイスター、アロマ空間セラピスト、インテリアコーディネーターの皆さん。また、現在インテリアデザイン、インテリアコーディネート、プロダクトデザイン、色彩、建築等を学ばれておられる皆さんや、インテリアやデザインにご興味のおありの一般の皆さん、どなたでもご参加出来ますので是非お申込み下さい。
中部インテリアデザイン連絡会とは
中日本エリア 理事のインテリアデザイナー・インテリアプランナー・一級建築士の木辺智子氏 に中部インテリアデザイン連絡会についてお話をお聞きいたしました。
「中部インテリアデザイン連絡会とは中日本エリアが参加する中部インテリアデザイン連絡会は中部エリアのインテリア関連団体が集まり、情報交換や展示会・講演会などいろいろな活動の場面をみんなで共有しようと立ち上げたものです。
構成団体は、中部インテリアプランナー協会、(公社)インテリア産業協会中部支部、インテリア学会東海支部、アクティブ インテリア アソシエーション、愛知県インテリア設計士協会、(一社)日本商環境デザイン協会中部支部と(公社)日本インテリアデザイナー協会の7団体です。
中日本エリアの大勢のインテリアデザイナー、インテリアコーディネーター、キッチンスペシャリスト、インテリアプランナー、インテリア設計士、商環境デザイナー、インテリアマイスター、アロマ空間デザイナー等が活躍しています。」
第20回 中部インテリアデザイン連絡会リレーセミナー
テーマ 壁というデザイン
協力(順不同)
高山市役所 商工観光部観光課
〒506-8555 岐阜県高山市花岡町2丁目18番地 電話番号:0577-35-3145
荘川観光協会 〒501-5413 岐阜県 高山市 荘川町新淵446 TEL:05769-2-2272
荘川町まちづくり協議会 〒501-5413 岐阜県 高山市 荘川町新渕430‐1 TEL:05769-8-6005
飛騨市役所 観光課
〒509-4292 岐阜県飛騨市古川町本町2番22号 電話番号:0577-73-2111