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中村鏡とクック25cm望遠鏡

旧小田邸天文台

2021.10.16 02:15

 以前から気になっていた写真と記述が、伊達氏の天文写真帖にありました。小田氏の天文台ドームとZEISS13cm(正確にはZEISS16cmアストログラフ)についてのものです。

 星の手帖Vol.11(1981年冬号,河出書房新社)に、小田天文台についての詳しい記事を見つけましたので、その後の経緯と共にご紹介したいと思います。

 小田良治氏(1872-1943)は、北海道で財を成した実業家です。北海道にも邸宅がありましたが、成功者は東京にも別邸を持つというのが当時の習わしの様に、東京麻布鳥居坂に広大な敷地を購入し邸宅を建築しました。設計はアメリカ人建築家のガーディナーが担当しました。完成は1924年(大正13)、完全冷房の住宅としては、日本最初のものだったようです。

 この邸宅にはカール・ツァイス社製のドーム、そして16cmF5ペッツファールタイプのアストログラフと11cmF11ガイド望遠鏡が設置されました。観測床は、モーターで上下するライジングフロアーになっていました。これらの機材は、当時の東京天文台や京都大学天文台を凌駕するものでした。

 上は、射場天体観測所の射場保昭氏が、1936年(昭和11)に日本にあった望遠鏡を調査したリストの一部です。ASTRO-CAMERAのカテゴリーに「S.Oda 」(上から2番目、正確にはR.Oda)の名前が見られます。

 当時の天文家の間には、宝の持ち腐れ状態にあったこの高価な機材に対するかなりの批判があったようです。

 天界(No.121、1931年5月号)に宮島善一郎氏の記事があります。

 「天文学研究熱の高まって来る事は誠に喜ばしくはありますが、或は将来至純な研究的態度を踏み外して趣味の堕落を来しはせぬかを危ぶまれます。会員中にはこんな間違った考えを起こす人は無かろうと思いますが、専門家以外の素人研究者としてはそれが独立天文台であらざる限り自らその研究には限りある事と思います。それに対してその限度を超えた設備や備品を持つことを趣味研究の如く心得てなんら活動をせぬ高価な輸入品を多く持つことが真の研究の如くに誤解される時期が到来しはせぬかと思われます。真面目に自然科学を研究するものにはなんら誇張の必要がありません。とくに素人としては専門学的な特別の備品より一般常用型の物に工夫をしてゆく所に多くの興味を覚えます。この点は天文同好会なる名称からも考えさせられる様に存ぜられます。」

 小田氏の死後、小田邸は進駐軍による接収、国への物納等を経て、フィリピン大使館となります。高価な機材は小田氏の知人と称する人物が根こそぎ持ち去った様です。

 上は1981年(昭和56)の旧小田邸の様子です。

 くだんの機材についての後日談です。アマチュア天文家の青木正博氏(1920-1984)が、東京巣鴨の電動遊戯機械などを取り扱っている店で、野ざらし状態になっていたアストログラフを発見しました。そして、三鷹光器でのオーバーホール後、1971年(昭和46)、八ヶ岳山麓の青木氏の新観測所に設置しました。

 「機材も人も適材適所」このことの大切さを教えられました。

(参考文献)

アーカイブ新聞第699号,中桐正夫,国立天文台・天文情報センター,2013.10.27

天界No.121,天文同好会,1931.4.25

星の手帖Vol.11,清水勝,河出書房新社,1981.2.1

(1枚目の写真は伊達英太郎氏天文写真帖より)