ナポレオン17-救国の英雄が出現する
2021.10.16 09:26
独裁者は公共事業が好きだ。平和な期間を利用して、ナポレオンは「どの都よりも美しい都にする」とパリ中心部の改造を行う。フランス革命では所有権が侵害されない、とされたが、国のためならば除外。革命以前からあったスラム街が一掃され、道路が整備され、セーヌ川に橋が架けられた。
公共事業や軍隊で、大規模な雇用が生み出され、生活が改善され、不満が沈静化された。近代でこの手法を使ったのはナポレオンが最初かもしれない。観光客で賑わうリヴォリ通りアーケードを作ったのは彼である。そしてこの後3世も同じパリ大改造を行うわけだ。
一番パリの役に立ったのは、ウルク川から100㎞の運河をつくって水をもってくることだった。工事は1802年に着工されたが、戦争による人出不足で遅れに遅れたが、1808年に完成し、アウステルリッツの戦勝記念にあわせて大々的なセレモニーが行われる。パリの30%はこの運河の水でまかなわれた
1803年、オルレアン市長が、地元の英雄ジャンヌ・ダルク像建設の許可をもらいに来た。そのときナポレオンは「フランスの危機には必ず英雄が現れる」と言って、ジャンヌを新聞で宣伝する。ジャンヌは神に遣わされたというが、啓蒙主義の手前、自分ではいえないが、自分もそうだと民衆にほのめかす。