高良鉄美・法科大学院教授が語る憲法 「平和的生存権、沖縄にも」
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毎日新聞 2016年6月15日
高良鉄美・法科大学院教授が語る憲法 「平和的生存権、沖縄にも」
研究室の壁面には50個ほどの帽子が並ぶ。琉球大キャンパスの高良鉄美教授は、黒いサマーハットをかぶって迎えてくれた。人前ではいつも帽子姿と決めている。
20年ほど前、授業の一環で学生と訪れた沖縄県議会で「脱帽のこと」と明記された傍聴規則に違反するからと、入場を拒否されたのがきっかけだ。
県議会傍聴規則は、戦前の帝国議会をモデルにしていた。
「今の憲法では議会の傍聴は主権者たる国民の権利。規則を守るのを条件にした『恩恵』ではありません」。
憲法精神を着て、日常を生きる人である。
初めて日本国憲法を目にしたのは1964年、小学5年生の時。
授業で日本国憲法の条文を読み、「大きな感動を覚えた」と振り返る。本土復帰の8年前、米軍統治下にあった当時の沖縄は、日本国憲法にも米国憲法にも守られない「憲法番外地」。
米軍機墜落や米兵による事件事故が頻発していたにもかかわらず、多くは処罰もうやむやだった。
「この憲法には戦争放棄と基本的人権の尊重という理念が盛り込まれている。
適用されれば米軍基地の事件事故におびえる沖縄の問題は解決に向かう」。
少年はいつの日か訪れる復帰への期待を膨らませた。
あの時の希望を原点に、沖縄と日本国憲法の関係を研究し続ける。
憲法が公布された46年、東京にいた沖縄出身者の中には、全文をガリ版で何枚も刷り、沖縄に送った人がいた。
コピー機もない時代、沖縄の人々はその条文を写経のように書き写してみんなで読んだ。
「この時の感銘をもとに沖縄の人々は『憲法のもとへの復帰』という意識を育んだ面もある」。
沖縄の憲法史研究家はそう分析する。
72年に本土復帰は果たしたが、米軍基地が残り、痛ましい事件は繰り返されている。
佐藤栄作元首相は返還前の65年に沖縄を訪問し、「沖縄の祖国復帰が実現しない限り、わが国の戦後は終わらない」と述べた。
だが、高良さんは言う。「米軍基地が残る限り、沖縄で戦後は終わっていない。日本の戦後とは一体何なのか、ということになる」
第2次安倍晋三政権は2013年4月28日、主権回復記念式典を初めて開催した。
52年のサンフランシスコ講和条約発効を記念した行事だ。
条約3条には、沖縄が米国の施政権下に置かれることが明記されており、沖縄県民には「屈辱の日」と受けとめられている。
式典は沖縄の痛みをいかに政府が理解していないか、認識のギャップを示す象徴的な出来事だった。
「公務中に犯罪を起こした米軍人・軍属の第1次裁判権を米側に委ねる日米地位協定を根本から改定するのではなく、運用改善で軍属の範囲を見直すとか、政府は小手先の話ばかり。正直あぜんとしている」と怒りを押し殺すように静かに語った。
沖縄が期待した「憲法のもとへの復帰」は、こんなはずではなかった。「沖縄では、憲法が二つの意味で人々の暮らし、意識の中にしっかり根を下ろしています」と、教授は憲法講義を始めた。
ひとつは、平和的生存権という憲法の理念そのものが、国内最大の地上戦だった沖縄戦の歴史と密接に結びついていること。
沖縄戦の中で、戦闘があった島、なかった島をはっきり分けたのは、日本軍が駐留していたかどうかだった。
「米軍が上陸しても、日本軍がいなかった島では戦闘に至らず、住民に犠牲がなかった。戦力を持たないほうが平和が実現するという9条の精神は、沖縄の人たちは実感として持っています」
もうひとつは憲法97条。
「基本的人権は、人類の多年にわたる自由獲得の努力の成果」と歴史的意義をうたった部分だ。
「憲法から見放されていた沖縄県民が、人類史の中でできあがった権利を体感しながら獲得していく。いわばそれが、復帰のプロセスでした」。
憲法空白期を知る沖縄の人たちにとって、今の生活の中にある生活保護、障害者保護、児童福祉、民主的な教育など権利の一つ一つが「憲法がなければできなかった」と感じられるのだという。
だが、自民党の憲法草案で97条は削除された。
今年3月の安保関連法施行で集団的自衛権の行使も認められ、「戦争ができる国」へ着々と準備しているように見える。
「沖縄県民は憲法に希望を抱き続け、平和や基本的人権という憲法理念の実現を訴え続けている。日本で最も憲法を活用しているのは沖縄だ」。
その言葉は、平和的生存権を訴え続けなければ無視される沖縄の厳しい現実を分かっているのかという、本土の人たち、日本政府への問いかけでもある。
腹の底にまで響き渡るようなごう音とともに離着陸を繰り返す軍用機。米軍嘉手納基地を望む「道の駅かでな」の屋上展望場に案内してもらった。
羽田空港にもない4000メートル級滑走路2本を持つ嘉手納基地は、空軍基地として極東最大規模を誇る。
「騒音被害は、周辺5市町村に及んでいます」。
そう淡々と事実を語り、じっと離着陸を見守った。
高良さんは96年、沖縄住民の暮らしを脅かす米軍基地の実態を訴えようと、米ニューヨーク、ワシントンなど5都市でビデオ上映と講演を行ったことがある。
1枚の写真を見せると、会合に出席した米国人は目をむいていたという。
「軍用機が並ぶ基地フェンスのすぐ手前に、子どもがいて、乳母車があり、お母さんらしい女性が洗濯物を干しているカットでした。その人は『合成じゃないのか。本当にこんな生活しているのか』と聞いてきました。市街地と基地はすみ分けされている米国では想像もできない情景だったのです」。
あの時の米国人の驚いた表情が今でも忘れられない。
名護市辺野古のキャンプ・シュワブも一緒に訪れた。
夏空の晴れ間から急に降ってきた雨の中、ゲート前では新基地建設に反対する市民が座り込みを続けていた。
福岡高裁那覇支部の和解案を受け、建設工事は当面は中断しているが、市民は監視を緩めない。
「国が強制的に調査を行った経緯がある以上、参院選の結果次第ではどうなるか分からない」と解説する。
勝ち取った権利は、市民が緊張感を持って守る。
憲法97条にある、自由獲得の闘争史の現場が今も目の前にある。
戦争を経験した沖縄の長老から「沖縄は憲法に幻想を持っている」と言われることがある。
その問いにはこう答えている。
「国家は憲法に立脚するのが本来の姿。今の日本は憲法の実現という義務に積極的でないファントム(幽霊)みたいな政府、それこそ幻想になってしまった。だから解釈改憲とか、壁をスーッと抜けようとする。それが沖縄から見える安倍政権の姿です」
【井田純】
■人物略歴
たから・てつみ
1954年生まれ。琉球大法科大学院教授(憲法学)。沖縄県憲法普及協議会会長。2013年には「4・28政府式典に抗議する『屈辱の日』沖縄大会」の共同代表を務めた。著書に「沖縄から見た平和憲法」(未来社)など。
ニュースサイトで読む: http://mainichi.jp/univ/articles/20160615/org/00m/100/029000c#csidx5ca2a496436d1cb8b3ddc320c39d7fe
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