『みんなの旅行記ができるまで』
『みんなの旅行記ができるまで』を読む。面白かった。執筆者の年齢や性別や職業などなど様々で、そこがいちばん新鮮で印象的だった。
一次小説でアンソロジーを組むとなると、性別職業はともかく年齢は偏ると思っている(どの属性も文章から推察したものでしなかいけれど)。要因は分からんがなんとなく似た属性の人々で緩やかなグループができるというか(こういう風に見えているということ自体、自身も一部分(同じような年代)しか見えていないということなんだけど)。
なのでMarktbachさんの、昔の日記を頼りに旅行記を書いて同人誌デビューという話は新鮮だった。やはりなんでもメモは残しておこうと思う。一方、いっとさんの限界社会人が旅行記を作る話は、多分同じ年代ぐらいなのかな〜という感じで。働きながらこれぐらいタフに旅行も同人活動もされている方がいるのだなあと元気づけられる。旅や特定の地域への偏愛具合だけで、これだけ様々な年代の人が、様々な手法を使ったアンソロを組める旅行記ジャンルの懐の深さを感じる。
あと特にまかろにさんの“旅行のメモを書く暇がないまま、それでも旅行に行くのが好きだから、旅行に行くことを繰り返していたら、以前より楽しめなくなっていた。それはつまり旅行を消費するようになっていたからではないか。”という一文が印象的だった。これは音楽や本などでも言えることじゃないかなあと思う。行動し続ける限り何かを消費することは避けられないわけだけれども、消費をポジティブに捉えるキーワードの一つに「顧みる」ことがあるなと思った。
その後に読んだ「阪急タイムマシン」も面白かった。モチーフとストーリーの距離感がかなり自分好みだった。どっちも主役って感じ。ちゃんと物語に重きが置かれていてじーんとした。
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近所の居抜きのお店でランチ。今日の前菜は柿のコンポートが混ざったなますだった。美味しかった。
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青天を衝け、きせさんの「女たちはなにも知らされず男がしていることを黙って見ているだけだった。それがこうして頭を下げにきているんだ」というところが良かった。自分の倅たちがやることをなにも知らされずなにも口出しせず、不幸に巻き込まれてきたきせさんがいうからこその台詞。こうして一人一人の人生を取りこぼさない感じがこのドラマのいいところだと思うし、その感じを出すタイミングがストーリーの勘所にびしっとはまっててすごい。
富岡製糸場というと女工哀史のイメージだったのだけれど、当たり前ながらドラマでは先進的な施設として描かれていて、実際どんなもんだったのかとウィキで調べてみる。すると女工について“様々な身分の若い女性が同じ場所で生活していたことから、上流出身の女性の身なりに合わせたがる工女も少なくなく、出入りしていた呉服商・小間物商から月賦払いで服飾品を購入して借金を重ねる事例もしばしば見られた。”という記述を見つけていつの世も変わらんもんはかわらんなと思う。昨年、女工哀史を再考する図書が刊行されたようなので、気になる本に入れる。
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ネタバレについて。
私はネタバレについてあまり頓着しない。ネタバレしている人に対しても特になにも思わないし、ネタバレしても観たいものは観るし、観ないものは観ない。なんなら気になりすぎるものは、先にネタバレを探してから実際のものを観ることもある。
一度、ライブへ行くのに「セトリ見てきた」と言ったらとても驚かれたことがある。私はそのことに驚いた。セトリは見たけどライブはまだ観てないじゃん、ていうか始まってもないじゃん……と言ったらいいのかな。ライブそのもの、それは例えば技法だったり、音源との違いだったり、フロントマンの表情だっていいわけで、そういう自分の視点で対象を切り取るところに楽しみがあるので、内容を知っていようがいまいが関係ないと私は思う。
映画も小説も漫画もアニメもそうで、「対象物と触れあってる瞬間に自身が感じること」が自分にとっては観賞の楽しみであり、ネタバレに憤っている人はどういうところに楽しさを感じて映画を観たりしてるんだろうと純粋に疑問に思う。