なぜ、島根に移住したのか?
(後述する、yurusato店内の様子)
さっとんは3年前に、突然島根に移住しました!
まじで突然に!
・3月に初めて島根上陸
・帰ってきて次の日に上司に辞めると伝える
・5月に退職
・6月に移住
スケジュール的に言うとこんなかんじ!
これ、自分でも笑っちゃうけど
当時のおれ、なにがあった?笑
本人はかなり真剣で、これは行くしか無い!
という衝動にかられて動いてしまったのでした。
現地の人たちも
「こいつ、まじで来るのか?」
と思ってたらしい(*´Д`)ハァハァ
みんな心配してくれてたみたいで
島根は良い人ばっかりだよ\(^o^)/\(^o^)/\(^o^)/
さっとんは、なぜ島根に移住した?
んで、なぜ移住したのか?
ってところね。
いまこそ地方創生うんぬんかんぬんで
地方への移住が流行りってるけど
(そして、ちょっともう下火だけど)
地域おこし協力隊とかね。
さっとんはそういうの全然興味なくて
行政の支援を得て移住したわけじゃないから
かなり極端な例なのですよ。
だから、移住の参考例には全然ならないwwwwwww
ごめんなさい_(:3」∠)_
移住の理由については
島根に来てから散々語り尽くして来たんだけど
それって、たぶん嘘だよなwwwwww
と思っている。
どういうことかというと
なんか、それっぽいこと並べておけば伝わるだろう
と用意して出した理由だよなそれ。
と思っている。
なので、3年経った今、
あらためて振り返ってみようと思ったのだ!!!!!!
ほんでは、れっつごーーーーーーーーーーー\(^o^)/\(^o^)/\(^o^)/
仕事を辞めたかった。
どんだけ仕事を辞めるモチベーション高いねん、おれ!!!!!
正直なところ、仕事を辞める理由を探してたんだよなぁ。
いやまぁ、辞める理由なんていくらでもあるんだよ。
それなりの理由をつけてやめちゃえば良いんだから。
でもさーーーーーーー
さっとんはそれができなかったーーーーーーー(´;ω;`)
昔から、何かを「辞めます」っていうのが苦手でさ
小学校のサッカー部でさえ、
全然やりたくないのに、
万年ベンチで惨めな思いしているのに
辞められなかった(´;ω;`)
これはなぜ?生まれつきなの?
なので、会社を辞めるなんて
めっそうもない!!!!!!!
しかも、社長怖かったからさぁ
絶対怒られるの分かってたしさぁ
なんか特別なことがないと、辞めるって言えなかったなぁ。
といいつつ、今振り返ってみると
「島根行くから辞めます!」
という理由も、なんかあまり理由になってない気がするけど。笑
でも、そのくらい強く行きたい!!!!
という気持ちだったということなんだよね。
なので、移住した。
yurusatoというゲストハウスがあった。
これがもっともな理由なんだけど
やっぱり外せない理由になるのかな。
さっとんが住んでいる江津という町には
yurusaotoという民泊ができるバーがありました!
(正確にはゲストハウスではないのであしからず)
とても素敵な空間で
たまーーーーーーたま、雑誌のソトコトで特集されてて
それを発見したのが初めの出会い。
ソトコトも購読してたわけじゃないんだけど、
年末にたまーーーーーーたま風呂入りながら、J-WAVE聞いてたら、
(JAM THE WORLD、当時、津田大介さんが好きだった)
たまーーーーーーーーたま、耳に入ったんだよね。
したら島根のどっかで
ゲストハウスで子供から大人、お年寄りまでがつながる
コミュニティが生まれているって話で
それがバシッときた。
当時、東日本大震災から1年~2年くらいだったかな。
いちおう渋谷で被災した、さっとんは帰宅難民になるし
実家は計画停電にあうし、通勤電車も電気ついてないし
コンビニには何も売ってないしで
大震災の衝撃の波にのまれた。
そして福島第一原発事故のこともあって
それからツイッターを本格的にやりだした。
被災後1ヶ月くらいは、
ちゃんと寝れないでツイッターとかで情報をかき集めてた
あれはかなり不安から来る、中毒的なやつだったと思う。
政治に感心を持ちはじめたのも、それから。
そんなこんなで
今の政治のヤバさとか
都会での生活のヤバさとか
教育のヤバさとか
働き方のヤバさとか
海外と比べたり、いろんな情報に右往左往しながら感じてたわけで
おれ、このまま今の会社で働いてていいの?
ってなってた。
(当時は音楽事務所で働いてた)
一生ここで働くのは無理っしょ。
体力的にも、業界的にも
と思っていた。
そんなときに新しい働き方の選択肢とか
地方の可能性とか、そういうものに興味を持ち始めたのかな?
いや、地方のことはまだこのときも興味外だった気がする。
東北の情報は得てたし、現地に行ったこともあるけど、
そのときにさっとんにとっての
地方創生は、被災地復興のレベルの偏ったものだったはず。
それでも江津に興味を持ったのは
やっぱりyurusatoの存在で
震災後、コミュニティというものの大切さを
考え続けた先に、そなえつけられたアンテナに引っかかったんだと思う。
ので、移住した。
子供が育つ環境への興味。
当時の仕事内容は
音楽事務所での新人開発事業に関わってて
スクール事業のマネジメントをしてた。
だから、10代後半~30代前半の女性ばっかりを担当してて
多いときは200人くらい?
を面倒見てたときもあったと思う。
そのときに沢山の女の子を見てきて
違和感があったんだよね。
なんで、こんなにもこの子たちは
まわりに合わそうと必死なのかと。
答え探しに必死なのかと。
(そのまま自分に返してやりたくなる言葉だ。笑)
夢を追い求めて
どちらかというと非現実的な世界で夢を売る世界なのに
この答え探しに来ました感はなんだ!!??
「私は何を歌ったら良いですか?」
しるかい!!!
そもそも、あんたは何を歌いたいんだい!!!!
という感じだった。
(まぁ、これもそのまま自分に返してやりくなる言葉だ。笑)
こりゃぁもう、世代とかいう問題じゃないなと
日本の学校システムから変えなきゃたぶん変わらんなと思った。
そのくらい根本的なものだった。
じゃあだからといって、学校教育に関われるのかと言ったら
そんなに簡単なものじゃないし
教員免許とって学校の先生になっても、
たぶんガチガチに縛られた中じゃ何も出来ないしと考えて
放課後NPOアフタースクールというNPO団体にボランティアとして顔をだすことにした。
(東京でね!)
ただでさえ休みのない仕事なのに、
その仕事の合間を縫って、イベントに参加したりお手伝いに行ったり、
子供の触れ合うのは正直疲れるけど、とても心が癒された。
子供と一緒にいると、嘘をつけないというか
中途半端な気持ちで接しているとバレるから
全力で挑まなければならない。
そうすると、疲れるけど気持ちいい疲れだし、
余計なことを考えないで済むから、そのときはいろいろと忘れられる。
体も動かすから、ストレス発散になってたんだと思う。
そんなこんなで教育に興味を持って
学校環境だったり、子育ての環境だったりを知ることになった。
したら、やっぱり大切なのは
コミュニティだったり、人とのつながりのなかでの成長だったりするんだよね。
という1つの答えに行き着いて、
「多世代で生活するコミュニティ」というキーワードを持っていたというわけ。
そこで、yurusatoに出会ったということですな。
つーことは、やっぱりyurusatoか。
(ちなみに今は、yurusatoは休業中です。)
なので、移住した。
衝動的なやつ。
あらためて棚卸ししてみると、
普段から言っていることと、そう違ってなかった。笑
でも、あらためて見直すキッカケになった。
よかったよかった。
いろいろ書いてきて、最後に言うのも何だけど
結局最後は、衝動にかられるかどうかなんだよね。
体がゾワゾワして、衝動が抑えられなくなって、熱っぽくなるみたいな。
「これは何者かが行けと行っている!!!!!」
とばかりに、衝動に突き動かされるのです。
あの時の衝動は、人生で一番だった。
たぶんあの感覚を、ワクワクと言うだろうな。
しかも最上級な。
大切にしていこう。
あの衝動をね。
長々と書いてしまった!
最後まで読んでくれてありがとう!
さっとんの島根移住生活に興味がる人がいたら教えてね!
掘り起こして書くので!
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