顕正会はなぜ謗法団体となったのか
2016.07.15 03:11
顕正会は今、”僧侶不要”路線で活動中です。
それは、正本堂問題での正宗僧侶の対応が問題であるとの顕正会側の意見によるものです。
「邪教である創価学会に対して宗門僧侶は謗法与同したではないか」
「創価学会を諫めたのは浅井先生だけである」
「日達上人も浅井先生を褒めて下さったではないか」
というもの。
顕正会はそれを理由に僧侶から引き離そうとしている。
そして、何より浅井先生の大聖人様に対する”忠誠心”をアピールしているのだ。
正本堂問題を持ち出して、自身の団体の”謗法”を隠そうとしている。
私はそのように見ている。
そもそも、謗法とは不満や憎しみからおこるもの。
大聖人様は天親の仏性論を引いてこう述べている。
若し憎むは背くなり
(顕謗法抄・御書280ページ)
その証拠に顕正会はかつては国立戒壇について顕正新聞紙上にて
国立戒壇という名称を使わないからといって、それをもって直ちに違背とは言えない
(顕正新聞平成元年1月25日号)
今は
正系門家において、宗門僧侶は「国立戒壇」の御遺命をなげうち
(顕正新聞平成28年6月5日号・広宣流布特集号)
この間に何があったか。
平成10年4月5日の御本尊還御である。
浅井さんはきっとこの時に自分の功績が認められ、宗門復帰できるものと思ったに違いない。
結局、出来なかったのだが。
この時の思いが今になっているのか。
浅井さんを含めた顕正会員へ
大聖人様の御心に叶うことは僧侶抜きでは決して出来ません。
そのことに気が付かなければ本当の御心に沿った修行は出来ません。
要するに成仏は叶わないのです。