鶴千代クラブ 第三回学習会 安土城、観音寺城見学
10月17日(日)第三回目の鶴千代クラブ学習会を開催しました。今回は「城あとたんけん」として、安土城と観音寺城の見学に行きました。3名の生徒さんとお母さん、お父さんも参加してくれました。
AM9:00に林業センサーに集合、それぞれのご家族の車に分乗して出発。安土城考古学博物館で前知識を得てから「城あとたんけん」開始。途中途中に私たち講師の解説を入れながらの進行でしたが、生徒たちは解説の先々を言い当てるほどの博学ぶりを見せてくれました。
初めに安土城址に登ります。安土城の特徴のひとつである中腹までまっすぐな大手道を左右に羽柴秀吉邸跡、前田利家邸址を見ながら登ります。1980年代から続く本格的な発掘調査の結果、幕末に再建された摠見寺(そうけんじ)の石垣の下から大手道が発見され、大手道がまっすぐに伸びていたことが判明しました。この城が防御よりも政治的な目的で作られたことがよくわかります。
天主台まで登るとそこが天主の地下1階だったことがわかります。安土城は初めて天主台に石垣を用いた城でした。石垣から地上6階建ての天主が建ち、その高さは32mにも及んだとされます。現代なら10階建てのビルに相当します。
天主台からの琵琶湖の眺めは、安土城、坂本城、長浜城、大溝城の4つの湖畔の城を水運で結ぶことによる城郭ネットワークが当時信長の頭の中にあったであろうことを容易に想像させます。
安土城を降りた後、博物館の公園でお弁当を食べました。腹ごしらえした後はいよいよ難関 観音寺城址へ。
観音寺城は1335年六角氏頼(うじより)が築きます。以来230年間にわたり増改築を繰り返し六角定頼(さだより)、義賢(よしかた)の代には1000もの曲輪を持つ日本屈指の巨大山城の威容を誇っていました。織田信長の時代よりも前に石垣を防御の中心においた城として有名です。
きぬがさ山中腹の観音正寺の前まで車で移動します。駐車場から観音正寺まで350段ほどもある石段を上ります。安土城登頂の直後とあってなかなかハードな石段登りになりましたが子供たちはそれぞれ頑張って登り切りました。来年に聖徳太子没後1400年を控えており、聖徳太子ゆかりの観音正寺にもたくさんの人が訪れていました。せっかくなのでここで御朱印と御城印をいただきます。
お寺の脇道からから観音寺城址の見どころ「大石垣」を目指します。まずは本丸へと続く大石段へ。本丸や曲輪跡にはどうやってここまで運んで積み上げたのか不思議になるほど大きな石の石垣がとてもきれいな状態で残されていました。
そこから尾根伝いに平井丸、落合丸、池田丸と重臣たちの曲輪跡が続きます。大小いくつもの曲輪跡と険しい山道を抜けいよいよ「大石垣」に到着。視界がふもとまで一気に開けて東海道新幹線がよく見えます。少し下がったところから大石垣をよく見ることができました。地元の方々が新幹線からこの大石垣がよく見えるようにと頑張って林を整備したそうです。
この日見た石垣群はほんの一部です。きぬがさ山全体にはまだまだ多くの遺構が残されています。いつかまた来てすべての遺構を見てみたいものですね。
来た道を戻ってPM3:00頃に観音正寺の駐車場に到着。ここで解散にしました。一日で二つの山城に登るというハードスケジュールでしたが生徒の皆さんよく頑張りました。ついてきてくれたお母さん、お父さんもかなりお疲れのようでしたがお子様との探検を楽しんでいただけたかと思います。
次回の学習会もよろしくお願いします。
観音正寺入り口にて
安土城考古学博物館の見学
この日はイベント中で常設展は入場無料でした。
安土城址登り口
安土城大手道にて。
左右に羽柴秀吉邸と前田利家邸。
天主台石垣の入り口
天主台跡にて
若林講師による説明。
観音正寺の脇に観音寺城址入り口があります。
本丸へと続く「大石段」
平井丸の虎口の石垣
「大石垣」へ急な斜面が続く
巨石群
「大石垣」に到着
大石垣が東海道新幹線からよく見えるそうです。
観音寺城御城印