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韓『イカゲーム』は現実の人生そのもの

2021.10.20 00:05

【人生考察】 令和三年十月十七日に米ネットフリックス(NFLX.OQ)の韓国ドラマ『イカゲーム』が、同社へ一千億円ちかい価値を齎すと推計する旨を米ブルームバーグが報じた。製作費は二十四.四億円という。コストに対し、実に四十倍の価値となる。


本作は一種のデスゲーム。本作は本質的に現実の人生そのものである。


人は成功しようが、失敗しようが等しく死ぬ。イカゲームでは、自身の命と大金を引き替えに各種のゲームに挑戦する。強制ではなく、自由意思で参加する点がポイント。ゲームに負ければ殺されるのを知っているのに、大金欲しさにデスゲームへ参加する。


これは人為的なゲーム。現実は如何だろうか。現在は一部を除き、戦争の無い「経済ゲーム」。資本主義でも社会主義でも人為的なゲームに変わらない。グローバル社会においては、世界の何処に生れ落ちようが、この「経済ゲーム」へ略強制的に参加する事になる。



<生き残りゲーム>

 参加を拒否する事も可能だが、その際には経済の及ばない地域で自給自足をする。例えば無人島やアフリカのアマゾンだろうか。こちらは「経済ゲーム」ではなく、「自然ゲーム」。プレイヤは人以外に虫や猛獣、ウィルス等がおり、厳しい環境設定(食料・水の調達や道具等の作成)にてサバイブする。


そう、どちらもイカゲームと本質的に同じ、生き残りゲームなのだ。


では、地球人の大方がプレイヤとして参加している「経済ゲーム」では、如何様にして生き残るのか。それは二つしかない。ビジネスで成功するか、権力闘争に勝つか。これは資本主義でも社会・共産主義でも同じ。経済(経営)と政治に他ならない。


文句を言って「経済ゲーム」を否定しても意味が無い。ただ、死が近付くだけだ。都内でも孤独死・自殺がある。これは正に「経済ゲーム」を否定し続けた結果に他ならない。



人間にとって一番良い事の一例

 十九世紀の独・哲学者であったフリードリヒ・ニーチェ(甲辰)は「何の為に生きているのか。」の問いに「そんなものはない。」と。デビュー作「悲劇の誕生」の中で、

半人半獣の神に「人間にとって、いちばんいいことは何か?」と問うたとき、半人半獣の神は「聞かないほうがいい」と前置きして、「生まれなかったことだ」と答えます。

それは質問している時点で不可能なことなので、それでは2番目に良いことを問うと、「すぐ死ぬことだ」と答えるのです。これがギリシャ時代以来の1つの大きな知恵として伝えられてきたのです

と「玉川大」文学部・岡本裕一朗(甲午)名誉教授は記事『哲学者ニーチェが「道徳を最も嫌った」論理的理由/東洋経済』にて諭す。



東洋だろうが西洋だろうが、縄文時代だろうが絶対王政時代だろうが、争いは常にある。日本も「平家物語」にて、


祇園精舎の鐘の声 諸行無常の響きあり。娑羅双樹の花の色 盛者必衰の理をあらはす


と藤原氏の栄枯盛衰を詠んだ。そこには権力闘争が間違いなくあり、当時のプレイヤは藤原氏を中心としたゲームに参加し、生き抜くしかなかった。そのゲームも何々時代という呼称で分かる通り、常にゲームが存在し、生き抜いてきたのが今の日本人の祖先である。日常にゲームは在るが、ゲームの強者は無常である。


今の日本人は「大東亜戦争」「焼け野原復興」の生き残りに違いない。




<歴史の事実を報じる>

 イカゲームは非現実的な非常であるが、現実の日常でもある。私達は、昨日も今日も明日も「経済ゲーム」のプレイヤに他ならない。それは来年、再来年、何十年後でも早く死のうが、遅く死のうが死ぬまでゲームのプレイヤであり続ける。


現在では殺し合いこそしないが、命は既に懸けている。その感覚が弱いだけだ。それが「戦争ゲーム」とは異なる点と言えよう。普通は先ず労働資本をベットする。「金融経済」にて金融資産を構築しない限りは、政治家であっても体力が続く限り、「実体経済」にて労働資本をベットし続ける。


皆が身を削って金銭を獲得している。いくら現実から逃げても、本当に無駄に勝率を下げていくだけなのだ。現実から逃げる事は、自ら死に近付きに行っている。「無理ゲー」と嘆けば、ただ労働資本を下げる。


これは資本主義でも社会主義でも同じ事。



民主主義によるイカゲーム

 現在の「経済ゲーム」において金融資産無き者は、一生「実体経済」にて身を削る。削る身が無くなった時、イカゲームの様に脱落する。身を削る事を嫌がって引き籠っても、老いは進行するので“身”自体(労働資本)の生産性が落ちる。その時に気持ちを切り替えても、少ない労働資本でゲームに挑まなければならない。勝率は低いだろう。


権力闘争も常に勝ち続けなければならない。一度、頂上まで行っても大敗すれば、韓国の様に前統領は牢獄に入ったりもする。大きな負けが無くとも、そこには常に何がしかのゲームが在る。


何故か。イカゲームの様に地球の万民が命を懸けても「経済ゲーム」に参加したい、と望んでいるに他ならない。地球規模の民主主義なのである。依って、一個人が地球規模の「経済ゲーム(金融経済・実体経済)」を破壊する事は不可能である。選択できる事は一つ。現実のイカゲームで死ぬ気で生き残るか、脱落するか。


生れ落ちた時点で、命を懸けたゲームはとっくに始まっている。

後は、成功しても失敗しても早く死ぬか、遅く死ぬかの差でしかない。


記事:秦正法