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キリスト教で読む西洋史ー聖女・悪女・聖人・皇帝・市民

大帝コンスタンティヌスの母ヘレナ18-名君

2017.04.10 01:56

コンスタンティヌスは、軍事的勝利に彩られているが、先頭に立って指揮すると共にかなりの戦略家だったようだ。蛮族との戦いでも撤退・陽動戦術を駆使し、また敵を温情をもって扱うので無血勝利もあったという。尊大ぶるところもなく、人の意見はよくきいた。属州からの使者にも自ら会っていた。

皇帝は文芸を好み、宮殿に詩の神ムーサ像を建てていた。また医術や建築にも興味を抱き、息子にはトップクラスの教師をつけた。キリスト教だけでなく、哲学、法学もよく学んだという。古今名君とはこのような人物なのだというのは間違いない。

彼は、西方の皇帝となってから、法律の制定に熱心にとりくみ、それらは後に「テオドシウス法典」として編纂されることになる。特に裁判制度の公正化に努めたようだ。さらに女性への財産の平等な相続が記され、孤児への支援が行われた。十字架刑は禁止され、後に剣闘士試合も禁止された。この慈善的な施作には母とキリスト教の影響が見られる。

また皇帝は、トリーア時代から貨幣鋳造を行い、経済の発展に努めた。ローマ時代の歴史家によれば、最初の10年はローマの最高の皇帝に匹敵すると賛辞されている。しかし彼は西の賢帝で納まる気はなかったろう。ローマ帝国の統一をめざして、いよいよリキニウスの東方軍と10年に渡る戦闘をくり広げることとなる。

下はコンスタンティヌスが編さんしたローマ法の碑文