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かみぬけて、そして 〜脱毛症記録②〜

2021.10.20 07:58


脱毛症の記録②。


ただ脱毛症というワードが気になったあなた。

脱毛症を悩み抱えて検索かけ、たどりついたあなた。


ようこそ。


髪が抜け落ちた経験から思いを綴ったブログ

「かみぬけて〜脱毛症記録〜」の続編です。

↓↓



解禁

頭髪の脱毛を自覚してから一年。


わたしは多発型から始まる全頭型の抜け方を8ヶ月ほど経て、今に至る。


去年のあの時も、この急に寒くなる時期


今年も庭の柿の木が落葉病になってしまい

変色した葉が落ちに落ちる。


比べてわたしの頭はというと、

今現在は9割ほど生えてきている。


ノリにのって

あたらしい髪たち、ようこそ新世界へ。


というわけで

まだ生え揃ってはない坊主頭を公に解禁した。


前からみれば普通の坊主頭に見えるくらいには

なってきた。


これにてようやく

車の免許取得に向けてタラタラ通い続けている教習生最後の難関


「証明写真の撮影」


無事に笑顔でキマりそうです。




利点と発見

坊主にして笑って過ごすと、

一日における髪を気にする時間が激減します。

というか、皆無。


そうなるとどうなるかというと、こうだ。


  • 朝起きて支度時の髪セットが必要ない
  • 湿度や強風などによるボンバーヘアの心敗無用
  • 風呂が最高極まりない
  • アホ毛抜け毛を気にするあの時間が無い
  • 掃除がめちゃらく


です。



そして

今まで「髪で顔を隠すことで凌いでいた事実」が、

浮き彫りになるんです。


私の場合、昔から顔の右下半分が歪んでいて

露になったソレに向き合った年でもありました。


そこから、歩き方の癖、重心を左におく身体の癖、噛み癖から、

左に重きをかけすぎて、総じて右半身が不調のケースが多いことがわかり

顔の歪みは右半分の筋力の衰えが原因であると自己診断できました。


見つめるとわかること、

いっぱいあるんだね。



手段

脱毛症を隠す手段としては、

帽子、ウィッグがあります。


最近のウィッグの技術はすごい。


すごい上に、それを装着することで性格をも変えてしまう魔法。


それによって、あらゆる事情で脱毛に悩むたくさんの人が救われたかもしれない。


かく言う私もカミングアウトする前、

安いウィッグをひとつ購入し、一度つけて過ごしてみた。



だが

当たり前だけど魔法は溶け、

現実との落差に疲れ、

頭が締め付けられ、

自分のものではない毛が頬のあたりに触れるのが

不快、という。



なのでウィッグはその一回きりで押し入れにしまい

「自分ではない何者かになる」のではなくて


いつも髪の無い自分を、愛することにした。


それが私にとって、心地よい選択だった。



だいじな時間

とはいえ

わたしも一応一般的な心をもった人であり


さすがに脱毛症全開で外を歩くのは躊躇いがある上、


前にブログで記した

「暑い、寒い、痛い」という問題もあるので


頭を守るべくヘッドスカーフを愛用してこの夏過ごしていた。


家の中はというと、完全にハゲ坊主です。


たまに油断してると、

ヤマトや佐川の人が「ぴんぽーん」してきて

大慌てで帽子を探してドアを開ける。


パジャマのような部屋着に、広いつばの麦わら帽子だったこともある。

滑稽滑稽。



夜はハゲた頭で

「おかえりー」とロン毛を迎えると


「ただいまー」と

やや笑顔で返してくれる。


その後のディナーももちろんハゲ坊主です。





それが、だいじなんです。




3ミリ


ハゲを保つために、

まちがえた、

坊主を保つために、


1ヶ月半に一度、バリカンで3ミリカットをする。


経過観察でおそらく一番髪が抜け落ちたと思われるのは今年の7月。


それまでもじゅうぶん抜けていたように思っていたけれど

5月にスキンヘッドにした時から、

しっかり新しく生えてくる髪と

定着せず解脱していく髪が混在し


7月に剃った時はおそらく全体の2割ほどの髪量。


そう思うと、この一年で全ての髪が抜け

おおよそ生え変わったように感じます。


もうこわいものはありません。



一年の過ごし方

髪が生えるまでの時間は人それぞれですが

私にとってこの一年という時間は、振り返るとあっという間です。


病院で治療を受けるかどうか悩んでいる方。


現代の医療技術はすばらしい。


でも、自然にただ過ごす、それも選択のひとつです。


どちらにせよ


無事生えたその先も

確かな髪が必ず約束されるわけではない。


私の一年後のブログタイトルが「髪抜けて、そしてまた、抜けて」かもしれない。


またかよ!

繊細すぎるだろ!


ってなっても

それでもいいや。


それが自分のからだの自然な働きなら、納得するでしょう。



ぜひ、自分の体と心が

本当に心地よいと思う生き方を。


この世界は、本当にすばらしい。