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キリスト教で読む西洋史ー聖女・悪女・聖人・皇帝・市民

ナポレオン21-カール大帝かシーザーか

2021.10.21 10:58

実はフーシェらは、ナポレオンをフランス王とする運動を起こしていた。「王殺し」の異名がついたフーシェとしては、ブルボンの復活こそ忌むべきことだった。しかしフランス王としては、侵略した領土を返還せねばならない。ナポレオンは、その土地は自分の兵隊の血によって得た地だと思っていた。

エジプトへ侵入したときも、彼の目標はアレクサンダーになることだった。歴史ヲタのナポレオンは、古代の帝王にあこがれていた。彼のモデルは、古代ローマの皇帝であり、民衆から選ばれ、民衆のための国をつくる帝王だった。王という名が出るやいなや彼はローマ皇帝を選んだわけだ。

実際当時ナポレオンは、上下ネーデルランド、北イタリアを実質支配しており、皇帝を名乗るには何の問題もない。それをかぎつけたフーシェは、自分の復権のためにも議員にあちこちと得意のささやき戦術で、皇帝をにおわせた。1804年5月フーシェらの努力で、元老院より皇帝の発議を行う。

そして皇帝に賛成した者がもう一人居る。ローマ教皇ピウス7世である。彼はナポレオンに、神のもとでヨーロッパを統一したカール大帝を見ていたのである。実はカール大帝もナポレオンは十分意識していたのだ。歴史の夢想から皇帝ナポレオンは誕生するのである。